自分が有能だと思っている人の不幸
自分が相対的に有能であるという感覚が周囲に求めることの増幅につながり、結果としてそれによる見返りを得ていないと感じる自分を少し不幸に感じるような感覚がある。
みんなはあるだろうか?
有能というのは一分野の何かである。学業でも仕事でも才能の類を感じることができるものであれば何でもいいと思う。
そしておそらくこれは思い込みでも問題なく発動すると思う。実際に有能である必要もないと思う。当然有能である方が発生する気概であるとは思う。
私はおそらく人のことを考えている。多くの時間をその人の感情を優先したりする。周囲にいる人の気持ちを考えて、その人が嫌だと思うことは何となく進んでやっていたりした。最近はそれも意識的に避けるようになった。というより自分の気持ちを見るようにしたり考えたりすることに時間を使うようになった。この記事だってその一つに該当する。
そしてこれは、身勝手なものだと思う。
相手はその協力を望んでいるわけではない。勝手に行動しているくせして見返りを望んでいる。横暴にもほどがある。気がする。
かっこいいとか、すごいとか、珍しいとか、そういう言葉を嫌う感覚がどこかにあるのは個人的にこの見返りがないという点にあるだろう。とおもう。
目標確認
この見返りを望む思考をやめたいかもーというのがこの記事を書いている目標になると思う。
回避するにはどうすればよいか、
・自分が無能になり、無能である考えを持つ。
・有能でありつつ、感情の管理をする。
・有能でありつつ、望むものを手に入れる。
個人的には最後のやつがいいかな。
ではそれが発生しないでも秀でている人は何なのか?そんな人はいるのか?
いたとすれば、その人が望むものが手に入っているということだろうか。
望むものとは何か?
今の自分なら明らかに時間とか、人的資金的資源とか、好きな人と付き合うとかそんなものだろう。
望むものがわかっていながら、その有能性をその望むものの方向に使用することが上手くいっていない。からそれを手にはできていないのだろうとかは思う。
いつか読んだ本を思い出すと、課題の分離による考えに近いかなとは思うが、有能だから欲しいものが手に入るわけではない。
有能なら欲しいものが手に入ると思い込んでるのが根本原因な気がしてきた。言い換えると、望むものが手に入らない理由を自分の得意なフィールドに持ってきて、これさえあればのように思い込んでいるという状況だろうか?
結論1
結局自分の望むもののために行動しようねーということか。思考で逃げるのではなく。
その通りかもしれない。望むものを手に入れようとしても手に入らないことを恐れているのは既によく感じている。それを踏まえても行動しないといけないのだろうか。逃げる以外の選択をとるなら。
逃げる逃げないの問題か?
リスクとリターンの話に帰結しそうな気がしてきた。
失敗の恐怖がリスクか?
リスクは失敗の恐怖というより、失敗によって発生する未来の私が思う可能性の欠落では?
そうであるならば、その行動をとり失敗した後の行動をいくつも画策することでリスクを減らすことができるのではないか?まあ、できればだけど。
結論2
行動可能性を広げることができれば、望むものを結果としてリターンとして得ることができ、有能感特有の不幸感は個人の努力で解消可能ということかな。
行動可能性を広げるにはどうすればよいか。
複数の戦略を練る方法。というか練ろ!ということか。
とりあえずこれかな。複数の戦略を練ること。若しくはその一つの行動から学ぶことで未来の自分を信用するようにしていくことが行動リスクの低減につなげる。
そうなると現在不満を感じている私は、行動につなげれていない可能性が高く、そしておそらくそれが適当答えに感じる。
大学があり、趣味もできず、時間はあるが大学の作業に集中が取られている。原神をやりまくる時間しかない。
言いわけに聞こえるだろうなとは思うけど、一日に予定を一つしか習慣にできない体質なんです。そうしないと達成されないものが出てくる。普通は達成されないものが出てもどうにかしてこなそうとする人が多いんだろうなーってイメージはあるのだけれど。これが自分の実力であり性格なんですと思いつつ言いわけとさせていただきます、、、、、、、はい。
これは夏休みまでの辛抱かなとか今は思っています。なのでそこまでは少なくとも不満を感じるだろう。あと一ヶ月くらいかな?
Q.ではその間どうやって耐えるか。
A.逃げる。原神やる。
でも原神もゲームなので、以前ゲームは無意味と体感してからすぐ飽きるようになって飽き始めたので、原神をやることで何かのメリットにつなげるか、別のことをやるかにします。たぶん。
最終結論
みんなも原神やろう!
今聴いてる曲
二本セットです!