逃げてきた者たち
今でも時折思い出すことがある。およそ20年前、石垣島にいたころ。早朝、職場のガソリンスタンドで始業の準備をしていると。派手な衣装に身を包んだホステスと黒服のボーイが、手をつないで仲良く家路についていた姿を、何度か見かけた。
二人は穏やかな笑顔で、仲良さげに会話しながら歩いていたが、何か無理をしているような印象を受けたことを覚えている。
∴
石垣島に渡り、ガソリンスタンドで働き始めてからしばらく経った頃。店に客として来ていた小太りの中年男性に年齢を聞かれた。18だと答えると、じゃあ借金で逃げてきたわけじゃないのか。と、その男性は独り言ちていた。
仕事場の店長の話では。その中年男性は、借金やらなんやらで首が回らなくなって内地(本土)から逃げるようにこの島に来たのだ、とのことだった。
そうか、そのような理由でこの南国の島に来る人も多くいるのかと、そのとき初めて知った。
島での生活も数年経った頃、仲間たちと夜、繁華街に呑みに行くことがよくあった。夜も遅い時間になっても煌々とした街並み。気候が温暖なためか、酔って道端で眠り込んでいる者もちらほら見かけた。
その繁華街の一角にあるビルの上階に、いつも行く安いラウンジがあった。そこにいるホステスの女性たちは島の人間は殆どおらず、内地(本土)の人ばかりで。しかしママは台湾人だった。
定額の料金を払えば島酒(泡盛)が飲み放題となる。あるとき隣に座った女の子がメニューを見せてきて、これを頼んでいいかと訊いて来た。小さなアセロラジュースが一本1000円となっている。高い。なぜこれが欲しいのかと訊くと、泡盛に入れての呑むと二日酔いにならないのだと言う。
じゃあ頼んでいいよと言うと、女の子は嬉しそうにお礼を言い、ボーイを呼んで注文した。一緒にアセロラ入りの泡盛の水割りを呑みながら、なぜ石垣に来たのかと訊くと。自分は海が好きで、ダイビングなどのマリンスポーツがしたいからこの島に来たのだ、と言う。
借金があって逃げてきたのではないのかと訊くと、自分の場合はそうではないが、そういう理由でこの島にきている女の子もいると話してくれた。
時間が来てその女の子は別の席に移動し、また別の女の子が座った。その子にもフルーツなどをねだられたりしたが、値段が張るのでそれは断った。呑みながら話していると、その女の子は日中はホテルで働いているが、夜はホステスをやっているのだと言う。
その店にはその後も何度か足を運んだが、行くたびに違う女の子がいて、目当ての子がいなくなることも多かった。ただママは変わらず、ずっといた。
・
朝7時ごろ、職場のガソリンスタンドで始業の準備をしていると、繁華街で見かけたことのあるホステスとボーイが、店で働いているときの服装のまま。手をつないで仲良く歩いているのを何度か目にすることがあった。
朝の光の中、二人とも穏やかな笑顔で、時折会話をしながら職場のガソリンスタンドの前を通り過ぎていく。その二人の姿を見ていると、なんだか少し切ない気分になった。この二人も、何かから逃げてきて、ここにいるのだろうか。このまま、逃げ切れるのだろうか。
二人は穏やかに会話しながら歩く。しかし、お互いの顔を見ることはあまりなく、まっすぐ前を見て歩いている。
あの二人はその後、幸せになっただろうか。
∴
18の俺に、島に来た理由を尋ねてきた中年男性。彼のように後ろめたい理由があって島に渡ったわけではない。しかし、俺も。何かから逃げて、島に渡ったのかもしれない。
圧縮された感情、言葉にできない。言いようのない何かから。
(写真:沖縄県宜野湾市の夜景)