第四幕「囚われるもの」


 睨み合っている男が二人。一人は屈強な黒人の大柄な男。もう一人は、俺と同じ黄色い猿らしい。鍛えられてはいるが、どこかにしなやかさを感じさせる。
「おい、なんだありゃ」
 いつもと変わらぬ液体生命体の掃討作戦から帰ってきたらこの状態だった。見慣れた人間ではないので、かえって目立っている。確かこの前もこんなことがあったような気がする。
「さあ……ほら、二週間ぐらい前にこっちに転がり込んできたユニットがあったっしょ。そこの奴等じゃねえの」
「黒人てのは仲間意識が強いって聞いてたが、お前はそうでもないみたいだな」
「けっ、余計なごたごたには巻き込まれたかねえのは誰でも同じだろ」
 簡易テーブルに腰掛け、銃の点検をしていた黒人のフェイが露骨に不機嫌さを表し、俺の言葉に眼を細め唇を突き出す。童顔のこの男がやるとなんとなく似合うのだが、俺が真似をしたところで間抜けな顔にしかならないのは立証済みだった。
 ふと見ると、睨み合っていた二人が動いた。といっても互いに顔をそむけ、自分の装備を外しにかかっただけだった。しかし俺は、その二人の顔が今にも泣き出しそうな、半ベソをかいたガキのようだったのを見て、何となく興味を持った。
「案外、女のことだったりしてな」
「女? そんなんでこんなふうになるか?」
 フェイはただ物憂そうに肩を竦めただけで、それ以上は何も言わなかった。俺はフェイの言葉には反対票を投じたい。たかが女のことで、あんな、この世の終わりとでもいうような雰囲気になるものか。第一、女なんてものは、抱くためのものだ。何となく、ばかばかしくなってきた。
 二人が彼らのリーダーに呼ばれたらしい。サトウとロイ。二人とも俯きかげんのまま、自分の荷物を持って本部わきの洗浄ブースの中に消えた。やけに人数が少なかった。奴等の部隊はもう、五、六人しか残っていないらしい。彼らだけで一つの班になって、俺たちの部隊に吸収された。前の作戦で、奴等の部隊ともう一つの部隊はほぼ全滅に等しかったという。俺たちが同じことをやっても全滅だっただろう。奴等は運が悪すぎた。液体生命体のスウィートホームに入り込むなんて、本部の指示も正気の沙汰とは思えない。そんなことを、どこからともなく吹いてきた風の噂では聞いていた。運が悪いというだけでは片付かない何かがあるのかも知れない。それは邪推だろうか。
 目の前を黒髪の女が駆け足で通った。はっきりとは見えなかったが、眼の端にきらりと光るものがあった。涙? 女は洗浄ブースの前に立ち、サトウたちが終わるのを待っているようだった。落ちつきがない。わりと好みではあるが、押し倒したいとは思わない。その程度の女だ。
 突然、ごろごろと雲の中をまるで這うような雷が響いた。見上げるといつもの青い空はまるで見えず、灰色の雲が、今にも俺たちを包み込んでしまいそうなほどになっていた。
「一雨来るな」
 俺がそう言うとフェイは無言で地面に足をつけ、官舎に向かった。サトウたちのことなど、本当に何の関心も持ってないようだ。ついでに俺からも離れたがっているようだ。
 鬱陶しいほど生温かい風が緩やかに流れ、俺もフェイの後を追った。かなり大粒の雨滴が空から降ってきた。幾分早足で官舎の入り口に入り込む。身体に付いた雫を払ってふと気になって振り返ると、木々の間を縫って見える洗浄ブースの前には、まだあの女がいた。肩が震えていると思ったのは、俺の錯覚だろうか。
 洗浄ブースの扉が開いた。女が歩み寄り、必死になって訴えかけている。カートが、カートが、というような声が聞こえる。手を広げ、後ろの方を指さし、その場に崩れ落ちた。激しいスコールの中、何人かは女の指さした方に走っていった。馬鹿か。あれではもう一度洗浄ブースに入らなくては、この官舎には入ることはできない。走っていった人間の中にロイがいた。サトウは女を抱き起こし、すがりつく女を支えながら、ロイたちの後を追うために歩き始めた。何か諦めを感じさせる歩き方だった。
「イイムラ伍長、あとで第二会議室に来て欲しいのだけど」
 女の声。聞いた瞬間から俺の身体から嫌悪感が溢れだした。振り返ると、絶世の美女とうたわれるサミィ・マクドガル少佐がそこにいた。ロビーの明かりを受けて、金髪が輝いている。この女は、奉公滅私というプログラムで動いているロボットではないかと思えるほど、自分をひた隠しにしていた。仮面の女。密かに俺はそう呼んでいた。それでも、師団内の人気はナンバーワンだ。しかしそれでも、俺はこの女が嫌いだった。何故この女が俺のような人間に直接言うのか。
「何故、でしょうか」
「貴男自身がよく知っていること、とでも言っておきましょうか」
 軽く微笑む。身に覚えがありすぎる俺としては、何の危機感も持たなかった。軽く頷いて、自分のプライベートルームに向かう。
「悪いようにはしなくてよ」
 少し媚びを含んだ声で、サミィ少佐は俺の背中に声をかけてきた。俺に媚びて何になる。ばかばかしい。

 サミィ少佐の呼び出しに応じると、この星に来て何度目かの軍法会議を受けさせられ、俺はあのサトウとロイの班に配属された。なるほど、悪いようにはしない、か。
 軍法会議。そういう威圧的拘束的差別が無意味だということは、俺たちが破壊してしまった地球で学んだのではなかったのだろうか。どうでもいいが正直なところ、コールドスリープを解かれた瞬間から、俺は何もかもがばかばかしくなっていた。

 〈それ〉は今、俺の目の前にいた。ゆらゆら、というよりはぶよぶよと揺れているように見えた。背の高い草の陰になって、危うく見逃すところだった。額から流れ落ちる汗を拭って、自動小銃の照準を〈それ〉に合わせた。毒薬入りの弾丸が、後五十発入っている。予備の弾はたっぷり持っていた。
「待てイイムラ、敵意がなければ何とか生け捕りにしたい」
「……馬鹿かお前は! 敵意があるないなんてわかるわけねえだろ!」
「それが命令なんだからしょうがないだろう!」
「そんな命令クソで丸めて喰っちまえ!」
「俺だってそうしたいさ!」
 包帯でぐるぐる巻きのカートの言葉に、俺とサトウは喚き散らした。サトウが、クソに丸めて、などと言うとは驚いたが。
 カートが何でそんな状態でここにいるのさえ説明がつかないことだった。どうやら本部は、俺たちを厄介者扱いしていて、ここで全滅すればいいと考えているようだ。これは被害妄想ではない。疫病神。そう呼んでいるのを、官舎内をわたる貿易風に乗って囁かれる声が教えてくれた。クソで丸めて喰っちまえ。
 ロイが問答無用でバーナー銃を〈それ〉に向け、焼き尽くした。つんと、酸のような、それでいて肉の焦げるような臭いがあたりに充満した。密林特有の臭気に混ざって、何とも言えない気分になってくる。風が吹かないので、俺たちが移動するしか、この素晴らしい環境からは抜け出せない。
 数瞬、サトウとロイが視線を合わせた。合わせただけで何事も起こらず、黙ったままリーダーのカルロスの後に付いていく。期待はずれだったがおくびにも出さず、俺も後を追った。
 二人の間に何があったのか、他の人間に聞いても知らないの一点張りだった。本当に知らない奴と知っていても喋る気のない奴がいたが一カ月近く一緒に行動していると、おのずと見えてくるものがある。フェイの言ったとおり、二人の間にあるこんがらがった糸のようなものの原因は、男が追い求めてやまない人種のようだ。怪我が酷いカートでさえ、毎夜の如く、奴のそばを歩いている黒髪のレイリンと一つの部屋に消えるというのに、変なところで純なガキの二人は、女を口説こうともしなかった。馬鹿かお前らは。俺は以前そう言ってやった。死んだ女のために何ができるってんだ。自分に正直に生きようぜ。それが任務でもあるんだし。
 その時、ロイは額に青筋を立ててすごい形相で俺を睨み付け、サトウはただ、悲しい瞳で俺を見て何かを押さえつけるように瞼を閉じただけだった。それ以上、俺に何が言えるというのだ。まったく、ばかばかしい。
 俺が考え事をしている間も無言の軍行が続いた。薄暗い木々の間を、ぬかるみに動きを封じ込められ、濡れた草に足は滑り、湿った、まとわりつくような空気に発狂しそうになりながら、〈それ〉を追いつめる。一体どれだけの距離を歩いけばいいのか。
「……休憩ポイントだ。一休みできるぞ」
 カルロスの言葉も、何の慰めにもならなかった。それでも身体は休息を求めていた。俺は大きく息をついて上を仰ぎ見た。広葉樹の葉の隙間から青と白のキャンバスが見える。倒れている大木に腰掛け、ポケットから煙草を取り出した。
「一体何で俺たちはここにいるんだ?」
 気づいたら俺は呟いていた。誰も答えようとはしなかった。答えを求めていたわけではなかったが、答えないのではなく答えられないのだと思った。答えてもしょうがないのかも知れない。
「開拓団は、どうなったんだ。いつから俺たちは怪物ハンターになったんだ?」
「……仲間が、〈奴ら〉に殺されたから」
 カートが弱々しい声でそう言った。言って虚しい言葉とは、この言葉だろう。俺も虚しくなってきた。
「それが今の俺たちに対する、命令だからさ」
 サトウが失笑した。ロイはガムをくちゃくちゃと、何か不機嫌そうだった。カルロスや他の奴はじっと自分の足もとを見ている。これが軍隊なのか。本気でばかばかしくなってきた。それでも、俺は軍人だった。
レイリンがカートの包帯を替えている。少し腰回りが豊かになったように見えるのは気のせいか。銃の点検をする。装備の確認。本部との連絡。時間の計算。汗を拭い、水を飲む。何もかも投げ出したい。
「惑星活性化装置は、この近くだったよな……」
 ぽつりと洩れたカルロスの言葉。俺は煙草をもみ消して、冗談のつもりでこう言った。
「惑星活性化装置、ですか。そいつぶっこわしちまえば、〈奴ら〉を追いかけなくて済みますね。この星が無くなっちまうし」
 沈黙が降りた。我がリーダーとレイリンは俺を凝視した。サトウは次第に大きく目を見開いていく。俺はそんな重大なことを言ったのか。ロイはガムをぺっと吐き出した。
「俺たちはそれでいいかも知れねえが、レイリンの腹ん中の分身には、生きる権利があるんだ!」
「……何マジになってんだよ」
 正直、ロイが怒鳴ったことよりその言葉の方に驚いたと同時に納得したが、そんなことを言っている状況ではないらしい。
「ジョークだよ、ジョーク」
「生きる奴がいるこの星を消すなんて、誰がそんなことしていいもんか!」
「……だから馬鹿だと言われるんだ」
 サトウの言葉が、不可解な緊張を俺たちの中に投げ込んだ。
 立ち上がった二人が対峙した。今にも泣き出しそうなロイと、今にも何かを叫びだしそうなサトウ。二人の異常な迫力に、俺を含めた周りの人間は唖然とするばかりだった。この二人は結局相いれないのだろうか。
「そんなにあいつの匂いを残しておきたいのか」
「……誰もそんなこと言ってないだろう!」
「惑星活性化装置、グッドアイデアだ。すぐにでも暴走させてやりたいぜ」
「お前はどうしていつもそうなんだ! そうさ、あの時だって……!」
「あの時は関係ない! お前だけが感情的だとでも思ってるのか!」
「どうしてだよ! どうしてお前はそうやって!」
「そうよ! どうしていつも二人はそうやって傷口ひろげて自分を責めようとするのよ!!」
 レイリンの甲高い声が、固まった空気を切り裂いた。カートがレイリンの肩に手を置いてなだめるが、彼女はそれを振りきり、小さな身体を二人の間にこじ入れた。こんな時、俺のような奴は黙っていた方がいいようだ。
「何がしたいわけ?! イイムラじゃないけど、あんたたち何でこんな所にいるのよ! マリコはもうここにはいないのに!」
「誰もそんなこと……」
「あたしのお腹の中にはカートとあたしの子どもがいる。あたし、それを守るためなら何でもする。誰がいなくなっても、やるべきことは分かってるわ! 誰がいなくてもよ!」
「レイリン……」
「彼女のことをずっと忘れない。……それじゃいけないの?」
 声をつまらせながら、レイリンが二人を見上げた。きつく閉ざしたはずの唇が、小刻みに震えている。汗か涙か分からない滴が、頬を伝い顎できらりと光った。
 じゅる、という音を聞いたときはもう遅かった。その光景はスローモーションのようにはっきりと見えた。
 カートが何か喚きながら三人に猛然と駆け寄ろうとしていた。半透明のものがレイリンを押し倒した。ロイとサトウが弾きとばされ、無様に尻もちをついた。カルロスが自分に向けてバーナー銃の引き金を引いた。いくつもの悲鳴が重なった。
「Damn……!」
 俺も殺気を感じ、振り向きざまに銃を撃った。〈それ〉が空中でとび散ってしまった。降りかかった部分が溶かされていく。急いで、付着した〈それ〉の分身を引きはがした。
「レイリーンッ!!」
 カートの叫び声が、木々に反射する。カルロスのいやな叫び声がそれに重なり、次第に聞こえなくなっていった。すぐさま誰かがバーナー銃で〈それ〉を蒸発させた。
「ううおおおおぉぉーっ!」
 ロイが発狂したように、涙を流しながら〈それ〉を駆逐する。サトウがカートを引きずり後退していく。俺もそれを助け、何匹か〈それ〉の存在をこの世から無くした。
「レイリン! レイリンッ! わああああぁぁっ」
 もがき、何とか最愛の女性がいた場所にカートは行こうとするが、どこにそんな力があるのかと思えるサトウの拘束を解くことができずに、更に暴れだす。
 知らず知らず俺も叫んでいたらしい。わけの分からない怒りがこみ上げてきて、〈それ〉を見つけては暗殺によく使う薬品の入った銃弾を浴びせ、また標的を探す。
 〈それ〉を殺せ。叩き潰せ。聞こえない声が、俺の身体を支配した。
「うおおああああぁぁぁーっ!」
 自分自身の絶叫が、やけにはっきりと聞こえた。

 気づくと俺は、弾のなくなった銃の引き金を引き続けていた。カタカタカタカタという銃の空砲音が虚しく響いていた。辺りを見回すと、薄く煙が立ちこめている草と木々の空間に、カートがうずくまって身体を震わせ泣いているのが見えた。その横でロイが呆けたように座っていた。サトウは身体を木に預けて、首を横に何度も振って顔を片手で覆った。残っているのは俺たち四人だけだった。〈奴ら〉はもういない。
 引き金を引いたまま強ばった右手を、何とか引きはがそうと左手をグリップに当て、指を一本一本開いていった。何度か失敗したのち、ようやく銃を離した右手は、小刻みに震えていた。どさっと、銃の落ちた音だけが耳に入った。
「…………」
 誰がこんな状態で口を開けるだろうか。俺はそれでも何とか言葉を探そうと、煙の立ちこめている周りを見回した。何もなかった。永遠とも思える沈黙が、俺たちの口が開くのを妨げた。
 しばらくしてロイが立ち上がり、撤収作業にとりかかった。その表情は、背中からでは分からない。やがて俺もサトウも加わり、カートも泣きながら手を動かした。こいつらはいつもこんな残酷すぎる戦いを走り抜けてきたのか。それでも、こいつらは不平の一つも言わず、これから生まれてくる命と死んでいった仲間たちを背負って、戦い続けたのだ。これからも、そうなのだろうか。
 俺は空を仰いだ。さあっと吹き抜けた、髪を揺らす風を心地よく感じたのは何年ぶりのことだろう。それでも、虚しくて、そう、ばかばかしかった。

 夕食の時、俺たちは他の人間に敬遠されていたが一向に構わなかった。ただ、母親第一号となるはずの女性が死んでしまったことには、深い同情を寄せてくれた。そのことには、俺たちは純粋に感謝している。そして、純粋に申し訳なく思っていた。

   ◇ ◇ ◇

「誤解はしないで欲しいのよ。それ以上の意味はないわ」
 サミィ・マクドガル少佐はそう宣わった。師団内一美しいと言われる彼女の顔が、俺たちに向かって微笑みかける。才色兼備という言葉はこの女のためにあるというのには賛成だが、それをひけらかしもしない。もっと高慢知己な方が、まだ可愛げがあるというものだ。しかし、彼女は、男にも女にも人気があった。だから何だというのだ。
 ここは本部内第四会議室。といっても机が一つあるだけの、何ともさびしいお偉方専用の休憩室だった。窓から射し込む陽の光だけが、俺たちの冷え切った空間を暖めようとしている。無駄だろう。
「厳しい現場を生き抜いてきた貴方達を迎えることで、その部隊はかなりの戦力アップになるはず」
 上官に対する口答えは許されない。ただここで、本部隊長と愛人関係にあるのは本当ですか、と彼女に訊いてみたい気もする。セクハラで訴えられるだろうか。
「? 何か、イイムラ伍長」
「……いいえ、何でもありません」
 視線を上にずらし、俺はさも不満そうに言ってみせた。隣のカートが、ひじでつついてくる。
 レイリンたちが死んでもう二週間がたっていた。その間もいろいろなことがあったが、どうやら俺たちの班は解散されるらしい。上の指示に従って指定された部隊に再配属となる。長であるカルロスが死んでしまい、人数も、古参が三人に新参が一人。それが賢明だ。疫病神とよばれた俺たちを、さぞあたたかく迎えてくれることだろう。
「貴方達は昇官することになります。イイムラ伍長は少尉に、カート上等兵は伍長に、残り二人は中尉になり、自分の隊を持つことになるでしょう」
「……部下になる奴もかわいそうに」
「イイムラ伍長、何か言いましたか」
「……いいえ」
「何か不満があるなら、どうぞ」
「……不満がないことに、不満です」
 カートのつつきが強くなる。サミィ少佐の美しい眉が、ぴくりと跳ね上がった。ロイとサトウが軽く笑ったような気配がした。
「どういうことかしら」
「自分の言葉を、説明しろとおっしゃるのですか」
「それで貴男の不満とやらがはっきりするのなら」
「不満があってもなくても、不満ですよ。今の俺たちのままでいれば、何の不満もないということです。……いけませんか、サミィ・マクドガル少佐」
 カートは、俺をつつくと逆効果だと今頃気づいたようだ。それとも諦めたのか、俺の隣で大人しくうつむいていた。他の二人は、笑いを堪えるのに神経を集中させているようだ。
「それとも、貴女の親衛隊に入りたいといったら、入れてくれますか」
 ぷっとカートが吹きだし、サミィ少佐の視線に気づいて慌てて咳払いをする。ロイは口を開けて笑い、サトウもはっきりと笑顔で俺を見た。サミィ少佐は、それでも不快な表情はこれっぽっちも見せず、ゆっくりと俺に向き直った。だからこの女は嫌いなんだ。
「上官侮辱罪で独房に入ってもらう、という処置も可能です」
「そうしてください。ああ、そうすると自分たちが配属になる部隊の戦力アップは、見込めなくなるわけですか。うーん、どうしようか」
 わざとらしくも俺は、横にいる仲間の顔を見比べた。三人とも、肩を震わせて、笑いを堪えている。もっと笑わせてやろうと思ったのに。畜生、失敗だったか。
 奇妙な沈黙があった。俺と少佐の間にだけだ。疲れた顔で彼女はこう言った。
「……追って指示を出します。それまで待機のこと。いいですね」
 いたずらっ子に手を焼く女教師の役は、彼女には似合わないと、俺はこの時思った。
 廊下に出てから俺たちは、ひとしきり腹を抱えて笑った。通りゆく我が同士たちは、やはり俺たちを避けて通っていった。
「お前が俺達んとこに来た理由が、今わかったぜ」
「頼もしいだろ」
「最高だよ」
「お前に全部任せよう」
「サトウ、今から予防線張るなって」
 屈託のない笑顔を見たのは初めてのことだ。ほんとに、頼もしい、我が愛すべき疫病神たちだ。

 事態は急展開を告げていた。俺の目の前に〈それ〉がいる。何故だ。ここは官舎の中だぞ?!
 任務を何とか終え、太股に傷を負った俺だけが仲間より先に帰ってきていた。人の気配がなかったのは不思議だったが、官舎の外では他の部隊が点呼していたり、作業ブースで整備しているのを見ていたので、気にもとめなかった。作戦中はこんなものだろうと思っていたのだ。
 〈それ〉が音もなく、それこそ水が広がっていくように、官舎の廊下を俺のほうに近づいてくる。ちょっと待て、まだ傷の手当もしてないんだぞ。俺もゆっくりと、足を後ろに繰り出しながら銃を構える。一歩一歩が、灼熱の炎の中に足を入れたみたいに、熱く感じた。まさか官舎内は〈こいつ〉らで一杯なのか?
 と、〈それ〉の動きが停まった。ぶよぶよと自分をアピールするかのように揺れている。この化け物のできそこないが。俺は躊躇することなく引き金を絞った。派手な音をたてて毒薬入りの銃弾が〈それ〉の身体に撃ち込まれる。撃ち込まれなかった。
 〈それ〉は、原始生物が分裂増殖するようにまっぷたつに分かれ、一つは開け放たれていた窓を伝って外に逃げ、もう一つはすぐわきのドアの隙間から中に入っていった。俺は窓とドアを見比べた。ドアには、プライベートルームと書かれたプレートがかかっていてその下の名前はサミィ・マクドガルとあった。
 女の悲鳴。外での銃声。慌ただしい人間の気配。俺は考えるまもなくドアに体当たりをかけ、部屋に転がり込んだ。
「少佐!!」
 立ち上がろうとして力が抜けた。サバイバルスーツの太股の部分が、どす黒く変わっていた。熱い。
「イイムラ、危ない!」
 よく通る女の声で俺は床を転がった。耳元でべちゃっと言う音が聞こえ、反射的に引き金を放った。部屋のあちこちに弾が飛び交い、無機質な部屋に、弾痕の芸術を残すこととなった。膝立ちで銃を構える。サミィ少佐は右の肩を押さえて立っていた。俺のせいか。それでも無事なようだ。ふと水の臭いがした。
「伏せてください!」
 返事を待たずにもう一度銃を乱射した。〈それ〉にしっかり当たったようだ。即効性の毒薬だ。といっても腐乱剤の濃度を極端に濃くしたものだった。栽培の肥料を人工的に作り出すためのものが、どういう訳か〈それ〉には効くらしい。そのことが研究で明らかになるまで、一体どれだけ失うものがあったことか。
 濃い緑とも茶色ともつかない色に変色した〈それ〉は、カンテンみたいになって動かなくなった。何度となく見ている光景だが、慣れることはなかった。
「……貴男がどうして転属になったか、改めて知ったわ」
「……それはどうも」
「傷ものになってしまったわ、私」
「……どういう意味でしょうか」
「責任を持って守ってくれるはずだと、私が思ってるだけ」
 これだからインテリという奴は。助けて欲しいのなら、そばにいて欲しいのなら、素直にそう口に出せばいいのだ。一歩踏みだそうとして、失敗した。衝撃の後、気づくとすぐ目の前に〈それ〉の変態後の産物があった。倒れたのか。今頃になって痛みが酷くなってきた。くっそ。
「イイムラ……!」
 この女の前で醜態を晒すとは、まったくばかばかしい。何とか立ち上がり、転がっていた椅子を直して座った。血が、止まらないらしい。じわじわとしみだしているようだ。傷口に貼ってある簡易薬剤プラントをはがし、ズボンを切り裂き、持っていた代わりのプラントを傷口に当てようとした。
「それでは駄目!」
 サミィ少佐は俺の手からプラントをひったくり、自分のハンカチか何かを取り出して何度も血を拭き取った。素早くプラントを貼り、拭った布きれでそこを縛った。その間俺は彼女を上から眺めていた。確かに綺麗だった。その表情からは何も読みとれなかったが、動揺しているのは確かなようだ。指先が、微かに震えていた。
「乱暴なのね、貴男は」
 ポーカーフェイスのまま、彼女は俺を見上げた。蒼白な顔だ。その隣には紅いものが広がっていた。
「…………」
 こみ上げてくる不可思議なものにつき動かされて、俺はサミィ少佐のジャケットを引きはがした。彼女は呆気にとられている。一瞬俺と視線が合い、狂ったように俺の手から逃れようとする。何か喚いていたが聞き取れなかった。強引に上半身を下着姿にした。胸は、俺の好みでやや小さめだった。その白い肌に紅い筋がはっきりと浮かび上がっている。
 俺の頬を叩こうとした左腕を後ろ手に捻り上げ、悲鳴をそのままに、彼女の尻のポケットをまさぐった。屈辱に燃える彼女の瞳が俺の方に向けられ、可愛らしい口から唾が吐きかけられた。あった、プラントはまだあと二つある。
 口と手でプラントの袋を引き裂き、他に方法がなかったので、サミィ少佐の肩の傷に直接口を付けた。びくりと身体を震わせた。幸い肉を少し抉った程度だった。血を吸い出しては吐き捨てる。まわりにこびりついた血も舐めた。ある程度きれいになったのでプラントを貼ってやった。俺は手を離した。唾のかかったままの顔を拭う。気持ちの悪いものだ。
 右肩に手をやり、驚いた表情のサミィ少佐に、ジャケットを拾い上げて、渡した。煙草が欲しい。俺は無言のまま銃の弾丸数を確認した。あと一回か二回の射撃で終わりだろう。ふと見ると、少佐は肩にジャケットをはおっただけだった。こんな時じゃなけりゃ、本気で押し倒していたかも知れない。まったく、なんてこった。
「……やっぱり、乱暴なのね」
 うわずった声で彼女がそう言ったっきり、何故か気まずい静けさが俺たちを支配した。ばかばかしい。
 官舎の外で、銃砲音が激しくなっていた。〈奴ら〉の総攻撃でも始まったか。そんな知能を持っているとは思えないが。
 壮絶な戦場と化した彼女のプライベートルームに、長居は遠慮したい。銃を杖かわりに、何とか廊下に出た。瞬間、俺は自分を呪った。天も呪った。
 宿敵、液体生命体が、地獄の使いよろしく仲良く二匹並んで俺を待っていた。本当に俺たちを降伏させたいらしい。しかも無条件降伏、戦闘加担者は全員、裁判もなしに餌となることがすでに決まっている。
 サミィ少佐が俺に続いて部屋から出てきた。飛びかかる化け物。何か叫びながら間に割って入る俺。銃を撃つ。鈍い音。銃で叩き落とす。視界が半透明になる。激痛が体中を駆け抜け、俺は倒れた。
「いやああああぁぁっっ!」
「少佐! その格好……」
「少佐、下がって!」
「イイムラ! イイムラ!」
「イイムラ?!」
 懐かしき我が仲間の声が聞こえた。痛覚はその許容量の限界を超えたのか、何の信号も出してはいなかった。ただ、俺が俺でなくなっていくのは感じていた。崩れていく。俺が、崩されていく。奇妙な感覚の中に俺はいた。
「あたしが、あたしがあぁっ」
 泣きじゃくるサミィ少佐の、感情むき出しの声。そう、それでいいんですよ。俺の声はくぐもっていた。視界が赤くなっていく。俺の血か。
「イイムラ! カート、何やってんだ!!」
「ロイ、何とかならないのか!」
「やってるよ!!」
 何で俺はここにいるんだろう。こんな死に方をするなんて、実に俺らしくて、ばかばかしい。そう思って、俺は目を閉じた。つもりだ。崩れていく。意識も崩れていく……。
「イイムラぁ!!」
 サミィ少佐の涙声が、最期に聞こえた音だった。場違いにも彼女の下着姿が思い出される。
 レイリン、みんな俺のことを忘れないでいてくれるだろうか……。


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