第九幕「まもるべきもの」

 通信機からの陽気な声がなくなって今日で二週間。いくら食糧が備蓄されてるとはいえ、独りでジャングルの中にいることがこんなにも辛いとは思わなかった。濡れた草の上に座り、背中を預けている惑星活性化装置を見上げて、俺は嘆息した。その向こうに見える鬱蒼とした木々の葉の隙間に、夕空がこれでもかといわんばかりに輝いていた。
 この、計器板丸出しでそそりたつ高さ三メートル超の奇怪なオブジェが、実は何百年も前からこの星にあり、稼働し続けていたなんて、三流SF映画の題材にもなりゃしない。前近代的なスイッチにレバー、そこかしこに伸びるぶっといチューブを傷つけないようにあのアメーバ大王と戦うことが、俺に与えられた軍令だった。
 〈奴ら〉はやはり、火に弱かった。煙にも弱いらしい。湯を沸かすつもりで火を熾したときに〈奴ら〉の襲撃を受けたことがあるが、一定以上近づいてはこなかった。だから、食料は缶詰だけにしておいて、油や可燃性のものを素に、十メートル四方とその中間点に松明を焚いてある。だが、そろそろ燃料の確保を真剣に考えなくてはならない。気にしていた腹の出っ張り具合がこの効果的なサウナでだいぶ引き締まってきたのはいいが、その効果がここ二、三日で急激に薄れてきていた。激しいスコールで石鹸の泡とともに汗臭さとおさらばできたのに、はしゃぎすぎてタップダンスのステップで容器を蹴ってしまい、燃料である油液ともおさらばしてしまった。おかげでこの辺りはものすごく油くさくなってしまった。
 ミネラルウォーターをがぶ飲みして、空になった容器を木々の中に放り投げる。暑い。ダルい。動く気がしない。だらしなく足を投げ出して、俺は目を閉じた。すこし、眠かった。ここ最近熟睡出来ていない。
 ふと気がつくと、生暖かい風が吹き、辺りは暗くなっていて、か細くなった火の明かりだけが惑星活性化装置を照らし出していた。あわてて燃料を足そうとする。手頃なものがなかった。薪でも何でも、作っておけば良かった。ちっと舌打ちして、仕方なしに、残り少ない油をぼろ布にしみこませて、これも残り少ない薪を束ねて、燻りかけた火種の中に放り込んだ。しばらくして火の勢いは増し、辺りは明るくなった。ぎょっとした。火の四角形の周りに、〈奴ら〉が大挙してきていたのだ。もう少し遅ければ、俺は砂糖菓子のように消えてなくなっていただろう。炎の結界が俺を護ってくれたのだ。護ってくれそうになかった。その結界を越えて〈奴ら〉が俺に飛びかかってきた。
 とっさに身を投げ出して一匹目をやり過ごし、ごろごろと転げ回ってバーナー銃を取り、メクラメッポウに引き金を引いた。瞬間、後悔とともに血の気が引いた。辺りにしみこんでいた油に炎が喰らいつき、轟、という音とともに俺の周りが火の海になった。巻き上がる炎風に髪の毛がチリチリと音を立て、俺は必死になって惑星活性化装置に走り寄った。これだけは護らなければ。しかし、その手だてが思い浮かばない。この機械類は熱に弱い。直接燃焼しなくても、温度が上がれば一気に熱暴走を起こす。そうでなくても、周りの木々に火が燃え移ったら。
 ぽつぽつぽつ。水滴が頬を打つ。いきなり、俺は地面にたたきつけられた。それぐらいのスコールだった。まずい。この視界では〈奴ら〉を認識しにくくなる。それはすなわち、閻魔大王の元へ駆け足で連れて行かれることを意味する。炎と雨との戦いが苛烈を極めてきた。モウモウと蒸気が発生し、目を開けていられないほどになり、噎せた。〈奴ら〉はどうなったのか。涙目では、〈奴ら〉を認識できなかった。鼻を突く異臭。遮られた視界。火と水との喧嘩。〈奴ら〉と俺の喧嘩。勝者はいったい、誰なのか。俺は勝てるのだろうか。
 どこをどう登ったのか、気がつくと俺は惑星活性化装置の上に、あぐらをかいて座っていた。既に夜は明け、蒸気と煙が風に流され、下を見ればあちらこちらに、汚らしく炭化した物体が散乱していた。どうやらこの喧嘩の勝ち組に、俺は入れたらしい。火は完全に鎮火され、〈奴ら〉の残党も見あたらない。ただ、漂う異臭は目にしみる。涙が出てしまう。それ以外の涙も、流れ出ているようだ。しゃくり上げている自分が、なんだか滑稽に思える。

 通信機からの陽気な声がなくなって今日で三週間。食料の量も、心許なくなってきた。惑星活性化装置に背中を預けて上を見上げると、木々の葉の隙間から、太陽の光が見て取れた。
 未だ俺の軍令は、解除されない。


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