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7月2日のオンライン日本語レッスン

今日、オンライン日本語レッスンしたピエトロさんは、日本語という言語そのものにも興味を持っている人です。

彼がよく指摘する日本語の特徴に、

● 日本語は語彙数が西洋言語に比べて圧倒的に多い

というものがあり、これは彼個人の印象だけでなく「ちゃんとしたデータがあるんだ」と数字をあげて説明してくれたこともあります。

で、レッスン中にこれを証明するかのような事例があると「ね?そうでしょう?」と得意げになります。

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例えば、イタリア語に「cadere」という動詞があり、だいたい英語の「fall」です。

● (上から下に)落ちる
● (何かにつまずいて)転ぶ
● (木などが)倒れる
● (城などが)陥落する

以上の4つのケース、イタリア語なら全て「cadere」です。

こういう事例をみると、ピエトロさんが言う「日本語は語彙数が西洋言語に比べて圧倒的に多い」という説も、確かにそうなのかなと思うこともあります。

でも、どの言語もトータルで見れば同じように難しい、というのが私がひそかに抱いている説です。

自分はマルチリンガルではありませんので根拠は乏しいですが。

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たとえ日本語がイタリア語に比べて語彙数が多いというのが事実であったとしても、イタリア語のほうが複雑な事項だってたくさんあります。

動詞活用のバリエーションや、時制についての細かい決まりなどです。

そういった意味で、どちらの言語のほうが難しい/簡単ということはないんぢゃないかと思っています。

で、このピエトロさん、今日のレッスンでは、
● 多くなる
● 大きくなる
を言い間違え、これをもとにこんなことを言ってきました。

「漢字を見れば意味の違いはすぐ分かるけど、音はほんのわずかな違いしかない! 一音の違いでここまで意味が変わってしまうなんて!」

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そしてさらに続けます。

「ドイツ語も、単語が長いから言い間違えやすいけど、言い間違えても単語が長いだけに存在しない単語になるだけ。(←確かこんなことを言ったけど考えてみるとちょっとよく分からない) 日本語のように一音言い間違えて別の意味になるようなことはない」

と、納得できるようなできないような分析をしてきました。

でも、一音違うだけで別の意味になる、というのが日本語固有の特徴だとはやっぱり思えません。

イタリア語の勉強を始めた頃によく間違えていた動詞を思い出しました。
❶ スポザーレ sposare
❷ リポザーレ   riposare
カタカナで読めば一音しか変わりませんが、❶結婚する❷休む、で全然違います。

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これを引き合いに出し、ピエトロさんに反論。

話しながら中国語の声調のことも頭に浮かび、

「中国語なんて、同じ音でもアクセントだけで、3つも4つも意味が変わりますよ」

と畳み掛けました。

するとこれには納得した様子で「あぁ、確かに中国語は手に負えない。自分が勉強していることばが中国語ではなく日本語で本当によかったと思っている」

などと言っていました。

(おわり)

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