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「裸の王様」が語る、SNS時代の真実【今日の余録】

きょうの余録では、アンデルセンの「裸の王様」が象徴する「多元的無知」が取り上げられていた。王様ばかりが目立つ一方で、周囲の人々が真実を言い出せない状況を、童話を通じて解説していたのが印象的。「裸の王様」は200年近く前に発表された童話だが、現代社会で喩え話として使われるケースが多いように思う。人の本質は何百年経っても変わらないということだろうか。

余録では、トランプ大統領(自称“王様”)の言動を例に挙げ、国際社会が麻痺しつつあるという指摘をしている。そこにはある程度同意する。だが、もう少し踏み込む必要があるとも感じている。なぜなら、SNSで一般の人が自由に声を上げやすくなった反面、そのSNSが「多数派はこうだ」という見せかけの空気を増幅する道具になるリスクもあるからだ。

アンデルセンの童話が描いたように「王様は裸だ」と叫ぶ少年は、現代ならむしろSNSで簡単に発言できる。その一方で、周りから一斉に非難される恐怖もある。ここにこそ、多元的無知が拡大再生産される土壌があるのではないか。余録は政治的な懸念を中心に語っているが、普段のコミュニティや職場でも、同じ現象が起こりうる。誰もが内心「違う」と思っているのに、空気を乱さないために黙ってしまう場面は珍しくないはずだ。

やはり、「裸の王様」は遠い童話の世界の話ではない。SNSやコミュニティの中で、僕たちは時に王様の側に立ち、また時に沈黙する群衆の一人となっている。そこに真実を告げる少年の声が聞こえたとき、耳を傾けられるだろうか。それとも、空気を読まない異端者として、無視を決め込むだろうか。多元的無知から目覚めるためには、まず自分自身の中の「少年」の声に、素直に耳を傾ける必要があるのではないか。

今日の余録と参考資料

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