不調にまつわるエトセトラ
いや、本当にしんどかった。
前兆はなく、急に視界がぐるんとまわった。
ちょうど夕食の片づけを終え、食後のコーヒーを淹れたところだったと記憶している。
めまいが「クラクラ」を超えて「ぐるんぐるん」なので、立っていられなくなり仰向けになった。
まるで高速プラネタリウム。
流石に気持ち悪くなって、ちょっと吐く。
昼まで元気にレッスンしていたのにな、と思う。
このままなら明日は休む連絡をすべきかと検討するも、結局その日は3回ほど吐き、落ち着いたので就寝。
さて翌日。
翌日は朝から晩までレッスンの日で、目眩や吐き気はおさまっていて救われた。ちょっとは身体は重いが、熱や咳など、風邪症状はゼロ。
うん、イケそうだ。
しかし午後から凄まじい頭痛。
常備のリングルアイビーも効かない。
前屈、後屈、逆転、回旋…何をしても痛いし、まずレッスンで喋る自分の声が頭に響く。
頭は割れそうに痛むのに、動きもガイドもアジャストも止まることはなくスムーズに出るので「ああ、私はヨガインストラクターになったんだ。」と感慨深い。
自分を褒めたいが、それどころではないので耐え難い頭痛を抱えたままその日も終了。
マイ・グロッキー・デイズ
鎮痛剤も効かないし、吐かないまでも胃もたれがして気持ち悪くて食べられない。何かと高くついて嫌なのだけど、コンビニにしか行く気力が起きない。
歩く、運転する、飲み物・食べ物を選ぶ、財布を取り出す、階段を昇る。
ひとつひとつの動作でどっと疲れが押し寄せる。
私はこんなに惰弱な人間だったのか…。
育児や介護をしている人は、体調が悪いときどうしているだろう。
私は自分ひとりのことで、こんなに心細くてグロッキーだというのに。
「体調不良時に人との比較を始める」という禁忌に手を染めているとわかっているのだが、痛いし気持ち悪いしでポジティブになりようもない。
VS 古畑任三郎
どうにもこうにも2日以上具合が悪いので、1番近くの病院へ。
初診だが受付のお姉さんは塩対応で「病院って弱ってる人が来るとこなんだから優しくしてよ…。」と思うも「目眩や吐き気、今は平気ですか?座って待てますか?」と声をかけてくれたりして急に優しい。
「ゆさぶりをかけて来るとは上級者か…。手練れておる。」と感心する。
40-50歳と思しき男性の先生は、眉毛でモノを語るタイプで全盛期の古畑任三郎を彷彿とさせる。
生理中のレッスンで大量に汗をかいてもいたから、熱中症か貧血かと思ったんですが…という私の報告は全否定され、「ヨガって言ったって屋内でしょう?そもそも熱中症なら尿がこんな色になるんですよ!」と自分のペン立て(濃いオレンジ)を指す。
いや今は室内でも熱中症になる人はいると聞いたからそう思っただけで、尿がそんなドのつくオレンジになったことは人生で一度も無いよ…と思うがディベートしに来たわけではないので黙る。
古畑警部補曰く「今年はウイルス性の胃腸炎、といってもノロウイルスよりずっと弱いものが流行っているから、多分それでしょう。」ということで、頭痛薬と胃腸薬をもらってすごすごと帰る。
正しいのかは別としても、不安な時だれかに原因や状況を断定してもらうと、すこし安心する。(それが古畑警部補でも。)
やっぱり「わからない」ということは不安で、現状分析ができれば、次の行動ができる。
健康マウントとかありそうだな、という話。
昨夏のコロナ罹患と含めて感じたのは、ヨガを始めてから基本的に元気な時間が長かったので、不調に弱くなっているな、ということだ。
自身の努力やヨガの恩恵によるものも多少あったのかもしれないが、運によるところも大きい。
「幸せって何ですか?」
という問題提起はヨガのワークショップにおいてよくあるもので、参加者の多くが「自分や家族が健康で平穏に過ごすこと」等、「健康」をキーワードに用いる。
「健康とは何か」と問うと「病気をせず、痛み・違和感がないこと」と答える人が多い。
たしかに「私、丈夫なんですよねー」とか「風邪なんてひいたことありません!」という人は羨望の対象になるだろう。
では、病気や痛みを抱えている人は不幸だろうか?
そんなのあまりに偏狭だ。
病気や痛み・違和感・欠損がないのは誠に結構。
でも生まれつき、もしくは人生の途中でそれらのものを抱えることだってある。
その可能性は、誰にだってある。
それが幸か不幸かを決めるのは、自分だけでいい。
思うように身体が動かせなくても、
魂は最期の一秒まで自由だ。
なんだか飛躍しましたが、
元気な期間が長かったことで、自分が健康であると誇るような傲慢な人間になっていないか、を振り返る機会となった(任三郎曰く)胃腸炎。
ジタバタしつつも5日ほどで寛解へ。
そもそも病んでいるし、欠けているし、順調に年もとっている。
痛くも辛くも、不可逆であることだけは人生の美点だ、と思う。
容易いことではないと知りつつ、
「病み」や「欠け」を愛したい。