Iさんがいない月曜日。

2024年9月2日、月曜日。

ぽっちが始まって10年。
毎日、通っていたIさんが、今日から毎週月曜日に就労事業所へ通うことになった。

来所時、予定を見て「〇〇さんは?」と欠席者の確認。
10時・12時の点呼、午前の終礼の司会。
13時、体操教室のDVDを流し、真っ先に始める。
14時半には明日来る利用者名と予定をホワイトボードに記入。
15時20分、帰る前のトイレ。これが「そろそろ車に乗るよ!」の合図。
15時30分、「明日、〇〇さん〇〇さん…来ます。さようなら~。」と退所。
2週間毎に注文弁当の献立表を、月末は次月の予定表をスタッフへ促す。

Iさんがいない月曜日。
きっちりした性格と、毎日、通うことで自然と生まれたIさんの役割。
私たちは、その存在の大きさに気づくことになるだろう。

支援学校卒業後は就労事業所へ通っていた。
“エース”と言われ、頑張った4年間。ところが、何かがどこかが、次第にかけ違っていく。更衣室から出て来れなくなったり、事業所前の信号が渡れなくなったり。
「一旦、ゆっくりさせてやりたい。」と、当時、立ち上げたばかりのぽっちへ来られた。希望した事業所に行き頑張れていただけに、就労から生活介護へ、ご本人・ご家族ともに、不安な決断だったのではないかと想像する。

ぽっちに来た当初も過敏な状態は続いた。
12時ちょうどに昼食を食べようと秒針をにらむ。“57、58、59、今だ!”と、思うように体が動かない。またもう1分。“57、58、59、…”やっぱりダメ。また、また、また…。やっと食べ始めたかと思うと、5分もかからない内に急いで食べ終える。ヒリヒリとセンシティブになっていたIさんをそっと見守った。

少しずつ環境に慣れてきた頃から活動に誘ってみる。絵と言えば「りんご」という認識。たくさんの「りんご」ができた。他には?に、レモン、ぶどう、ピーマン、きゅうり、トマト…。大きな紙でも物おじせず描けた。見本を見て描くのも得意。動物・人物・花…。見た通り、言われた通りに描いてはくれるけど、ほんとはしたいかどうかわからない。Iさんならではの表現とは何か? この問いは、以後10年間、私たちを悩ませることになる。

習字では漢字一文字シリーズ。「所」「万」「和」…。たくさん知っている。どうして漢字が好きなのか?聞いてみたところ、「所ジョージ」とつぶやいた。そうか!これは、芸能人の名前(「万田久子」に「和田アキ子」)。書き出してみるとどんどんあふれ出す。他にも、ゆるキャラや企業名など頭の中には情報があふれていた。Iさんに一歩近づけた気がした。
ゆるキャラ検索と芸能人の名前を描くことは、今も続くIさんの“活動”となった。

「自由にどうぞ」「何してもいいよ」と言われてもどうしたら?と困る人もいるだろう。Iさんもそう。予定や工程が明確であることを好む。一方でぽっち。毎日、メンバーが違い、それぞれの活動や過ごし方がある。「これをします」が決まっていないことは、ある意味、酷な状況だったのではないかと思う。

ゆるキャラ・芸能人の名前、時々あるイベントや商品の準備。でもそれだけではIさんの ”空白”は 埋まらない。コツコツと安定してできる作業として始まったのが「裂き織り」。細かい工程は苦手で慣れるまで投げ出すこともあったが、次第にハマっていく。Iさん自身も安定し、安定することで一つまた一つとできることが広がっていった。

その姿を見ながら、私たちの悩みはまた膨らんでいく。
Iさんならではの表現とは?
就労という場でさらに、Iさんの秘めた能力や可能性を発揮できるのではないか?

3月、半年に一度の面談。
これまでの経緯と私たちの想いを迷いも全部ストレートにお伝えした。
新たな就労事業所の見学・体験を一歩一歩進めてきた。様々な作業をテキパキこなす姿に、驚きと同時に迷いが薄れていった。
また行ってみたいですか?には「行く!」と即答。それならば…。

この間、Iさん自身にも変化があった。
図書館でいつもは絵本“パオちゃん”シリーズを借りていたが、初めて「お仕事図鑑」を借りてきた。自宅では「仕事」という言葉が出るようになったらしい。
これは心境の変化?
Iさんが「仕事」をどう捉えているかはわからない。
今日から始まる新たな日々を丁寧に見つめながら、言葉にならないIさんの気持ちを汲みとっていけたらと思う。

表現活動は、個に寄り添う活動。
だからこそ、ぽっち以外の選択肢・可能性が見えてきた。
「私はこれが好き」(得意・合っている・苦手…など)を見つけていく活動とも言える。柔軟な目と心で一人ひとりと向き合っていきたい。


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