相反する力
古武術の勉強をしていた時期。お師匠さんがやって見せてくれた技や"理合い"の中で印象に残っているものがいくつかある。
ひとつに、真逆のことを同時に行う。相反することを同時にやる技。それを行うと、通常なら出せないような強い力を引き出すことができる、というものだった。
例えば腕の筋肉。伸ばすための筋肉である伸筋と、縮めるための筋肉である屈筋を同時に使うことで、普段なら耐えられないような負荷に耐えることが出来るようになる。
お師匠さんがやって見せてくれたあと。自分で実践して見ると、確かにその技を使ったときは、腕の筋肉がより強靭になったように思えた。
(↑人差し指と中指は伸ばそうとしている。薬指と小指は握っている。これにより、伸筋と屈筋を同時に使っている状態。)
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伸ばす力と縮める力を同時に行う。相反する力を同時に使うと、最大の能力を引き出せるというその理屈。その"理合い"が、なんだか恐ろしいものに思えた。
秘めた力を引き出すこと自体は素晴らしいことだと思う。しかし、相反する力を同時に行うとは、ときに多くの犠牲を払うことになるのではないか。
お師匠さんが見せてくれたものは、人体の筋肉における潜在意識を引き出す方法だった。しかし、これが人間そのもの。または社会そのものになるとどうだろうか。
相反する力を同時に行使する。それによって最大の効果を発揮する。
例えば善と悪を同時に行うこと。それによって、最大の利益をもたらせるのだとしたら。戦争とは、もしかしたら人類の発展には必要なプロセスだったのかもしれない。しかし、そう考えるのは辛すぎる。あまりに犠牲が大きすぎたように思える。だからこそ、大きく発展したのだとも言えるのかもしれないが。
相反する力。それを同時に生じさせる。拮抗させる。それによって最大の効果を発揮する。
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いずれにせよ、中庸が理想だと俺は思う。最大の効果を得られなくてもいい。ほどほどであればそれでいい。
最大の効果を得るために、相応の犠牲を払わねばならないことが、とても恐ろしいことのように思えるからだ。