ほんの少し

【エッセイかもしれない】

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最近の記事

14年前の君へ

拝啓  最近始めたバスケットボールは楽しいですか。 君はぼんやりと“将来はバスケットボール選手になろうかな“と思っている頃でしょう。 その夢は叶いません。 別に諦めた訳ではないです。多分、あと10cmの身長があれば、その夢を叶える努力を今も続けていたと思います。もしかしたら、進学先の選択を別の学校にしていたら、その夢を追い続けられたのかもしれません。 でも、これからの君の決断は、その夢を叶えるためではなく、“素敵な人たちとの出会い“のためにあります。その夢を叶えるよりもず

    • なぐり書き

      2024年7月20日 いつまでも、将来に期待している 想像している ずっと何者かになれると信じている なりたいもの、やりたいことは山ほどある 昔から変わらず考えている “将来、何しようかな“ ずっと考えている でも、最近気づいている あの頃の将来は「今」だ。 あの頃の私へ、 “将来、何者にもなれていないよ“ まだ同じことを考えている “将来、なにしようかな“ こうやって考え、理想の未来を想像している自分に対して “何者にでもなれるとでも思っているのか?“ “もう、何

      • なりたい

        2024年6月2日 私が頑張る意味を考える 今、私が頑張る理由は、誰かの目標になりたいから。 皆、夢をみるのと同じように、なりたい人がいる、ことが多い。 私にもなりたい人がいる。 もちろん、私はその人にはなれない。それでも、そのなりたい人に少しでも近づこうとすることで、自分が理想とする誰かになろうとし、何かを得ようとする。 なりたい人は一種の目印である。 目標とする人がいることは、字面よりも目標が具体的になる気がする。 私は誰かのそういう人になるのが目標である。 それは

        • 宿題を出さなかった自分

          2024年5月29日 ずっと評価されることに晒されている。 小学生の頃から、ずっと。 私の行動や思考に対して、○をつけられ、点数化される。 それがストレスと感じることは、割と少なかった。 多分、親のおかげだろう。 私の親は、私に対して「良い点数をとれ」とか「勉強をしろ」とか言ってこなかった。 (まあ、覚えていないだけかもしれないが) 勉強に関して言われたことがあるのは、「宿題を朝にやるな」ぐらいで、私はそこまで真面目な子ではないので、小学生の頃から宿題を出さないことも

          行くかどうか、3回くらい悩んだ時の服

          2024年5月28日 今日は雨だったのに、学校を公欠して行かなくてはならない集まりに参加した。 正装をしていたから、傘が似合わなかった。 その集まりは午前中で終わってしまい、午後から学校に行けた。 時間があったので、一旦家に帰った。 正装を脱いだ時、ハンパない解放感と共に“このまま家にいたい“という気持ちが押し寄せてきた。 あ〜もう午後の授業も欠席しようかな。雨だし。 でも、行かなくては。そう思う自分もいた。 仕方なく、休日用の私服に着替えてみた。 (ちなみに私には、

          行くかどうか、3回くらい悩んだ時の服

          続けることの呪い

          2024年5月27日 続けること 継続力 確かに続けることで見えてくるものはたくさん。 ただ、続けているだけなのに。 しかし、私は最近知ってしまった。 続けてきたことで辞めるハードルが上げている。 辞めることを考えながら続けるのは辛い。 だんだんと続けることが呪いのように思えてくる。 あんなにも楽しく好きで続けてきたはずなのにな。 続けることは呪い。私にまとわりつく、、、

          続けることの呪い

          しゃべりすぎる

          2024年5月25日 気分が高揚する 安心できる人 なんだかしゃべりすぎてしまう しゃべりすぎていいことはない あとから振り返って、あー言わなきゃよかったって思う でも、言わなくてよかったかどうかは 相手に委ねよう

          しゃべりすぎる

          広告が煽ってきます

          2024年5月24日 サブスクが流行り、有料プランに加入すると広告を見なくて良いというシステムが多くなってきている。 広告で、課金すると広告がなくなるというものまである。 すごく煽られていることに今日気づいてしまった。 この広告が鬱陶しいと思うなら、課金したまえ。 と広告で言われているのだ。 めっちゃ煽ってきている。 笑ってしまった。 まあ、課金しないのだが。

          広告が煽ってきます

          エスカレーターって結構パーソナルスペースが可視化されるよね。

            2024年5月23日 人との距離って人それぞれですよね。 知らない人との距離は、特にそうですね。 そうそう。でも知っている人でも“距離感バグってんな“って感じる時あるよね。 たしかに。“うわ、パーソナルスペース侵してきてる“って思う時ある。 今日、電車で私と友人が立ってたら、途中で乗ってきた知らない方が、まあまあ近い距離でこちらを向いたまま立ち止まったの。 それはちょっと身構えるね。 うん。流石に怖くて、三角形だなって思った。 恐怖で思考停止したんだね。

          エスカレーターって結構パーソナルスペースが可視化されるよね。

          大人になったなと思った。

          2024年5月22日 大人になったな、とどういう時に感じるのか。 小さい子どもが、一人でいるところを見ると、 心配に目で追ってしまう時。 今までは感じなかった違和感があり、保護者を見つけては安心する。 いつからか、幼い子を見ると、面倒をみている大人はいるのかと探すようになっていた。 これが私の中の“大人“が顔を出す瞬間。

          大人になったなと思った。

          なんて、淡白な。

            2024年5月21日 私は淡白な人間なのかもしれない。と感じる時が多々ある。 例えば、食べ物を食べている時。 一緒に食べている人に「これ美味しいね」や「これ味薄くて美味しくないね」と言われたときに、“あ。そうだ“と気づかされる。 食べ物への感情。 “美味しい“と“美味しくない“というものがあったのだ。 私はどうやら食べ物をこの“おいしい“というベクトルで捉えるのを、いつからか辞めてしまったのだ。 そのため、「おいしい?」という問いにはとても困ってしまう。 食べ物は生命

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          テレビの字幕と心づかい

          2024年5月20日 テレビを観るときに、ついつい目で追ってしまう字幕。 喋っている人の言葉が文字起こしされている。 この字幕は必ずしも喋った言葉を全て文字起こしされているわけではないと気付いたのは、小学生の頃だった。 テレビの字幕は常にキーワードを抜き取っている気がする。 口語特有の部分は省き、文語として読みやすい文章になるよう、言葉を足したりしながら、字幕として映し出されている。 私たち視聴者は、音声と文字という視覚情報により、その言葉と出来事を読み取っている。 人間

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          流行と既視感について

          2024年5月19日 私は今季、人生で初めて大河ドラマを観ている。 そのドラマは、NHKで日曜日の午後8時から40分ほど放送されている『光る君へ』というもので、かの有名な紫式部や藤原道長を中心に、彼らが生きた平安時代の貴族の世界が描かれている。 歴史が特段に好きなわけではないが、平安時代の日本文化の始まりな感じはかなり好きである。 特に平安時代の文学は、昔の人の心の中を覗かせていただく感じが好きである。 『光る君へ』に私はどっぷりハマり、日曜の夜が楽しみになった。 そし

          流行と既視感について

          予定通り

          2024年5月18日 予定を立てる。 予定通りにいかない、予定を変更する。 予定を変更することに快感を感じる。 でも、自分の予定を他人に乱されるのは、なんだか許せない。 フラストレーションが溜まる。 自分が勝っている。 ただ、その感情は怒りではない。 なんで私が合わせなくてはならないの?と考えるだけ。 その後、どうすれば私の予定の原型をとどめられるのかと考える。 その際、自分の予定と相手の予定の折衷案が思いついた時、とても嬉しい。 自分が勝っていない。

          本編の前に始まりそうってなってから、もうひとくだりあるよね。

          2024年5月17日 私は映画を観ることが好きだ。 映画館で観るのが一番だが、 近頃は配信限定の作品も多く、家で観る機会も増えた。 映画館へは基本ひとりで行く。 映画を観に行く友達がいないのは事実だが、 一緒に観にいく友達が欲しいとは思わない。 楽しい時間は誰かと共有するべきという考えには同意するが、 映画を観た後に何かをすぐに話さなくてはならないのは、とても辛く感じる。 観ている途中に、帰りの会話について考えてしまって、映画に集中できない。 というわけで、私は面白い

          本編の前に始まりそうってなってから、もうひとくだりあるよね。

          受け身でいたい、お年頃。

          2024年5月16日 朝、学校の最寄駅で降りて一人で歩いて学校へ向かう。 電車では同じ方面へと向かっていたはずなのに、 改札を出た途端、それぞれの目的地へ向かってチリジリになる瞬間、少し寂しくなる。 同じ方向に向かっているのは、私と同じ学校へ通う人たち。 教室に入れば、学習活動で同じ班になれば、必要に迫られれば、話す人たち。 「おはよう」と言ったら、一緒のペースで歩いて、学校に向かわなくてはならない気がする。 それは嫌ではないけど、朝一番に人と会話する脳も元気も持ち合わ

          受け身でいたい、お年頃。