第二幕「揺れる明日」

 女は恋に生きるものだ。
 幾世紀も昔のことだが、地球上で流行った言葉だそうだ。恋。わたしには似合わない本能の産物だ。男の中に混じって生活していると、そんな感情は凍結してしまう。全員が全員そうなる訳でもないが、受けとめる許容範囲がなくなる。似合わなくなる。ノースリーブのシルクのドレスのように、はまってしまうほど似合う人とかわいそうになるくらい似合わない人が出てくるのだ。おそらくわたしは後者だろう。
 愛することは信じることから。
 一つの格言だそうだ。もっともだと思う。わたし自身には無縁のことだ。まわりの男たちを、わたしは強く信頼している。命を預けて預かって生活しているのだから。そこでは恋愛は、ランチタイムの悪趣味な噂話にしかならない。
 わたしだって女だから、それなりに経験は積んできているつもりだし夢見ることだってある。ただ、いいなあと思うだけでそんな暇があるならユニットを整備したりこの星の地形で脳みその皺を増やしたりするほうを、わたしは選ぶ。

 この星を調査し開拓し発展させるのがわたしたちの仕事だ。もう、地球に帰ることはないだろう。

「マリコはサトウが気に入ってるもんな」
 薄暗い小さなランプの中、わたしとロイは裸でシーツにくるまっていた。ひとしきりの行為の後の、けだるい湿った空気が妙に心地いい。夜のパートナーは固定していなくてはいけない訳ではないのだが、皆たいていがいつも同じ顔である。わたしの場合、ロイかサトウか、でっかい枕であった。
「そういう自分は、食班のレイリンでしょ」
「あの娘の腹ん中にはカートと彼女の分身が入ってるんだぜ。俺は関係ないよ」
「どうだか。ここでは地球のモラルなんか無意味だから」
 ロイは苦笑していた。そして、彼の筋肉のあたたかさをわたしの身体にまきつけて引き寄せ、何も言わずに額に口づけした。最近、ロイとともに過ごす夜が多くなったと感じるのは気のせいだろうか。それを嬉しく思うのも、すべて気のせいにしてしまっていいのだろうか。してしまいたい。

 この星の先住民(……先住生命体か)に襲われて、記念すべき復讐の誓いがたてられたのはだいぶ前の事だった。復讐。不毛な響きを持つ、古代権力の象徴の妄想だ。わたしたちはその妄想の虜になった。

 熱帯特有のじっとりとした、異様な臭気を伴った木々の空間のなか、バイオプロテクトされたバトルジャケットを身にまとったわたしたちの部隊は、ある沼地に辿り着いた。空には分厚い積乱雲らしき雲が、蒼を背景にそそり立っている。
「タンゴリーダーより各員へ。左へ迂回する」
 どろどろした足場に動きを糊付けされながら移動しようとしたその時。
「コンガリーダーより。〈奴ら〉の寝床を発見。早くしないと俺たちが全部いただいちまうぜ!」
 通信の声に、にわかに殺気立った。各々装備の再確認を始める。バンダナを結び直し、マガジンを再度装填し、皆部隊長の声を待つ。
「コンガは右か……。よし。いいか、手柄は自分の手でもぎ取れよ。報酬は文句なしにいいぞ今回は!」
 聞き終わらないうちに、走りだしていた。すべての不満をぶつける相手を見付けたのだ。この星に来たこと、仲間を殺された恨み、蒸し暑さ、ロイとわたしの関係すべてを。
 誰かがすべって転んだ。構うもんか。悲鳴。怒号。爆発音。小銃の音。聞こえない。奴らを殺せ。身体の奥からそれだけを叫んでいる。
「! ジャムりやがってこの!」
「ロイ! のろま野郎! 何やってんだ!」
 気を削いだのがいけなかった。木の上から〈それ〉が落ちてきた。肩から背中から、激痛が発した。溶ける。溶けていくのがわかる。くそっ。必死になって爆薬のピンを抜く。〈こいつ〉の奥ふかくに握った手をつっこむ。爆発。
 ……気が付いたら、ロイの顔があった。涙を浮かべている。全身が熱い。力が入らない。苦しい。
「マリコ! おい!」
「聞こえてるよ」
 自分の声じゃないみたいだ。ロイの肩越しに、サトウが悲しそうにわたしを見て目を伏せた。ああ、そういうことなのか。そして彼は立ち上がり、ロイにこう言った。
「……行くぞ」
「ふざけるな! サトウ、てめえの腐った目には見えねえのか!」
「……見えないね」
「何を……!」
「この星で、身体半分吹っ飛ばされて生きられる奴がいたら俺はお前のケツの穴舐めてやるよ!」
「ちがうちがう! マリコは大丈夫だ!」
 二人ともすごい形相だ。周りでは殺戮がまだ続いているのに、わたしのためにここにとどまっている。
「……ロイ。行きなさい」
 ロイが驚いてわたしを見た。年相応の表情が見れる。
「年長者の言うことは聞くものよ」
「冗談だろ」
「あなたの腕に抱かれている。それだけでいい」
「マリコ」
「サトウ、この馬鹿を早く連れてって」
 ロイがわたしをしっかり抱き締める。子供のようにいやいやする。サトウはそれを難なく外し、ロイを殴った。こんな彼らを見るのは最初で最後だろう。
「……てめえだけは、てめえだけは許さない。絶対に許さない!」
「俺だって許せない」

 二人は行ってしまった。まだ意識がはっきりしてる。人間ていうのはそう簡単に死なないものなんだ。だから、液体生命体がわたしの方に向かってくるのを、じっと見ていなければいけない。冗談じゃない。なんとか仰向けになる。木の枝の隙間から、空の青さが眩しく見えた。
 じゅるじゅると言う音だけが近づいてきている。

 ブラックアウトと同時に、人生最期にして超絶の感覚が襲った。


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