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人生経験と研究

 先日、修士論文の口頭試問があった。口頭試問、またの名をfinal defenseでは、論文について教授陣と質疑応答する、尋問セッションである。口頭試問まで終えてやっと修論が終わったような感じがした。修士課程が終わったら私は就職することを選んだ。研究者のロールモデルとして自分の指導教官のことは研究的にも人間的にもすごく尊敬している。でも、こんな私が博士課程に行くにはもう一段ギアを上げた覚悟が必要に思えた。その根底には、「自分に期待できない」という漠然とした不安がある。基本的に人様よりも2年くらい自分は精神的な成熟が遅れていると思っているので、一旦就職して社会を見渡してから考えようと思った次第である。ただ卒業までの間、経験としてできるだけ研究室やアカデミアには関わりたくて、教授つてに紹介された短期の研究助手をやってみたり、シンポジウムのスタッフをやってみたりしている。

 先日ある研究所のシンポジウムが東大で行われ、研究所賞の授与式があり、私も会場でお手伝いをしていた。賞状授与の後、受賞者がスピーチを行った。選出された2人はどちらも比較的若手と思われる女性の研究者で、彼女たちの研究はどちらも特定の地域のフィールドワークとインタビューを用いており、私と研究方法が似ているため、勝手に親近感を持った。そしてお二方の受賞スピーチは私にとって示唆深いものであった。

 1人目はアフリカのベニンという国がフィールドの研究である。経緯は忘れてしまったけれど、彼女は、教育ボランティアとして現地で活動する日本人と接触があったそう。そしてベニンの人たちの宗教観について気づきがあったことがきっかけで、現地の信仰を、その世界観においてキーアクターである「悪魔」という存在から観察したらしい。論文の端々に、調査中の自分の気持ちの揺らぎをエッセイのように書いていたり、そのユニークな視点と表現が高く評価されていた。

 2人目はバングラデシュの研究をしている方で、学部からバングラデシュを研究しバングラデシュ人と結婚し、ムスリムに改宗したという方。現地で夫側の親戚と一緒に過ごしたときに「物乞い」とインド領時代の名残である「カースト制」の存在に触発され研究を始めたという。「神の下に平等(注1)」なイメージがあったムスリム社会においても、インド領時代に根付いたヒンドゥー教由来のカースト制が彼らのアイデンティティや職業に影響しているということだった。

 フィールドワーク系の研究者という理由もあるけれど、彼女たちのスピーチを聞いて、「研究者」という肩書き以外の要素、例えば「ボランティア」「妻」「女性」といったことに起因する人生経験が、研究をより濃くてユニークなものにしていると感じた。私の拙い文章では表現しきれないけど、彼女たちのスピーチからは、研究を通して得た人生経験が論文にふんだんに落とし込まれていることがわかった。そして改めて自分のことを思い返してみたら、この2年の研究は本当に若さと勢いだけでまとめた感がある。貴重な話を聞けたし、そういう意味では成果がある。でもより広い視野での問題意識とあまり直結していない。届けるべき民衆の声を拾ったわけでもなければ、今主張するべき何かを訴えるものでもない。自分が興味あることを気持ちの赴くままに調査した感がある。スピーチを聞いて、そもそも社会を見る眼差しが成熟していないから、自分の研究に責任感が伴わないんだなと気づいた。

 自分がこの2年で成し遂げたことは「自分よく頑張ったな」と認めつつ、就職後も色んなネットワークを築いていきたい。そろそろ自分の知的好奇心のためだけでなく、今度は自分ができる範囲で誰かのために動いていきたい。自分の希望であった転勤族になれる(予定)ので、将来博士に戻ってくるかは別として、行った先々での気づきを大切に生きていきたいなと思う。


注1)一般的にムスリムの社会では、絶対なる神の下にいる人間という「垂直性」の関係、そしてムスリム同士は平等であるという「水平性」の関係によって説明されることが多い。

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