新紙幣が発行されたとのニュースを見ながら思い出す二千円札。その発行が開始された西暦2000年が、ほぼ四半世紀前ということに驚愕している。 その頃、私は会社帰りに行きつけの居酒屋で夕飯をいただくのが常だったのだが、ある日、酔っぱらったサラリーマンたちが大将と二千円札について話していた。 「二千円札は便利だね。お姉ちゃんのいる店でチップを渡すときにさぁ、千円じゃケチ臭いけど五千円は勿体ないじゃん。二千円札は丁度いいよね」 とまあ、どうでもいいと言えばどうでもいい話なのだけど
義父はもうすぐ退院する予定だった。 いくつかの大病を経験していたため体調を崩すことも多く入退院を繰り返してはいたが、帰ってきたときのために義母は室内のバリアフリーを整えて待っていたし、私も義父の好きな料理を振るまうつもりでいた。 義父が亡くなった日は雨だった。そろそろ夕飯を作ろうかとしていたとき、病院から容態が急変したとの電話。義母と夫の二人が病院へ向かい、私と子どもたちが自宅で待機していると、しばらくして死去の知らせを受けた。こんなに急に逝ってしまうなんて思ってもみなか
映画を観に行くことが少なくなった。 気がつけば子どもたちも、友人と観に行くような年になってしまった。一方私は、一緒に映画を観に行くような友人も少なく、かといって一人で映画を観に行くよりは本を読みたいと思う人間だ。 では夫婦で行くかというと、それもちょっと躊躇する。 夫がはじめて映画に誘ってくれたときの話。 もう17〜8年ぐらい前のことなので、どういう成り行きだったかは忘れてしまったが、夫が映画を観に行こうと提案してくれた。 その映画は「ウルトラマンなんたらかんたら」。 正
息子は赤ん坊の頃から食べ物の好き嫌いが激しい。 離乳食に、せっせとお粥を作って食べさせていた頃までは良かった。そろそろ野菜にも挑戦しようと、カボチャのペーストを初めて食べさせたとき、彼は口に入ったカボチャを舌で押し返した。 あれ? と思ってもう一匙口に入れてもやっぱり吐き出す。せっかく作ったんだから食べてくれよ、ともう一匙口の前に持っていくが、今度は口を開けてもくれなかった。 では、ほうれん草は?→食べない。 ニンジンは?→食べない。 なにをどうがんばっても、彼はかたく
もう数十年ほど前の話だ。 たいして面白くもない高校時代だったけれど、放課後聞こえてくる吹奏楽部の演奏は学校での数少ない楽しみの一つだった。高校入学して間もない4月、特に音楽に造詣が深いわけでもない私でさえ、「なるほど高校生ともなるとこんなに凄い演奏ができるようになるのか」と感動するほど、迫力のある音。 でももしかしたら、あの音はどこの高校でも聞ける音ではなかったのかもしれないと気づいたのは、卒業して十数年経ってからだった。当時、吹奏楽部でタクトを振り「我が校のカラヤン」と