
卒団式の涙
はじめに
このnoteを書くにあたってもう一度自分が話している映像を振り返りました。やっぱり涙が出そうになるし今の自分が聞いてもハッとすることばかりだった。
「涙」という項目ではその映像で話していることを少しわかりやすくしながら書かせてもらいます。
ガンバ大阪ユース卒団式
2020年12月21日僕はガンバ大阪ユースの卒団式を迎えていた。この前日にガンバ大阪U23の全日程が終わり晴れて卒団だった。
僕はいつも通り寮からクラブハウスのあるスタジアムへ向けて仲間と最後の時間を過ごしていた。「ほんまに卒団するん?」みたいな雰囲気だった。
この時まさか自分が泣くとは当然思うはずなかった。
卒団試合
よくある卒業生を送る試合だ。僕はこの前の年先輩の代で自分が主役かのように監督の真似をして盛り上げた。僕自身が楽しむのはもちろんだったけど最終的に先輩やコーチ陣からも好評で何よりだった(笑)
そして自分が卒団する代になったのでより一層楽しんだ。何より吹田スタジアムという最高の舞台でサッカーができるのを噛み締めたかった。誰よりも走って誰よりも声出して誰よりも多く審判に抗議した(笑)
最高の時間だった
卒団ビデオ
新型コロナウイルスの影響で室内でのビデオ鑑賞ができなくなり、不幸中の幸いでスタジアムの電光掲示板で見れることに。後輩の先輩に送る言葉(一発ギャグ)や今までお世話になったスタッフからのお話をいただくビデオを見て自分の名前が呼ばれてまぁまぁ面白い一発ギャグをされる(笑)去年までは画面の向こうで自分がやっていたのに今年はやられる側かと思うと卒団する実感が湧いてきていた。
卒団生からの言葉
背番号順で呼ばれたので僕は1番最後だった。
恥ずかしそうに親への感謝を述べたり、胸を張って自分の夢を口に出す仲間を見て大トリの俺が最後にかましたんねん。
そう意気込んで何話そうか悩んでた。頭にはたくさんのことがよぎってワクワクしてた
そして自分の番が回ってきた、隣にいてた仲間に「何話すねん」「大トリやん」と煽られていざマイクの前に立つ
マイクの前に立つと全てが真っ白になった。
緊張ではない、夕日も落ち暗くなったスタジアムで観客席を見ると、平日なのに駆けつけてくださったサポーターの皆様と両親、後輩とスタッフ陣。そして苦しい時は一緒に愚痴ってそれでも頑張って戦ってきた仲間の姿が見えた。
そして入場エリアには当時U23監督だった森下仁志さんが目に飛び込んだ。
涙
つい30秒前までかましたろうって思ってた気持ちより「あ、ほんまに最後なんや」って気持ちがほんの少し上回った。
するとガンバで過ごした6年間の思い出全てが頭のあらゆる引き出しから出てきた。
まず僕はサポーターの方に足を運んで下さったことに感謝した。
次に親に感謝を述べようとした。
この時には新潟医療福祉大学への進路は決まっていたので遠いところに進学したいという僕の意見を尊重してくれたことに対して感謝したかった。
でも感情がそうはさせてくれなかった。二言目で涙が出て言葉が詰まった。
高卒でプロになはなくて申し訳ない
その悔しさの涙だった。寂しさからの涙ではなかったのは今でも鮮明に覚えている。
これから松代コーチについても話すのでまだ見ていない方は途中でも構いません、見てほしいです。
https://note.com/studentgk1/n/nd39c6bf1de12
ここから下は当時話したことに基づきます。
ジュニアユース(中学生)に入団してからレベルについていけずに悔しい思いをたくさんしたので絶対に見返してやるんやという気持ちでユースに上がったけど、自分のメンタルの弱さに気づくことができました。プレーに波があったので、試合に出れないこともあり不貞腐れて練習も真面目にやらない日があったことを今ではすごく後悔しています。
そして今年に入って、トップチームの選手が続々と怪我をして自分がJ3リーグの大阪ダービーに出場する機会をもらえてトータル5試合出さしてもらえたけど、結局勝ち点が取れたのはその大阪ダービーの勝ち点1だけ。
後々になって僕自身の6年間の積み重ねが、勝ち点1に繋がったんだと考えました。
もっと真剣に日々の練習をして、腐ることなくプレーできていたらもっと多くの勝ち点を取れる選手になれたのではないかと思いました。
そして勝ち点が取れない自分からプロの一森純選手や石川慧選手が降りてきた時に試合前のアップに対する姿勢を見て1試合1試合に命をかけてプレーする人はこんなにも準備をするんだと知るとことができたと同時に自分のしてきたことはなんて未熟だったんだろうとすごく後悔しました。
それでも自分の人生の分岐点はFC岐阜戦にあったと思います。
グラウンドが水浸しで僕はボールが一切蹴れなくて相手の監督に向けて蹴ってんのかってぐらいベンチに蹴り込んでいました。
そして試合は負けて完全に僕は戦犯になった。
そして森下監督は僕に「お前しかおらん顔上げろ」と一言。僕は本当に悔しくて初めて試合に負けて泣いた。
その日からU23の最終戦までの半年間ずっと毎日練習の30分前にグラウンドに上がりボールを蹴り込んだ。
すると雨の日でもボールを蹴れるように成長した。
本当に僕は気づくのが遅かったんだな
松代コーチがユースに上がった僕を見て「全然変わってないやん」と言っていたそうで全然俺あかんやんと思ったけど、最後に感謝を伝える手紙に松代コーチを選んで
絶対に見返す
と書いたのでどこかで聞いていたら絶対に忘れんといてくださいね。
ということを伝えて終わりたいと思います。ありがとうございました。
と5分間スピーチしていました。
最後に
長々と書いたnoteを最後まで読んでくださりありがとうございました。
僕は下手くそで少しのことで崩れてしまうメンタルも弱い人間です。
でも行動力と上昇志向のポジティブな性格でSNSをチャレンジしたり、たくさんの人と話すことで自分の夢を明確にすることも可能としてきました。
卒団式で流した涙を裏切らないように圧倒的に上手くなる必要があるし
ネガティブを打ち返すようなメンタルを作る必要があります。
見返す
やっぱ変わったな、成長したな、吉川直輝がほしい
そう思わせられたら僕の勝ちで見返すことができたと言えるでしょう。
その日まで僕はひたすらに進み続ける
最後まで読んでいただきありがとうございました。
最後に僕が書いた後輩に送る10の言葉を載せます。
字が汚いのはご了承ください
Thank you for reading
これからも吉川直輝を応援よろしくお願いします。