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思索:「た種」と共に「ままならなく」なる団地

団地をコンペに出した

洛西ニュータウンに入り込むようになって約半年、これまで洛西で行ってきたリサーチを一旦かたちに落とし込むきっかけとして、studio DANNとして初めての建築コンペに応募しました。

た種めく

一次審査では、洛西ニュータウンでお惣菜やさんを営む人が団地や隣接する里山(大原野)で生活している様子を、自分たちの提案を織り交ぜながら描きました。
提案とはいうものの、実際に私たちがそこで描いたのは、地域の食材を調理していただくことや、住民が自主的に小屋組み立てて置いた竹の小屋や小さな祭りといった、日常的で取り止めもない、その土地への介入とも呼べなくもないぐらいの小さな営みの集合体です。

空室がとくに増える団地の五階で住民が自由に使えるマテリアル(竹や木材)を乾燥させている。その隙間で黄昏る人々。
乾燥させたマテリアルをみんなで運ぶ祭りの開催
空いた部屋に食材やマテリアルなどの人間以外のものを入居させる
団地を改修して味噌蔵を作る
ニュータウンの計画時、さまざまな樹種が選定された。食用可能な木の葉と、団地の蔵で作った味噌で晩酌を楽しむ住民(お惣菜屋さん)
5階のマテリアル貯蔵庫へクレーン車で持ち上げる
地域の食材をふんだんに使ったお惣菜

衰退が進む中これからまちをごっそり変えていくためのお金もない中で、住民たちにも参加してもらいながら(場合によっては自主的に)積み重ねる小さな営為こそ、これからも洛西ニュータウンがみんなの洛西ニュータウンとして、そこにあり続けるための一つの道筋になるのではないか。
また、戦後の「復興・成長」という人間の都合で一挙に開発した土地から、段々と人が減って立ち行かなくなっている現状への問いかけとして、テーマを「た種めく団地」としました。

ここでの「た種」とは、人類学や建築の分野でも注目されつつある”multi species”に近いものとして、

  1. ①他(た):人間ではない存在

  2. ②多(た):人間が意図するしないに関わらず、常々取り巻かれている、たくさんの存在
    という意味で使っています。

お惣菜やさんが使っている味噌の中にいる発酵菌や、作物や雑草を分け隔てなく養う土中生物など、ありとあらゆる場所に潜む者たちと私たちが等しく共に在ることを認識する。
そうして拡張された「私たち」の範囲が、「京都水盆」という地下水源などさらに大きな自然資本とつながっていることを認識する。
その認識の補助となるような建築(またはそれ未満の営為)とはどのようなものか?
このような問いを生活者目線に投影しながら検討しました。

二次審査で描いた巨視的なビジョン

ままならない・ままなる・ままならない

一次審査を通過し、そこからさらに4ヶ月もの間、メンター建築家を担当していただいたつばめ舎建築設計の永井さん、根岸さん、若林さんとたくさんの対話を重ねました。
実際に団地でのプロジェクトも行っていたお三方とは、抽象的で哲学的な議論を中心に実務的な視点からもアドバイスをいただきました。
そして、「ままならなさ」という自分たちがこれから考えていきたいもう一つのキーワードを見つけました。

ここでいう「ままならなさ」とは、何かが「ままなる/ままなっている」状態が崩れていくこととします。
そこでより具体的に、何を「ままなる」状態とするか。天候や気温に左右されずいつでも快適な温度の中で、完結した個人や家族の領域を守ることができ、安価に近場で食や交通などのインフラを享受することができる、よくよく考えると不思議なほどに良くできすぎた、近代的なライフスタイル。これこそが私たちが問い直したい、歪んだ「ままなる」状態なのではないか。
そこから、この状態を崩していくこと、そのための介入方法を考えました。


ままならない存在=た種

しかし、ここで一つの矛盾に直面しました。
ままならない状態をままなる状態に持ち込むことが、これまで私たちがやってのけてきた計画的な営みであるのに、ままならなさを計画するとはいったいどうしたら良いのか。
さらに、あらゆるものはコントロールしようにもしきれず、より「良い」方向へ向かわせるための人為が、さらに複雑な(あるいはしばしば問題とされる)関係性を巻き起こすことにもなる。

そこで私たちは、団地の空室が全体の50パーセントになると予測される2035年を、ちょうど人間とた種の力が拮抗するかもしれない時点と設定し、そこで行う大小の人為的介入と、その結果巻き起こるた種との絡まりあいの様子を「シナリオ」によって伝えることにしました。

この辺り一帯の竹林を管理されたいた方が亡くなったことをきっかけに、竹の里地区の住民主体で月に一度、「竹まつり」という、みんなで近くの竹林の竹を担いで運ぶ祭りが行われます。このような、竹のやぐらや背の高い支柱、農機具小屋は、団地の屋外スペースで色々なものに作り変えられます。管理に手のかかる竹という存在が、地域の創造性とコミュニティの基盤を提供してくれています。
住民手作りの畝や竹を使った農機具小屋なども整備され、地下に水盆を湛える豊かな土壌が育む食を、地域の人々は分け合っています。しかし、団地の一階に住むこちらの方は、住居の近くに増えた水辺に湧くボウフラに悩まされ、考えた末に、その水槽でボウフラを食うメダカを飼うことにしました。このような食をめぐるた種と人の闘争があちらこちらで起きています。
空室となった部屋の床を吹き抜けにし、部屋の壁を二重にして温度を一定にした蔵を設け、みそや醤油、漬物などの発酵食品を作っています。団地の一階に住むこちらの女性は、団地外に住みながら蔵を借りる人たちに、水盆由来の地下水を使った味噌作りを教えていますが、彼女の手に住む常在菌が醸し出す特有の旨みは、誰にでも出せるものではないようです。

しかし、これはデザインや建築を数年間学んできた、とある人間の学生の妄想できる範囲の「ままならなさ」で、もはやままならなさでも何でもない架空のシナリオです。
実際に洛西ニュータウンに暮らしていると、そんな妄想を遥かに超える「ままならなさ」が、日々身近でどんどん起こる有り様です。

が、ここで私たちが伝えたかったのは、全てをコントロールし切ろうという欲望に一人一人が気づき、時に痛みを伴いながらもままならなさの渦中に放り出されることの新鮮みや豊かさ認識してほしいということです。

どちらにせよ行政にまちを作り変える体力もない中ので、放っておけばままならなくなるまちを捨てるも居続けるも個人の自由。それでも今あるまちとそれが置かれている現状をおもしろがりながら、共にあることを喜べる存在とともにまちをハックしていった先に、新しいみんなのためのまちが作れるのではないか。

コンペではあと一歩及ばす入選止まりでしたが、studio DANNは今後もそのような事を伝えられるように、また伝えるだけでなくそれを形にすることができるように、土地のみなさんと協働しながらこれからも活動を続けていきます。

洛西ニュータウン横の里山、大原野に向かう途中の道

2025.3.3
studio DANN 榊原


▶︎ 新建築Youtubeにて、最終審査の様子を収めた動画が公開されています。(34:00ごろ〜)

▶︎ コンペの概要は新建築3月号に掲載されています。


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