#012 神風
神風。
この言葉に、多くの日本人が、生きる姿勢を正されるような感覚を持っています。
それは、歴史上で実際に起きた出来事や、そこに関わった人たちの意思を、この言葉に見出しているからです。
特に、多くの人が最初に連想することは、
80年前という、ごく最近の日本で起きた、
当時10代〜30代の若さで空へ飛び立った、若者達の生き様です。
それ以前にも、中世の日本で、唯一の国際戦争の際、
奇跡的に二度も起き、国を守ったとされる暴風雨を連想します。
他にも様々な歴史上の場面でこの言葉は使われ、特に古く、資料としても残っているものでは、奈良時代の文献でこの言葉は使われており、少なくともその頃から、”状況を好転させる奇跡”という意味を含んだ嵐を指す言葉として使われていたことがわかっています。
そもそも私たちは、歴史に対しての真偽の捉え方や、
内容への賛否は人それぞれであり、
歴史の真偽を裏付ける正確な資料や、出来事や当事者の判断に対して、
絶対的な正しさを追求できるものではありません。
ただ、
常人では計り知れないほどの、自身の覚悟と決断に忠を尽くした者が、過去に実在したことと、
”状況を好転させる奇跡”という意味でこの言葉が現在にまで語り継がれていることは、確かです。
私たち人間は、たとえ神という言葉や存在を受け入れていない人でも、
信じがたいような奇跡が起きた時、これを「神が味方した」「天が味方した」と表現し、
火、水、風、土、雷、光など、自然界のエレメントを、神が人間に見せる様々な姿として、解釈することがあります。
命を与える火、命を守る火もあれば、命を奪う火もあります。
命を与える水、命を守る水もあれば、命を奪う水もあります。
優しく繊細な火、水、風、土、雷、光の姿を見ることもあれば、
荒々しい火、水、風、土、雷、光の姿を見ることもあります。
神が様々なエレメントに姿を変え、形相も変え、ときには、神風のように、
長い歴史の中で語り継がれるほどの力を見せています。
ここで、
『私たちが人生の中で目にする世界は、私たちの【心】が投影された世界である』
『そこに自身の【心】からのメッセージが含まれている』
という真理を、仮にでも受け入れたとき、
様々な一面を見せる神、ないしは火、水、風、土、雷、光などの地球の要素の姿も、私たちの【心の状態】を映し出した現象ということになります。
それら無数の、神の姿は、
【心】が私たちに何を伝えようとしている姿なのでしょうか。
その昔、『この国随一の傾奇者』と呼ばれた男がいました。
【傾(かぶ)く】という言葉は、
・奇抜な身なりをする
・身勝手な振る舞いをする
という意味です。
その男はまさに、いつも奇抜な姿で現れ、社会の常識やルールが通用しない、傾(かぶ)いて生きる男でした。
相手の身分が上でも、自身の倫理観に反する者には真っ向から、その権力に抗い異を唱えます。
相手の身分が下でも、その生き様に一度惚れれば、意を尽くし関係を深め、敬意を尽くします。
相手が国の最高権力者でも、その誘いを、その時の気分次第で断ります。
男の生き様、在り方は、常識やルールから逸脱していて、周囲の者には、ただただ身勝手に、クレイジーに映ります。
本人の視点では、身勝手というより、自身の信念や気分に沿って、心の赴くままに自由に生きているだけです。
その男が実在したとする資料が少ないことから、存在の真偽は不明ですが、
彼のような生き方をする人は、
いつの時代も、どの国でも、時の節目に現れ、
周囲に大きな影響を与え、時には常識やルールそのものを根底から変え、
その功績に興味を持つこともなく、また心の赴くままにどこかへ姿を消します。
時代に変革を起こした歴代の革命家と呼ばれる者達の中に、クレイジーではなかった者はいません。
彼らのような存在は、周囲からはいつも身勝手で変わり者に映ります。
周囲が冷ややかな目を向けます。誰も理解しようとせず、革命家、異端児、傾奇者はいつも、ある意味で孤独です。
しかし、傾いて生きる者は、冷ややかな目を向ける周囲の者を否定することは無く、むしろ困った時には助け、心に寄り添います。
次第に周囲の者は、その裏表のない姿勢に心を打たれ、傾いて生きる者から、心の赴くままに生きる大切さを思い出させられます。
これまでの長い歴史の中で、人類が”心の不自由”という、不自然な道へ進みかけた時、どこからともなく傾いて生きる者は現れ、生き様を持って心の自由を思い出させ、人類の道を軌道修正してきました。
幼い頃は誰ものが傾奇者です。
心の赴くままに、心を自由にして生きています。
本来、全員の心は最初から自由であり、それを保とうとする力を持っています。
心は自由である、ということは、時には喜び、時には悲しみ、時には怒ってもいいということです。
どの感情にも間違いはひとつも無く、心の赴くままに、ただただ感じていいのです。
心には、無数の姿があるということです。そしてこれら全てを現す自由を保とうとする力を持っています。
これを、
近い物質世界に投影した物が、身体です。
身体には、無数の細胞で構成されていて、細胞同士で生かし合うことも、殺し合うことも許されながらも、常に軌道修正し、血圧や体温を維持しようとする働きを持っています。
遠い物質世界に投影した物が、地球です。
地球には、無数の要素で構成されていて、要素同士で活かし合うことも、殺し合うことも許されながらも、常に軌道修正し、気圧や気温を維持しようとする働きを持っています。
その地球を構成する無数の要素が、火、水、風、土、雷、光などであり、
これらの自由な神の姿は、まさに私たちの自由な心の姿であり、
無数の、神の姿は、時の節目に現れる傾いて生きる者と同様に、
私たちに、『心の赴くままに自由に生きる大切さ』を、
【心】からのメッセージとして、教えてくれているのかもしれません。
私たちの”心が不自由”なときは、
傾奇者は突如として現れ、喜び、悲しみ、時には全力で怒りを示し、自由を訴えかけ、嵐のように去っていきます。
私たちの”社会が不自由”なときは、
あるときは風として吹き荒れ、様々な表情を見せながら、時には天の傾奇者となって大嵐となり、しまいには社会をリセットさせるほどの天災を起こし、それが自然であろうと人工であろうと、軌道修正することで社会の不自然さを訴えかけ、去っていきます。
心の赴くままに自由に生きることを、
私たちの心は、その最奥からいつも、様々な神の姿で伝えてくれているのです。
心の赴くままに自由に生きること、
大いに喜び、大いに悲しみ、大いに怒り、その時々の感情を自由に解放することで、あなたは、幼い頃に表現できていた本来のあなた自身を、思い出し始めます。
そのときそのときの、心のサイン、気分を軸にして、その日を生きるのです。
それはまさに時代を変える革命家の生き方であり、
あなたの人生にも、あなた自身で革命を起こす、
つまり奇跡を起こすことに繋がるのです。
神風をはじめとした、天地自然の自由な姿や、
自身の覚悟と決断に忠を尽くした青年者達や、
傾いて生きる者達、革命を起こす者達が教えてくれている、
奇跡を起こす秘策とは、
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