神風がむすぶアジアハイウェイ(2015年ponte寄稿)
福岡に赴任し、三年になります。仕事柄高速道路を多用しますが、道を走っていて気になるのが福岡都市高速の、「ある場所」に掲げられているAH1の標識。これは「アジアハイウェイ」の略称。何も知らない当初は「福岡は国際的だな〜」の感想しかもちませんでしたが、標識の裏に隠れたロマンが見えてきたので紹介します。
1.アジアハイウェイ構想
「アジアハイウェイ」とは、福岡の人が思いつきで付けた呼称ではなく、現在のシルクロードを目指し、1959年に国際連合アジア極東委員会にて提唱された道路網の構想です。路線は八路線あり、アジアの三二カ国を網目のようにむすび、総延長は地球3周半の14万キロにのぼります。既存の道路網を使うので「事業」というわけではありませんが、2003年に採択された「アジアハイウェイ道路網に関する政府間協定」に基づき、各国が道路に標識を配置しています。日本の道路は、日本橋を起点とし、福岡からフェリーで釜山に抜け、イスタンブールを目指す「アジアハイウェイ一号線」の一部を担っています。ちなみにアジアハイウェイ1号線のルートは以下のとおり。興味を持った方はあと7路線あるので、ググってみてください。
「東京(起点)→福岡→釜山→ソウル→平壌→北京→長沙→広東→ハノイ→ホーチミン→プノンペン→バンコク→ヤンゴン→インパール→ダッカ→コルカタ→ニューデリー→イスラマバード→カブール→テヘラン→アンカラ→イスタンブール→カプクレ(トルコ、ブルガリア国境(終点)」
2.標識の数と場所
とはいえ、AH1の標識を高速道路の傍らに見つけた人は多く無いはず。標識は日本に一八箇所しかなく、日本橋を起点として福岡に行く高速道路のルート、すなわち、首都高速、東名高速、名神高速、中国自動車道、山陽自動車道、中国自動車道、九州自動車道、福岡都市高速の起終点に配置されています。近くを通られたかたは注意して見つけてみてください。一番わかりやすいのは、日本橋の道路元標の上だと思います(写真1)。
ここで話題にしたいのは福岡にある、アジアハイウェイ一号線の「日本終点部」の標識位置。「日本起点部」の位置を道路
元標がある日本橋としたのは、誰もが納得できる理屈。しかし終点部の標識を福岡のどこに置くべきか?韓国との国境は海の上だし、韓国行きの船が出る博多港へ行くには高速道路を降りないといけない。普通に考えれば博多港の最寄りインターに置きそうですが、当時の担当は粋な場所を選択しています。そこは筥崎宮(はこざきぐう)の参道の延長と高速道路の交点部。高速道路からは筥崎宮の鳥居と参道が(写真2)、参道からは高速道路が(写真3)見えます。
3.筥崎宮「五の鳥居」
筥崎宮という神社、福岡では知らない人はいませんが、関東の人には馴染みが薄いと思います。でも鎌倉時代の元寇の際、蒙古軍を壊滅させた二度の神風を吹かせた神様を祀る神社といえば、誰もがピンと来ると思います。楼門の扁額にある文字は「敵国降伏」。一見物騒な文言ですが「正しい行いをすれば敵が味方になる」という日本らしい意味が込められています。ソフトバンクホークスをはじめとするスポーツチームが必勝祈願を行う神社です。筥崎宮の参道は海に向かって延長が約一キロあり、参道の終点は博多湾に面しています。かつては白砂青松の浜だったことでしょう。
境内を含めると参道には鳥居が四箇所あり、最後の鳥居は博多湾に向いて立っています。そこから博多湾の向こうを眺めると例の福岡都市高速道路が見えます。左右対象のダブルデッキ(二層)の高架橋がなんとなく鳥居の形に似ているのは・・・偶然ではありません。「筥崎宮の参道の延長、元寇から日本を守ってくれた神様の道の先に高速道路をつくるとは何ということ!」というせめぎ合いの結果生まれた鳥居の形の高架橋です。メインスパンの中央は概ね参道の延長にあるため、写真3のような鳥居とダブルシルエットの写真を撮ることができます。さしずめ、筥崎宮の「第五の鳥居」といえるかもしれません。博多祇園山笠の安全を祈念して曵山の担ぎ手が箱崎浜の夕日に手を合わせる「お汐井とり」という行事がありますが、その際、彼らはこの第五の鳥居に向かって手を合わせています。
アジアハイウェイ日本終点部を示す、AH1の標識は、この第五の鳥居の上にあります。隣国の韓国へは、「筥崎宮の神風がご案内します」というメッセージなのではないでしょうか。
ここまで知ると、今度は実際にアジアハイウェイを利用してイスタンブールまでドライブをしてみたくなりますが、ルートには国交がない北朝鮮が含まれるため、実現した日本人は恐らくいないことが予想されます。妻にこのロマンのあるエピソードを話しても「お役人は言葉遊びでお金がもらえていいわね」と冷ややかな反応。これが一般大衆がとらえる現実かもしれません。でも個人的には、普通の人は気づかないところに夢を込めた、メッセージの送り手とキャッチボールができたことを、とても嬉しく思っています。