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キリストとキリスト教
キリストとキリスト教は別物です。キリストは神の啓示であり,キリスト教は歴史的構造物です。キリストは生ける人格であり,キリスト教は死せる神学です。その差は月とスッポン以上です。
終末論
キリスト教の終末論は,世の終わりに宇宙が崩壊する破壊的終末論です。これは後期ユダヤ教の終末論に由来しています。破壊的終末論を信じる者は,世界の傍観者となります。当たり前の話かもしれません。どうせ崩壊する世界など,誰が興味を持つでしょうか?
一方で,キリストが説いた終末論は,実存的終末論です。それは本来的自己に覚醒する体験であり,聖書における「聖霊の降臨」です。本来的自己に目覚めた者は,世界に能動的に関与します。世界の責任者として,神に委任された独自の十字架を負うのです。
倫理論
キリスト教倫理の特徴は,愛の絶対視です。しかし,愛の絶対視は福音の影響でなく,ストア主義の影響です。別名「禁欲主義」と呼ばれるストア哲学は,愛そのものを絶対視しました。その結果として,人間を神聖視し,人権という概念を生んだのです。
一方で,キリストが説いた倫理は,神への服従です。福音書におけるイエスの説教は,愛そのものを賛美していません。イエスは,「神に服従した結果として人を愛することになる」と説いたのです。つまり,愛は信仰の果実なのです。キリストは,徹頭徹尾「神の主権」を説き,父なる神への服従を説きました。福音とは,愛の教えではなく,正義の遂行です。
教会論
キリスト教は,教会的権威を重んじます。ちなみに,キリスト教教会の権力構造は,ローマ帝国の政治体制に由来しています。ゲルマン民族の破壊的侵入から身を守るため,キリスト教はローマ帝国の組織構造を模倣したのです。そして,キリスト教の権力主義は,いつしか正統主義という名の子どもを宿し,正統の名の下,異端を排斥するようになりました。
一方で,キリストは全人類教会主義の立場を取りました。それは,すべての人間が有機的に繋がる神の国であり,神の正義が成就される包括的共同体です。全人類の救済を望んだイエス・キリストは,すべての異端に寛容でした。いや,イエスその人が異端でした。異端とは,真理の前進です。そういう意味において,イエスは異端でした。そして,イエスに従う者も異端でした。異邦人伝道に従事したパウロは,ユダヤ教の異端でした。イエスの福音を復興したルターは,カトリック教会の異端でした。無教会主義を唱えた内村鑑三は,西洋的キリスト教の異端でした。
キリストは,今なお生ける神的人格です。キリスト教は,「ユダヤの終末論」と「ギリシャの倫理」と「ローマ的組織」を組み合わせた歴史的構造物です。故に,信ずべきはキリストであってキリスト教ではありません。
以下は参考書籍及び動画です。
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