第三幕「鎮魂歌」

 そびえ立つ巨大なビル。見上げる僕自身が、人間に対する微生物のような感じだ。大気変動のおかげで、きれいな夕焼けが今では毒々しいまでの原色の空を、神の許しもなく生み出している。そして、まるで最後の審判を待つような、渇いた静けさが広がっていた。
「最後の審判、か……」
 この地球に残る人々は皆、そう感じるだろう。開拓団に志願しないところを見ると、頑固者で自分本位で、本当に人間らしい人たちばかりだ。自分の生まれ故郷を見捨てる奴なんて、自分のすべてを捨て去るようなものだ。僕はそれでよかった。家族も何もかも、この星で奪われてしまったのだから。
 幼い頃に思い描いていた未来的なビル。宇宙開拓。この僕が、もうすぐ憧れの宇宙に出るのだ。物語みたいな都合のいい経験ができるなんて思ってはいないが、ここにいるよりは、大袈裟かもしれないが、生き甲斐を見つけられそうだ。大事なものが何もない僕にとっては。
 目の前の建物は、国際宇宙開拓連合本部だ。I・U・S・F。大仰な名前も、僕は結構気に入っている。紅い光がガラス張りの壁面に反射して、流れる雲を不気味なぐらいにはっきりと映し出していた。人影はもうない。出発は明日だから、皆準備に大忙しなのだろうが、僕は準備なんてしなくていい。持っていくものは僕自身だけだし、僕の班は現場調査兼医療管理で、そろえるものはみな昨日のうちに搬入し終わっているし、最後の詰めと称して、僕を除いては皆アルコール摂取に余念がなかった。あれだけ忙しかったのが嘘のようだった。だから、ここに僕以外の人間がいるなんて、思っていなかった。
「あれえ、なにやってんの」
 この紅い世界に不釣り合いなよく通る声に、僕は少し驚いた。振り向くと、ブロンドのショートヘアがよく似合う、食糧班のキムがそこにいた。彼女は小首を傾げる可愛らしい仕草をしながら、本部棟の前の階段を上がってきた。僕の頬が熱くなる。
「べ、べつになにも……。そっちこそここで何を? 散歩するほど暇でも無責任でもあるまいに」
「あるまいに、なんてうちの爺ちゃんでも使わないって」
くすくす笑う。まだ十代の彼女は、仲間内でも人気者だ。男にも女にも人気がある。そう、昔の言葉で言えば、顔良し器量良しというところか。
 キムが僕の前を過ぎていく。仄かないい匂いが、彼女の揺れる髪から漂ってきた。赤色に染まる彼女の姿が、神々しいものに感じられた。
「あたしはね、最後のお話をしてたの。爺ちゃんと」
「お爺さんと?」
「だって、あたしがいなくなったら、爺ちゃん、独りだもん……」
 じっと本部棟を見上げたまま、キムは静かにそう言った。彼女には失うものがある。開拓団のみんなだって失うものはある。僕にはない。あるとすれば、大地との絆、か。生きとし生けるものの必要不可欠な、大地の恵みを失う。だが、ハルマゲドン寸前のこの惑星から受ける恵みなど、命尽きてもないだろう。その責任が、我々言語を持った二本足の猿だとしてもだ。……くそったれ!
「でも爺ちゃん、満足してるって言ってるから、あたしは行けるんだ」
 後ろ手に手を組んで、キムはくるっと振り向いた。目を細めている。その陰で流された涙を、僕は知る由もない。知ったとしても、何もしてあげられないのだ。同じことを経験した僕には。
 あの日、暴徒と化した難民が街になだれ込み、焼き払い、略奪を繰り返した。際限がなかった。統合政府は何の打開策も生み出せないし、慢性的な食糧不足や、民族の対立など、もうどうしようもなかった。
 そして、目の前で家が焼かれ、抵抗した親父とお袋は銃の乱射を受け、妹は陵辱されたあげくに殺された。僕自身、身体に何発も銃弾を受けたが、政府軍の鎮圧部隊に救出され、九死に一生を得た。そう、政府は、軍は、力で制圧するしか、能がないのだ。しかし、彼らの立場にしてみればどうしようもないことも、わかってしまうから、誰を憎むこともできない。最近、自分が発狂しないのが、逆にどこかおかしいと感じ始めた。
「君がいるから、かな……」
「えっ」
 僕は何も答えず、ただ、微笑み返した。彼女はそんな僕を不思議そうに見つめ、少しはにかみながら、頷いたのだった。

   ◇ ◇ ◇

 絶滅寸前の地球から抜け出した、哀れな子羊たちがこの星に到着して、もう一カ月が過ぎた。資源も豊富で、人類が移住するにはもってこいの環境だった。ただ、どうにかして克服しなければいけないことが幾つかあった。熱帯性の気候と病原体蔓延、そして……。

「あああっ」
 〈それ〉が姿を現したのは、僕たちが林の中にある小さな湖でバカンス気分を楽しむための準備として、パラソルとデッキチェアとバーベキューセットを用意した時だった。突然、木の上から何かがどさっという音とともに落ちてきたかと思うと、通信班のダイアナから悲鳴が聞こえた。彼女を見た瞬間の凍り付いた空気を、そしてダイアナの姿を、僕は忘れることが出来なかった。何かゼリーのようなものを身体に纏わせていると認識したかしないかの次の瞬間、しゅうという音をたてて煙が立ち、彼女の顔が、髪が、自慢の胸が、足が、溶けているのだ。
「Jesus……!」
 ユニットリーダーのカルロスがくわえていたタバコの灰が崩れ落ちる。ダイアナの一番近くにいた黒髪のレイリンと小柄なキムの顔が、ゆっくりと恐怖に歪んでいく。高温多湿のせいで溢れ出す汗が、自分の背骨を伝って落ちていく。どこか遠いことのようにそれらを認識している自分を、さらに外から見ているもう一人の自分がいることに、場違いにもひどく感心してしまった。
「Noーッ!」
 パニックになった。レイリンのその叫び声が皆の意識を呼び戻したはいいが、かえって混乱を招いてしまったことにもなる。武器を持ちだし乱射する男、悲鳴を上げながら走り去ってしまった女、逃げまどう人間とダイアナを助けようとする人間と、呆然と為す術もなく佇む僕。
 〈それ〉はいまや完全にダイアナを「消化」し尽くした。骨も残っていない。〈それ〉は自己の意識があるかの如く、草の生えた地面をゆらゆらとしていたが、すぐに腹が減ったのか獲物を定め、跳びかからんとしていた。そしてそこにいたのは、キムだった。
 〈それ〉が何なのかはまったく分からない。生き物なのかでさえ、疑問に思ってしまう。しかし、キムが死神に狙われていることは、本能でわかった。そのとき僕が、バーベキュー用の点火ボンベを持っていたことは偶然に過ぎなかった。何か奇声を上げてキムに駆け寄り、とにかく手にしていた物をぶんぶん振り回して、気が付くと〈それ〉の姿は跡形もなく消えていた。つんと、肉が焦げた臭いだけが、湖畔のキャンプ場に漂っていた。
 その場に残った誰もが、言葉を失っていた。一体誰が、こんなことを予想したというのだ。この星は先遣調査で、危険率が基準以下の、安全な星じゃなかったのか。
 僕の背に、キムの体重が感じられる。深い息遣いが、身体の震えが、彼女の命を感じさせてくれた。
「大丈夫かい?」
 しだいにしゃくりあげてくるキム。背中から僕を抱きしめる腕の強さが、僕を安心させてくれた。止まっていた時間が、動き出した。黒人のロイが、銃を肩に預けて僕たちに近づいてくる。ラテン系のカルロスが、残った隊員に帰投準備を命令した。同じ日本人のサトウも、心配そうに駆け寄ってきた。
「織江、大丈夫か」
「僕はいい、後ろの二人を……」
「オーケイ。マリコ、二人を頼む」
 サトウと気の合うマリコが頷き、キムとレイリンを連れていった。サトウとマリコは恋人なのだろうか。以前から気にはなっていたことだが、いまいち確信が持てない。そんな余計なことを考えていた。
「おい、何だよ今のは」
 ガムをくちゃくちゃと、ロイが興奮した口調で言った。顔色がさすがに良くない。額に浮かぶ汗は、この蒸し暑さのせいだけのものではないだろう。無論、僕もそうだろうし、みんなそうだろう。
「解るわけないだろう、知ってたらあんな無様に喚き散らすもんか」
「お前はどうしてそんなことばかり……んなこたぁいい、オリィ、お前がバーベキューにしたあれ、気づいたことないか」
「……頭の中真っ白だった。僕が焼いちまったのか」
「しかしお前よくやるよ。危なかったんだぜ、一瞬でも遅れたらダイアナみたいに……」
 ロイはそこではっとして口をつぐんだ。作業をしていた人たちの動きも、僕たちの表情も、重く、苦しいものになった。大きく息を吐き出して僕は空を仰ぎ見た。綺麗で、何もかも突き通すような空の蒼と、もこもこと発達した雲の白が、鮮やかに、木々の間から見えた。何故かそれが、僕には嬉しかった。

兄さん助けて。目の前で妹の衣服が引きはがされていく。醜悪な男たちの息遣いが僕の怒りを増長する。やめろ貴様ら。妹をはなせ。振り向いた一人の男の手に握られていた拳銃が火を噴き、何も出来ずにいた哀れな兄を撃ち抜いた。目の前が真っ赤になる。ぱしぱしと妹の頬が鳴った。すすり泣く声。やめろ貴様らっ。びりびりと衣服が破ける音がした。いやあああっやめてええっ。やめろおおおっ。

「ちょっとどうしたの。オリィ、ねえってば」
 ふと気が付くと、僕はブロンドショートのキムの上にのしかかって、彼女の衣服を引き裂いていた。何てことを……!
「あああっ、ごめん! 今更謝ってもしょうがないけどごめん! 弁解のしようもないっ!」
 ベッドから跳び退き、僕は床に頭をこすりつけた。荒い呼吸のまま、彼女は身体を起こし、僕を不思議そうな目で見つめている。
「オリィ、どうしたの? 疲れてるんだったら、無理にとは言わないけど……」
 あくまで優しい彼女の声に、僕はそこで初めて、回りを見渡した。無味乾燥な部屋。デスクとインターホン、背の高い観葉植物が目に入ってきた。ここは……どこだ?
「パートナーがいても必ずセックスしなくちゃいけないなんて決まってないんだし、だから……」
 そうか。もう、目的の惑星での生活が始まっているんだ。そして、あの正体不明の生命体に不幸な女性隊員が襲われて、もう一週間もたっているのを思い出した。空調の緩やかな風が、僕の前髪を揺らす。彼女ははだけた衣服をそのままに、僕の方に歩み寄ってきて、隣に腰を下ろした。
「どうしたの? もう怖い夢は終わったわ。あたしの胸の中で眠りなさい」
「キム……」
「オリィ、大丈夫よ」
 彼女は僕を優しく抱いてくれた。暖かい彼女の体温を感じると、今までの動揺が嘘のように静まっていく。
「あたしも、いきなり乱暴にされたからびっくりしただけ。あなたのせいじゃない。誰でも、むしゃくしゃする時だっ……」
「……そうじゃないんだ、今……」
キムは言葉を止めてじっと僕を見つめている。何か驚いている表情だ。僕が何かしたというんだろうか、って当たり前じゃないか。無理矢理彼女を抱こうとしたのは僕だったんだ。認めたくはないけど。
「何故泣くの?」
「え……」
 何を言うのか、と言おうとしたら、キムは綺麗な細い指を僕の頬に当て、きらりと光る雫をすくった。
「あ……」
 自分の涙を見るのは初めてだ、などと場違いなことを考えたりもしたが、彼女に告げるべき言葉が見つからなかった。さらに目頭が熱くなって、もう何がなんだか分からなくなってきた。
「あ……キム……キム……」
 目の前の女性を求めてしまう。誰でもいい。この僕をどうにかしてくれ。手を伸ばして、触れるものすべてを、僕は抱きしめた。彼女の腕が、僕の背にまわされるのを感じた。何で僕はこんなに悲しいのだろう。どうしてこんなに人恋しいのだろう。
「……あたしがそばにいるから、大丈夫……必ずそばにいるから」
 そんな彼女の言葉が、どうして寂しく感じるのだろう。

 結局、全体会議ではこの星の調査活動は続行されることとなった。あの汚らわしい水の生き物の調査研究もしなくてはならないからだ。つまり、生け捕りにしなくてはならなくなったのだ。あんなもの、誰が好き好んで持って帰りたいなんて思うものか。まして、どんな細菌が付着していないとも限らない、この星のことはいまだに未知の部分があるというこの状況で。
 そんなわけで、僕たち調査兼医療班がやたら厄介な仕事を押しつけられてしまった。

 そして。

「いたぞ!」
「何とか生け捕りにするんだ」
「……ふざけんな! 手前ぇがやれってんだこのプッシー野郎が!」
 軍隊所属のハロルドが唾を撒き散らして喚いた。こんな状況、誰だって嬉しくない。ただでさえ蒸し暑いのに右も左も分かってない僕たちにそんな無理難題を押しつけて、本部は現場のことなんかあまり気にかけていないようだった。うっとうしいぐらいに木々がそびえ立っている。陽の光さえまともに差し込まなかった。足場も悪い。何度も何度も汗を拭いながら、なるべく体力を消耗しないように僕はその場にうずくまった。
「ここは僕がやる、ハル、行ってくれ。殺したってかまわないさ」
「任せた! サトウ、お前ぇの言うことなんか聞いてられっか!」
 ぬかるみに足を取られながら、ハロルドは『異星生物』の逃げた方向へ走っていった。幾人かが彼の後を追いかける。
「サトウ、君も行ってください。ここで固まってたら、〈奴ら〉に襲われるかもしれない」
 苦虫を噛んだような顔をしていたサトウは、僕の言葉には冷ややかな視線で応えた。彼としてはパートリーダーとしての、下士官としての責任が、立場があるのだろう。それは僕だって解っていたが、そんなことを言っていてもどうしようもない。
「いつからお前がリーダーになったんだ? いつからハルがリーダーになったんだ? 組織の中で勝手に走られちゃあ……」
 自分が迷惑だとでも言うのか!
「ほかの部隊との連携が崩れ、成功する確率の高いこの素晴らしい作戦も、ただの言葉のやりとりの結果に終わってしまうんだ!」
「二人とも! 喧嘩したって始まらないでしょう、今は何をすべきか、それが大事なはず……!」
「こいつは自分で死にたがってるに過ぎないんだよ」
 キムの叱咤を遮るかのようなサトウの言葉は、果たして僕に向けられたものだった。しかし本人にそんな気は毛頭ないし、そんなこと一度だって考えたことはなかった。それを彼に告げたら、
「じゃあ、ダイアナの時は何だ? あれのどこが自殺行為じゃないって言うんだ」
 サトウは僕の胸ぐらを掴んだ。つもりだったが、バトルジャケットに邪魔をされ、どんと僕を押した恰好になった。残った部隊の中に緊張が走る。
 湿気に濡れた草地に手をついた僕は、むっとしながら立ち上がった。キムの視線を感じた。
「昔に何があったか知らないけど、命をそんな粗末に扱う奴は、俺は大嫌いなのさ」
 さあっと吹き抜けた風に、僕はふと沈黙した。この目の前の、辛辣なリーダーは、ひょっとして僕のことを心配してくれているのだろうか。
 つんと、酸のにおいがした。辺りを見回す。が、何もない。首筋に手を当てて上を見る隊員の姿があった。その顔が、歪んでいく。そして、僕たちが硬直したわずかな隙を狙ったかのように、じゅる、という音が聞こえて、〈それ〉が落ちてきた。
 僕はとっさの判断がつかなかった。幸か不幸か僕には何の被害も及ばなかったが、仲間が何人も半透明のゼリーを身に纏った姿を目の当たりにして、何がなんだか分からなくなってしまった。
「オリィ!」
 キムの声で、僕ははっと後ろを振り返った。〈奴ら〉の一体が、そこにいた。その向こうには、キムが、下半身にヴェールを巻いた恰好をして僕に助けを求めていた。何てことだ!
「キム?!」
「オリィィ!」
「織江、動くな!」
 サトウの声。ふざけるな。キムが、ああ、キムが!
「キム!!」
 僕はキムに向かって走った。そこにいた〈奴ら〉の一体は僕めがけて跳びかかってきたが、僕は持っていた爆薬のピンを抜き、〈それ〉にぶち当てた。間に合わなかった。爆薬は〈それ〉に弾き返されあらぬ方で爆発し、僕は、身体にこびりついた〈それ〉とともに、キムの方に吹き飛ばされた。
 どさっと地面に投げ出された僕は、すぐさまキムの姿を探した。目の前に倒れていた。お互い、〈奴ら〉と交友を深めながら。濡れた草の臭いが、ものすごく懐かしく感じられた。
「オリィ……オリィ!」
 涙声でキムが必死に手を伸ばす。襲いかかる激痛。神経をむき出しのまま焼かれていくようだった。僕の視界も、何故かブレていた。
「……ああ……ああああっ」
「織江! キム!」
 サトウが必死に銃を撃って〈それ〉をどうにかしようとしているが、銃弾は〈それ〉の身体で受けとめられ、まったく効果がないようだ。
「あああっ、サ、サトウ……」
 キムの腕を掴みながら、僕は必死に声を出した。
「僕たちごと、バーベキューにしてくれ……」
「何を馬鹿な……!」
「早く! それしか……うああっ……キム、キムッ!」
 ふわっと、キムの腕が僕の首に回った。驚いて見ると、彼女はすすで汚れた頬を濡らしながら、確かに微笑んでいたのだ。
「……何を泣いて……あたしが……らずそば……にいるって……」
 身体の感覚はもうなかった。あるのは銃声と怒鳴り声と、キムの悲しい笑顔だけだった。キム、君まで失いたくないんだ。
「サトウ……早くしてくれえっ!」
 駆けつけたほかの隊員たちの声がする。大丈夫、みんながいる。そんな妙な安心感が、僕の中で生まれた。
「織江……許せ!」
 サトウの、身を切り刻むような声とバーナーの火炎の音が重なった。僕はしっかりとキムを抱きしめた。
「ご……めん、君を巻きこ……形になって」
「……オリィなら、許して……あげ……」
 僕は、心の底から、声を上げて、泣いた。失うものはすべて失った。これで、あの忌まわしい悪夢からやっと解放される……。

 ……何を泣いているの? あたしがそばにいるから。大丈夫、必ずそばにいるから……。


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