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【どのタイミングでカメラマンを目指したか?の話】
受験を控えた保護者の方からご質問をいただきました
「ぽっぽさんはいつ頃プロカメラマンを目指したんですか?」
私は小学校6年生の時、担任から修学旅行のカメラ係を仰せつかりました。
その当時は各家庭にカメラはなくて
たまたま「カメラが家にあるから」と言う理由からでした。
露出もピントも全てマニュアル設定のカメラで
しかも初めて使うカメラです
上手くいくはずがありませんでしたw
もちろん修学旅行の記録写真は見事に失敗。
随行していた地元の写真館のおっちゃんがいたおかげで
卒業アルバムに穴を空けることはありませんでしたw
中学生になって理科が好きだった私は科学クラブに入りました。
理科準備室の倉庫に埃かぶっていた引き延ばし機を見つけ
科学クラブの活動の一環ということで、倉庫を暗室に改造することを許してもらいました
小学校での失敗を胸に自分だけのカメラをお年玉で購入
理科倉庫の暗室でフィルムの現像、プリントをしました
ここでも地元の写真館のおっちゃんが色々教えてくれました
西田敏行さん主演の「池中玄太80キロ」がスタートしたのがこの頃でした(1980年)
高校に入ってからも写真は続けていましたが
バイクの免許を取ったことがきっかけでバイクに乗ることが多くなりました
卒業の時
バイク好きが高じてレースに関わる仕事がしたいと思うようになりました
特に世界最高峰のF-1レースを撮るカメラマンに憧れました
大学に入ってF-1カメラマンになるために鈴鹿サーキットに通い詰めました。
近所のレースチームに懇意にしてもらってチームのトラックで随行しました
写真を提供する代わりにパドックの通行証をもらい、移動費も節約できました
大学を卒業して2年後にデイリースポーツ写真部に入社してFー1カメラマンになりました
憧れのアイルトン・セナさんや鈴木亜久里さんと一緒に仕事することができとても幸せでした
アイルトンが亡くなってF-1カメラマンを辞めました
郷里の鹿児島に帰ってスタジオぽっぽを設立し、現在に至ります
なんか履歴書みたいになりましたねwww
さて、親御さんからの質問の答えですが、小学校6年生の時にはプロカメラマンを強く意識していたと思います。
私の記憶では小学5年生の時に、「ぶん屋(新聞屋)」と「ジープ」のことを父親に質問したのを覚えています。
ドラマか何かに出てた言葉だと思いますが、きっとその頃から意識はし始めていたんだと思います。
ジープなんかは今でも乗ってますw
そんな感じで筋金入りの写真オタクなもんですから参考になるかどうか分かりませんが
お子さんの未来に何かのきっかけにでもなってもらえれば幸いです