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はじめてのGRAPEVINE①

またとんでもない名曲が生まれた。
とりあえずこの曲を聞いてほしい。

ロックであり、ブルースであり、ソウル、ファンク、ヒップホップといったブラック・ミュージックの香りを漂わせつつ、どれでもないような曲調。
言語感覚も異常だ。ラップとも語りともとれる独特な言い回しで畳み掛けられる言語の羅列。

なにか何とも似てない音楽性に頭を振り回されるような感覚に陥る。

GRAPEVINEというバンドは、現在30代半ばから40代半ばにかけてのロックファンにとっては通ったり通ってなかったり、でも一部のファンには刺さりまくり特別なアーティストだという人も一定数いるだろう。
何を隠そう筆者も2003年(当時高校生w)ごろからその音と詩に取り憑かれた一人である。
しかしそういった一部の熱狂的ファンを除いて、過去のバンド扱いで「ああ昔ちょっと聞いたわ」くらいの人が大多数である。
若い人については存在すら知らないだろう。

今回の記事では、メンバー全員が50代を超えたにも関わらず、唯一無二の音楽性と言語感覚で「今現在がバンドとして最高潮」を維持しつつけるバンド、GRAPEVINEについて紹介したいと思う。

GRAPEVINEに興味があるが膨大な作品数が故にとっかかりづらかった若いリスナーや、そういや昔聞いてたわ、ラジオとかでシングル曲しかしらんけど、みたいんなオールドロックファンに向けた記事になります。

まずは、最新作が常に最高傑作を更新し続けているバンドですので、新譜を聴いたら間違いないです。
僕のようなオールドファンも「天使ちゃん」聴いて度肝抜かれているくらいなのですが笑、まずは現在アルバムとして最新作となる『Almost There』より、

バンドの中では比較的明瞭なロックサウンドです。
歯切れのいいカッティングとファズ・ギターによるアンサンブルが絡み合いながら、疾走感と不穏さが同居するメロディーラインを織りなす、この複雑さがGRAPEVINEが敬遠される理由かとも思います。
その詩も決して共感しやすい言葉は選ばれない。が故に、いろんな立場・状況の中にあってもかすかな希望が湧くような感情を引き出してくる。

世界中が敵だと感じたなら
選ばれたってことさ
呆れるほど独創的なプレイスタイルで
今ひっくり返しちまえ

詩・田中和将

バンドそのものの音楽や自分たちを取り巻く状況に対する向き合い方を表明しつつ、その言葉がマス的な社会に順応できていないように感じている人にたいする肯定的な応援歌のように解釈することもできる。
そういった個々人の深い部分をえぐり出してくるような詩作に、かつては元祖鬱ロックと呼ばれていたバンド、それがGRAPEVINE。

アンビエント・ヒップホップから影響を受けたという1曲。
かつてのGRAPEVINEを知る人からすると意外性が高いのではないでしょうか?
退廃的な香りがする美しいメロディラインと、あくまでもギターロックバンドであることを忘れさせないギターアンサンブルによって、バンドとしてのアイデンティティを保ったまま、音像の最先端を取り入れた意欲的な一曲。

奇跡は起こらない
それでかまわない
ぼくらは精一杯
朝を迎えに行く

詩・田中和将

一発目のフレーズが衝撃的すぎる。
バンドのほぼ全詩作を担当する田中和将氏は、弱者に寄り添った言葉を展開することが多い。感情的なプロテスト(抵抗)ソングだし、
生きづらさを抱えながら日々を過ごしている人たちへの応援歌とでも言うのだろうか。
故に「君に出会ったことが奇跡」だったり「奇跡は俺が起こす」みたいな大きい声の人には届きにくく、売れない笑

2021年リリースのAlbum『新しい果実』より。
ファルセットによる第一声からの深くうねったファズギターのアンサンブルは、今日び聴いたことがない。
イントロがある曲は流行らない、みたいなクソみたいだったトレンドも押さえつつ笑、ネオソウルの独自解釈のようなグルーブ感、コロナ禍を彷彿とさせる歌詞

新たな普通
何かが狂う
眉一つ動かしもせず

詩・田中和将

に、突然「おむすびころりん」などというワードを放り込んでくるワードセンスには脱帽する。

彼らの本領はLIVEでもある。
音源での複雑なアンサンブルを5人編成を最大限に活かし、音源の再現という考えに依らないライブならではのアレンジにて聴かせてくれる。そのグルーブ感たるや、音源を超えてくることが常であるというのもまた恐ろしい。

ここからは愚痴です。
バンド最大のヒット曲とすれば1999年リリース『Lifetime』より『光について』となります。オールドロックファンもこの曲の印象が強いのではないのでしょうか。
GRAPEVINEは当時から、クラシック・ロックやブルースを貴重としつつ、日本的なギターロックの基礎を創り出したバンドのひとつとして認知されていたように思う。
しかし1998年デビュー組と言われるくるり、Number Girl、スーパーカーといったジャパン・オルタナティブの周知者たる同世代のバンドたちに比べてその認知度が低い。
下手にポスト・ミスチルなんて言われてたせいでメジャーよりだと思われていたのか、(当時インディーズ信奉が熱かったが、上記3バンドもほぼメジャーからのリリースだ)、早期解散によるレジェンド化よりも、長く続けた上で常に進化続けていることのほうがよっぽど難しいことをしているように思う。
先日、GRAPEVINEと同期1997年デビューのTriceratopsが活動休止を発表したが、そこに(和田唱というカリスマ性を持ったフロントマンを要しているはずなのに)反応した音楽ファンはどれほどいただろうか。
Triceratopsもまた、クラシックロックをルーツに、ギターリフとダンサブルなビートで3ピースの日本的な踊れるロックを流布したバンドである。
いわゆるサブカル好き、ロック音楽好きと呼称する若者たちがGRAPEVINEに言及しないのは不憫でならないと感じていてこの記事を書いている。

特にくるりの近作の音楽的先鋭さに本当に魅力を感じているリスナーはどれほどいるのか気になるところであるし、ある意味文化人枠として否定しづらくなった岸田繁という存在のアカデミックさにより批判されづらい現状にあるのか興味があるところである。

より多くの人にGRAPEVINEを聴いてもらいたい想いで筆を執ったが、いつも通り脱線を繰り返してしまった。
玄人向けだのミュージシャンズ・ミュージシャンだのとっつきにくさが表立ってしまうこともあり、なかなか聴こうと思ってもらうのは難しいかもしれない。
日本最高峰の演奏力といわれつつも、ブルースを基調としていることから派手でわかりやすいプレイが殆どないこともその一旦かもしれない。

しかし一度その魅力に取り憑かれれば、ともに年令を重ねながら日常の糧として寄り添ってくれる。
最初から老成していたと言われる音楽性や詩作は、何十年経っても古びず、声が出なくなってライブが残念なのにノスタルジーだけで盛り上がるといったさもしい思いをすることもない

あなたが何かしらの生きづらさを感じているならば、GRAPEVINEこそが、その人生の伴侶のような存在として圧倒的に存在し得るかもしれない。

Thank you for your watching!


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