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どんな物語を好きなのか

人は物語が好きなのか?

一通り調べて、割と納得いっているのが、「生存に有利だから」という理由である。

本「利己的な遺伝子」という本がある。その本の中に何が書いてあるかは知らないが、遺伝子が利己的であり人体という船は生きるために動く。その作用に人の物語る性質を帰結させることで理解でき、ある程度納得も行くのである。

仮に人が物語が好きであるというのなら、どのような物語が好きなのかを少し考えていきたい。

その前に、なぜ物語が好きかということについてある程度調べた者たちを共有しておく。

細部まで閲覧できていないがyahoo知恵袋のベストアンサーが個人的な体感としては腑に落ちている。どれも参考になるので載せておく。

それでは、やっていきましょうか。

物語にはどんなものがあるか

漫画、小説、映画、デザイン、プロモーション、SNS、企画、経営理念、大会、歴史、ゲーム

形はこんなものであろうか。

特に娯楽として取り入れるものは

漫画、小説、アニメ、映画、舞台、トーク、

みたいな感じかな。

そしてそれらを自分の中に組み込んだ後(インプットした後、見た後読んだ後)。どうなるか。

例えば、鬼滅の刃の映画を見た後は、感想を話し合う。次が見たい。泣けた。面白い。キメハラ。つまんない。

その後どうなる。ハリーポッターと賢者の石を見たあなたは今その影響をどのように被っているか。みんなは気づいていないと思うが、実は魔法は使えるようにはなっていない。

意外な事実なだけにとても残念だ。

ただ、見ているとき読んでいるときはどうだ。熱中し、次の展開に熱くなり先が気になって仕方がない。何なら、本の場合は先を見て結論を知ってしまい、自らのネタバレにより少しつまらなくなるなんてこともある。

そして、面白くない物語もある。

連載終了。採算が取れない。忘れ去られ、作家として日の目を浴びないまま失われていく物語。それは目に留まらなかったからだろうか?目に留まったらそれは面白いものなのか。

自分はその手のベテランでもなんでもないからわからないが、よく考えると物語の大半はこれである。

小説家になろう

大学2年あたりは物語にはまって、その可能性を追求するべく、小説家になろうで作品を投稿した時期が特にはなかったが、読み漁った時期はあった。

ただ、それも今となっては私に読まれることもなくなっていっている。なぜか?

飽きたというのがわかりやすいかもしれないし、疲れたというのが適当かもしれない。理解するのも読むのも、覚えるのも何を言っているのかわからなくなっているのか。昔はあんなにも面白そうと感じたのに。

今でさえ、Youtubeの広告で出てきた漫画を10秒くらいは面白そう!とか思って読もうと思うかもしれないが、その広告の後に動画が再生される頃にそれを覚えていることは皆無であり、覚えていても別にいいやで終了である。

それを突破した作品も無料枠で全て読めそうなら途中で終了。いい感じで止まっても次の日には飽きて終了。アプリごとアンインストール。

過激かもだが、自分はそんな感じである。

でも、それを書いている今は少しまた見たいなとか思ってたりする。

そんなふよふよ漂う物語に対する行動だが、その中でも突出して自分を熱中させ、その回数に目を見張るものがある物語。

それは、わが人生である。

と、話はそれるが小説家になろうを見てきたが、ブックマークしていた作品が完結していたり、ランキング上位がまるまる入れ替わっていたりしていた(結局読んでない)。

で、少し考えたことがあるのでそれについて書いていく。

物語が面白いのは現実じゃないからか

どっかで聞いたセリフだが、ちょっと違うと思った点があるので訂正する。

現実じゃないから起こる事態は、好奇心による行動である。本なら、購入。映画なら閲覧鑑賞である。

だから、面白いのを非現実味に帰結するのはちょっと違う気がする。ただ、気持ちはわからなくもない。

社長とか、日本代表のインタビューで「昔のあれが私をここまで強くしてくれました」。「あれのおかげで今の私がいます」。まあ実際にそうかもしれないが、それはきっかけに該当する部分であなたの行動を起こしはするが、それを思い出して再び行動につなげたかどうかのあなた行動への比重が軽く見積もられすぎな感じに似た感じを受ける。

言いたいのは、行動のきっかけに非現実味が機能することはあるが、面白さは違う部分だと思う。自分の感情を観察しての考察に過ぎないから、客観的でないかもしれないが、そんな考えを直感的に受ける。間違えてたらウケる。

物語の面白さは学習にあるという通説もある。知らんけど。

ゲームデザイナにはとてもお勧めしたい。というか、そんな局所的な職業なら読んでそうではあるが、物語の面白さを理解して成果物につなげようとしている自分には欠かせない本である。

ここでは直感と驚きと物語のデザインについて語られている。先ほど述べた非現実性は驚きに該当する。

もしも、この本にある通説に従うなら、直感と驚きの連なりが面白さであり、飽きの対応に非現実味を召喚するのである。

そしてこの仮説で行くのなら、非現実味のある物語が好きな人は物語に飽きている。無意識もしくは意識的に人生の中で物語を生み出し、直感を働かせているのであろう。

また、今更であるが、「ついやってしまう体験のつくりかた」も一度読んではいるが、内容は忘れたに等しい。内容が浅い点ご理解いただきたい。

で、結局面白い物語とは何なのか。

人生に近い物語が面白い物語なのか

ある尺度では正しく感じる。それは、生存に有利に働く場合の物語である。体や脳が自分と世界の関わり合いを通して、生存に有利だと思った時、勘違いでもよいと思う。
そうなったときに、物語は面白いと感じると思う。上の方で引用したyahoo 知恵袋を引用する。

つまり、我々は一個の動物として、物語という仮説を立てる事で未来を予測して生存戦略を構築する能力を獲得した。
ゆえに、人は無関連な離散的事象に「物語を見いださずにはいられない」
無関係なものに物語を見いだすのは生存に有利だったので、やがて本能に組み込まれていったのではないでしょうか。

生存に有利であるから、体は脳はうれしく思い、その行動を再実行できるレベルに記憶し、再実行する。物語を作ったり読んだりする。

要は物語が読まれるのは、繰り返し言うが面白いからで、面白いと感じるのは人間がそれを使い有利に生存したいからである。

そして、「ついやってしまう体験のつくりかた」の中でも語られている結論を少し漏らしてしまう感じだが、生存確率が上がってる!と自分に認識させる事象は「物語を通した成長の実感」である。
誤読だったらごめん。

また、それを継続させるために直感や驚きが存在している。

だから、直感と驚きは少しずつの面白さ。
物語を通した成長はふとした時の面白さという感じであろうか。

まあ、今は本あんまり読んでないから勘違いしてるかもしれないが、ぜひ

これを読んでいただきたい。なんか、宣伝してばっかで草。でも本を読めばそれを組み込むときのポイントも載っている。

やヴぁい本である。

最後に

今回の記事、まとまりがない気がするから、自分で見直す時も再理解が必要そうである。

それも記憶の強化になるから、まあ良しとする。自分以外のこの記事にたどり着いてしまった方はお気の毒である。

結局、見る人が面白いと感じる、物語は何であるか、その結論と組み込み方も本を読んでから考えるという結果になり、このサイトで紹介すらしていない点は黙っておこう。それを出すのは未来の自分の仕事である。

それでは、お疲れ様でした。

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