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雑魚寝から想像する避難所生活【今日の余録】

テレビに映る避難所の映像をみたとき、果たして僕は、自分事のように捉えられていただろうか。どこか夢見心地で現実感がなく、ドラマや映画の延長線上のように見ていた気がしてならない

阪神大震災、東日本大震災、そして去年の能登半島地震。いずれも自分が生きている間に発生して衝撃を受けた大きな自然災害。ただし、自分自身の生活が一変するような事態に巻き込まれたことは一度もない。東日本大震災のとき、電車が止まって会社に1泊する必要があった程度。正直こんなのどうってことはない。
去年の能登半島沖地震も、「大惨事!大惨事!」と叫ぶ小人たちが頭の中を駆け巡るばかりで、その場で起きていることを親身に考えられていなかった気がする。自分にできる限りの支援をしたつもりだが、それも本当に「できる限り」だったのか怪しくなってきた

例えば、自分自身が大災害に見舞われ、避難所生活を余儀なくされたとする。そんなとき、何が一番つらいだろう。
プライバシーのない空間で、他人の寝息を聞きながら眠る。寒くて目が覚めても、周りに気を遣って身動きもできない。スマホの充電も気になる。着替える場所もない。トイレは長蛇の列で、夜中に行きたくなったら、暗闇の中、何人もの人をまたいで進まなければならない。
僕はとりわけ、他者との境界を作りたがるタイプなので、そんな状況を数日間すら耐えられる自信がない
実際に震災の憂き目にあった人たちは、数日どころか数週間、あるいは数カ月もの長い間、プライバシーもへったくれもない環境で過ごさなければならない。僕と同じようなタイプの人もいるはず。その苦痛は、想像する以上に耐えがたいものではないのか。

政府が関東大震災以来、避難所に必要な環境基準を設けなかったのは驚きだが、「『一番つらい人たちに一番厚い手当てを』という考えがずっと無かった」という石破茂首相の言葉は、僕自身にもグサッと突き刺さる。とても痛い。
災害報道を「夢見心地」で眺めていた自分の姿勢こそ、避難所の問題が解決されない最大の要因だったのかもしれない。今さらながら気づかされ、深く反省中。

今日の余録と参考資料

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