イースター
今日は復活祭の金曜日、Good Friday。
久しぶりにイースターエッグを飾ってみた。
アレクサンダーテクニークの講師資格をとる勉強をしていた頃、学校にはいろんな国の人が集まっていた。
休憩中にオランダ出身の子とフランス出身の子が話していた内容が、おばあちゃんちでやったエッグハントの話。
2人ともキリスト教のご家庭だったから、イースターの祝日はおばあちゃんの家に集まってお祝いをする。
おばあちゃんがペイントして庭に隠しておいた卵をみんなで探す。すると、今年の卵に混じって、去年の卵も出てきたりするんだよね。
わー!あるある!!
と盛り上がる2人。
そうかーあるある話なんだね〜と思いつつ耳を傾けた。
私自身、当時はまだクラシック音楽にどっぷり浸かっていた頃だった。クラシック音楽は基本的にはキリスト教の歴史と共に発展している。キリスト教の文化がこんなふうに生活の中に当たり前にある環境で育った人たちが羨ましいと思った。
学生の頃から「もし留学するなら」という話をよく聞いていて、技術を高めたかったらアメリカへ、情感を育てたいならヨーロッパへ行けと言われていたから、情感を育てるっていうのはこういうことに肌で触れなさいってことなんだなとも思った。
去年のものが出てくるあるある…
日本ではさしずめ節分のお豆かな、なんて思ったり。
その後、たしか黛まどかさんのエッセイだったと思うけど、サンティアゴデコンポステーラの巡礼に行って靴紐を結ぼうと屈んだときに道端の花が目に入ってきて、松尾芭蕉のすみれを詠んだ句を思い出した、という文章を読んだ。
人の経験は時空と文化を超えるらしい。
私のイースターの卵のお話も、国と文化を超えたのかもしれない、と感じたお話。