
米ウ会談決裂が日本に問いかけるもの【今日の余録】
第二次大戦前、ナチス・ドイツの侵略を容認したミュンヘン会談は宥和政策の失敗例として歴史に名を残す。戦争回避として歓迎されたが、大戦への転換点となった。今回の米ウ首脳会談の決裂に、この歴史の影が見え隠れするのは少し不安だ。
トランプ大統領とゼレンスキー大統領の口論による合意見送りは衝撃的だった。ロシアの脅威下にあるウクライナにとって、米国との関係悪化は致命的だろう。ロシア要人からの歓迎コメントを見れば、まさに「敵の思うつぼ」ではないか。
ふと考える。もし日本とアメリカの交渉が決裂したらどうなるのだろう。日米安保体制は強固に見えるが、両国の利害が完全に一致するわけではない。過去の日米貿易摩擦では、関税をめぐる厳しい交渉があった。在日米軍基地問題で、市民感情が揺れた時期もある。
指導者同士の相性や国内世論の圧力で、交渉が不調になるリスクは常に存在する。日米の長年の同盟関係を暗黙的に信頼しているが、今回のウクライナ事例が示すように、国家間の連携を「当たり前」と考えるのは危険かもしれない。
表面的合意も決裂も、支援を必要とする側の立場を弱める結果になりがちだ。歴史が教えるのは、安易な譲歩や形式的な和平交渉が危険をはらむという教訓だ。それでも武力以外の解決を望むなら、誠実な対話を続けるほかない。
一度こじれた交渉は、うまく仕切り直しできるだろうか。ヨーロッパ各国の首脳が、この課題に取り組むニュースが届いている。2人の決裂が歴史の暗転点ではなく、一時的なハプニングで終わることを願わずにはいられない。