百と向き合う
「百」「100」という数字には、ただ切りのいい数字だという以外に、何らかの深い意味が込められているような気がしてならない。
・お百度参り
・百日草
・友達100人できるかな
・百薬の長
・百獣の王
・百戦錬磨
漢数字としての「百」の意味を調べると、
・多くの
・たくさん
・もろもろの
となっている。単に数を表すだけでなく、沢山あるということを示しているようだ。
中でも個人的に気になるのが「お百度参り」。神社仏閣に百日連続で参拝する。または、一日に百回参拝する。
一度回数を決めたら途切れさせずに、言葉も発することなく願をかけて参拝する。
厳密には100回でなくてもよいらしくて。例えば最初に、自分は50回連続で参拝する、と決めてやり切ったらそれでお百度参りは完了となるらしい。
「百」はただの数を表すだけではなく。その人にとって大きい、たくさん、であればよいのだ。ということだろう。
なんとも日本人らしい、おおらかな感覚。良い国だね日本は。
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私事ですが、今日でnoteの更新が百日となりました。読んでくださる皆様のおかげです。
一番最初に書いたnoteが、なんともみっともないただの愚痴のような内容だったのに、何となく書いていくうちに百回となりました。
少し前にTwitterで見かけたつぶやきが、とても印象に残っているのでシェアしたいと思います。
このjackさんという方はもう亡くなられていて、彼が生前に書き残したツイートを彼の会社のスタッフさん達が日々Twitterに投稿しています。
この、「一日も休まずに人生をやり続けている、あなたたち」という一文がとても好きです。
自分は何も成し遂げてこなかった。自分は何者にも成れなかったと考えていた俺に、この言葉がすごく。でも穏やかに、優しく沁みました。
これからも「凡百の人」として、書き続けていこうと思います。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
(写真:40年以上前に父が母にプレゼントした多肉植物の「桃太郎」。今年も小さな花が咲きました。)