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手を伸ばすと楽しくなる?「楽しい」の語源が教えること【今日の余録】

「楽しい」という言葉の語源、なんだか心が温かくなる今日の余録だけど、石破茂首相の話で逆にえるというオチ。

「楽しい」の語源には、手(た)を伸ばして喜ぶ様子から生まれた説があるらしい。なるほど、確かに楽しいときは、思わず両手を広げたくなるような開放感があるものだ。

日本神話の「天岩戸隠れあめのいわどがくれ」の物語では、暗闇から光が差し込んだ瞬間、神々が手を伸ばして喜んだと伝えられている。古語「たのし」(手伸し)は、人が喜ぶときの自然な仕草を表す言葉だった。現代の「楽しい」には、人の根源的な喜びの形が刻まれているのか。言葉の意味の深さに感動すら覚える。

同じ「たのしい」という言葉にも、「楽しい」と「愉しい」という二つの漢字が当てられている。「楽しい」は与えられた環境や状況に対して使われるのに対し、「愉しい」は自分の意識や感情でコントロールできる楽しさを表す。

ということは、人生を「愉しむ」人は、自分で自分の心をマネジメントできる達人。できれば「愉しむ」人でありたいものだ。

「富国強兵」の時代の「強い日本」から高度経済成長期の「豊かな日本」まで、時の政府は様々な理想の国家像を掲げてきた。そして今、新たな目標として「楽しい日本」を石破茂首相は選んだ。でもどこか違和感がある。

物価高で家計が圧迫され、年金は当てにならないうえ、子育てや介護の負担も重くのしかかる。そんな状況の国民にとって、「楽しい」という言葉は少し遠く感じやしないか。今、本当に必要なのは、足元に目を向けた、もっと身近に感じる言葉なのではないか。

手を伸ばして喜ぶ、という単純な動作から生まれた「楽しい」という言葉。その原初の意味に立ち返ると、僕らが手を伸ばせる場所に、まず「楽しさ」があるべきなのだろう。そして、それを自分たちの力で「愉しさ」に変えていける

そんな社会こそが、今目指すべき未来のように感じている。

今日の余録と参考資料

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