このささやかな感情を可能な限りしめやかに言語化したい
静かに開けたお正月、私は早々と日常生活に戻りましたが、いかがお過ごしだったでしょうか。
あなたが、ゆっくり楽しく暖かく、気の置け無いご家族や親友や恋人などと過ごせることを陰ながら祈っておりました。
某といえば、年末年始はできるだけ世間の流れと同調せずに己のペースで過ごせたらと思っておりました。
食いしん坊なんで年越しそばやおせちはそれなりに堪能しましたが、此の心は変わらず凪のようです。
すべての悲しみや不幸が起こる原因は、外側の世界が定義したパッと見のメッキに包まれた幸福の基準と己を比較してしまうからだということを聞きました。
ずいぶんと前にそんなフォーマットとはおさらばしてしまったので、(そもそも持っていなかった説、母の子宮の中に置いていってしまった説有ります)
諸行無常の響きをただ淡々と過ごしている毎日です。
この間、個人的にちょいと面白いことがありました。
良いことでも悪いことでも誰かが陰で私の噂をしていることを知ると嬉しくなるキメェタイプの人格なのですが、
特に仲が良いわけでも悪いわけでもないといった関係性の知人が私のことを
「口は悪いけれど、素行と性格が良すぎて、結局最終的にみんなから信頼されて求められている常識人」と言っていたらしいです。
本当にどれだけそれを目指していたか!!
一気にその人の洞察力を好きになってしまいました。
先生と呼ばれる仕事をして早20年余り。
目指していたのは己の幼少時代に「こんな先生がいてくれたら嬉しかった」という先生像です。
子供は大人の体裁や自己保身の為のズルなんて、いともたやすく見破りますから。
基本的なしつけと他者に対する思いやりだけは厳しく仕込み、後は可能な限り楽しくふざけて生きていたいと思っている次第です。
うぬぼれだと笑われても構いませんが私はその先生像をセルフプロデュースした優秀な女優だったと思います。
丁稚奉公時代は髪を振り乱し、重い荷物を抱えて、汗をたくさんかきながら移動。
懸命にたくさんのステージである、幼稚園、カルチャースクール、プリスクール、博物館、野外ステージで与えられた場所でパフォーマンスをしてきたのですわ。根性が違うのよ。
私の正月休みは、久しぶりに姉と南の方へ2人旅でした。
まぁ…そんな昭和の根性論は必要な時に箪笥から出して、普段はしまって軽やかにいきまっしょい。
先ずはぼちぼち締め切りも迫っていますから、公開しても良いでしょう。
年末に提出したエコ絵画コンクールの優秀な作品たちを披露。
新年の素敵な作品もご紹介します
今年は形態をちょっと変えることになると思いますが、無理のない時代に沿った内容で私なりのスタジオレインボーを楽しんでいく所存です。
ところで、既に成人したり、社会人になったりしている教え子がいるのですが、その子たちがたまにレインボーを頼って悩み事、相談事等を持ちかけてくることがございます。
師弟関係と言うのは、敬意を払い、愛情の交換ができれば、月謝と言う金銭が発生せずとも、在籍当時と変わらず元生徒でも交流するタチなので、今回はタイトルにもあった
感情の言語化と言うテーマで、彼ら彼女らの悩み事を解決していくうちに、私なりに全ての憂ごとを解決する手がかりのやうなもの…つかんだ真理についてしめやかに語らせていただきたいと思います。
子供は言語化が大人ほどはうまくできません。
経験や知識が相対的に見て大人ほど多くは無いからです。
だからこそ、言葉になら無い喜びや感動、はたまた悲しみや苛立ちやストレスを表現するのに絵画や造形などの制作活動が重要な役割を担っているのでしょう。
勿論、大人にも制作を通してその自由はございます。
しかし我々大人は子供より長く生き過ぎてきた分、彼らよりは
今、自分がどの立ち位置にいてどういった感情を味わっているのかを冷静に言語で分析する必要が時にあります。
それは叡智にも繋がり、思考を働かせることが真の知性であったりします。
脳幹や前頭葉の全く働いていない大人には魅力を感じません。
何故なら他者への思いやりの無さは、無粋で生き様が美しく無いですし、周りに喜びを与えず、ストレスやトラウマを残し、根源的な愛情不足の負の連鎖問題にとつながるからです。
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