第八幕「港町」

 夕闇迫るほの暗い空を、爆音と共に炎の軌跡が切り裂いてゆく。湾内に突き出たシャトルの発射台では、風に流される白い煙が不気味に形を変えて消えてゆく。施設を警備している厳つい軍人の肩からのぞくライフル銃の銃口がきらりと光り、あたしにはそれが、死刑の宣告のように思えた。
 周りで、同じように空を見上げる人々に目には、涙と、憤怒と、羨望と、諦念と、祈りが見て取れる。身に纏っているものはしかし、みすぼらしい、ほつれた裾や繕った後が幾つもある、レベルAの人間から見れば雑巾にも使わないようなものである。かくいうあたしも、肩口に穴があいた赤いTシャツと派手なスリットの入ったジーンズだった。ついでに言うなら、ここ一週間はシャワーも浴びてない。
 どこからともなく緩やかな旋律が響いてくる。誰もが顔を見合わせながらも、旋律にあわせて口ずさむ。
 ウエヲムイテアルコウ。あたしは笑った。

 管理局の人間が建物の間をぬうようにして、あちこちをうろついている。その顔には薄ら笑いが浮かんでいる。そしてその視線の先には、道ばたに疲れた身体をちぢこませながら横たえている、幾人ものレベルEの人間がいた。時たまその身体を蹴り上げたりしながら、奴らはまるで支配者にでもなったかのように、悠然と去ってゆくのだ。
「オーケイ、当分は戻ってこないだろう」
 奴らの行動を窓から追っていた、サングラスのコウタロウが言った。すでに深夜といってもいいぐらいの時間、部屋の灯りは壁掛けの室内灯が二つにも関わらず、コウタロウはサングラスをとらない。というか、普段でもサングラスを外したことはないのではないかと、記憶をたどってみる。
 あたしはグラスを琥珀色の液体で満たし、チェリーを沈め、揺らぐ陰をじっと見ていた。待ち合わせの相手は、未だに来ない。
 ここは地階にある酒場。歴とした公認の酒場だが、やってくる客と言えばレベルEの人間か、あの管理局の奴らが、うさばらしにあたしたちをいびりに来るぐらいだ。
 コウタロウの言葉に、窓際によっていた胡散臭い連中から息のつく音が大げさに聞こえる。あたしは前から不思議に思っていた。いつも独りで腺が細く、いつの間にかひっそりとやってきては言葉少なに酒を飲み、着ているものといえば黒一色。そんなコウタロウが、どうして反乱分子なんかに荷担するのか。百害あって一利無し。あたしの中ではあいつらも、管理局の奴らと同類項だった。自分たちが決めた条例が、IUSFによって一部変更され、それに我慢できず周りを巻き込んで武力蜂起した経緯は理解するが、とばっちりを受けた地域住民にとっては、この世からいなくなって欲しい人間のトップクラスにランク付けされるだろう。彼らのせいで、レベルが一つ下がったのだから。もっとも、条例変更と共に、一般市民の中からの惑星移民選別の順序が、日本だけ繰り下げになったことにはみな納得がいかないが。ちなみに変更になった条例というのは、大気圏外コロニーの移住権の定義で、選挙権を持つ満六〇歳以下の、レベルD以上の人間及びその扶養家族に変更になったのだ。変更前は、レベル分けなどなかった。
 大きな紙をばさっとひろげなおし、頭をつきあわせて何やら話し始める。本人たちは密やかに話しているつもりなのだろうが、会話がないことが恒常化しているこの酒場では、既に密談ではなかった。ただ、この話を聞いたからと言って、誰かが口外することも、まずないであろう。自分から、管理局の人間やテロ集団に目を付けられる原因を作る馬鹿もいまい。酒場に漂う空気は、仲間を求める焦燥感とそれを夢見る羨望、それでいてやっかいごとはごめんだという無力感が色濃かった。
 突然、グラスの向こう、テーブルのあいていたところに手袋が投げ出された。薄汚れた革のそれに目をしばたたかせて顔を上げると、先ほどからカウンターでうつむいていた小柄な男が向かいの椅子の背もたれに片腕を乗せ、のぞき込むようにしていた。黒のロングコートを、似合ってもないのに自慢げに着ている。唇に人指し指を当て、あたしの向かいの椅子に腰掛けた。
「ショートカットに赤いTシャツ、か。チェリーを入れてくれなければ、ただの商売女だと勘違いするところだ」
 ぼそぼそと聞き取りにくい声で男はそう言った。
「もっとも、背中に隠している物騒なものは、その手の女にしては少々値の張るものだけど」
 グラスの中身を男の顔にぶちまけてやろうとした手を思わず止めてしまって、ちっと舌打ちする。そう簡単に判るようにベルトに差してるわけじゃなかったがそれを見分けるとなると、こちらも舐めてはかかれない。
「で、報酬は?」
 単刀直入に訊いた。まだるっこしいのは嫌いだ。不機嫌な声になったが、しかし男は人指し指を唇に当て、にやにやするだけで答えようとはしない。眼鏡の奥の瞳が妙に潤んでいた。
「……おい、いいかげんにしな」
 自然と声のトーンが落ちた。すっと目を細める。いつでも得物を抜けるように、右手はだらんと下ろし、いつでもテーブルを蹴倒せるように浅めに座り直す。最近はこういうカッコだけの大ボケ野郎ばかり来やがる。下手に出てやることはない。どちらの立場が上なのか、はっきりわからせてやる必要がある。あたしの気の短さは、ここいらでは結構有名なのだ。
 男はいやらしい笑いを浮かべながら、指を上に向けたまま何も言わない。いいかげんにしろ。カッと頬に血が上るのを感じつつも、右手を素早く腰にまわして立ち上がる反動でテーブルを蹴飛ばす。
 つもりだったが、手を腰にやった時点でふと、気づいたことがあった。上った血が、ゆっくり引いてゆく。
「いいかげんにしろ」
 力無くつい漏らしたその言葉。男が唇の端を、不気味なぐらいにつり上げた。ズレてもいない眼鏡を、中指でついと直して、
「何を、いい加減にしろ、と?」
 楽しくて仕方がないとでも言うように、肩を揺らして笑っている。どうやらあたしの言葉はこの男のお気に召したらしい。
 男がゆっくり、唇を動かす。声は出さずに。
 コ。
 ロ。
 ニ。
 イ。
 …………。
 いいかげんにしろ。

   ◇ ◇ ◇

 惑星移民の前段階として大気圏外コロニーが建設・稼働しはじめて半世紀。いくつもの大きな問題を何とか乗り越えて人々がふつうに暮らせる環境が、ようやく整った。その選考にはしかし、あたしたちレベルEの人間は、切り捨てられた。IUSFの名の下に。
 その瞬間からあたしたちの中でコロニーは、唾棄すべき存在であり、楽園の象徴でもあった。

   ◇ ◇ ◇

 あたしはグラスを琥珀色の液体で満たし、チェリーを沈め、揺らぐ陰をじっと見ていた。いつもの酒場。いつもの胡散臭い連中。薄暗いカウンターに座って、あたしは待ち人が現れるのを待っていた。年季の入った木目に、いくつかの傷跡が残っている。グラスに映るその絵はひどくゆがんで、揺れる液体に飴細工のように形を変えられている。
 久しぶりにシャワーを浴びたあたしは気まぐれに真紅のルージュをひいてここに来た。誰も気づいてくれなかった。ちょっと傷ついたかもしれない、と顔をしかめた。
 結局のところ、あたしはあの男の依頼を受けなかった。誰が好きこのんでシャトル打ち上げ基地に侵入なんかするものか。次の日に来た別のクライアントの用件をさくっと終わらせて、数日ぶりにここに来たのだ。ひどいときにはここに寝泊まりすることもある。
 グラスをつかみ、中身を一気に飲み干す。グラスでカウンターを二度叩き、グラスを滑らす。振り返った店主の目の前でグラスが止まる。放った手をそのまま額にあて、肘をついて目を閉じる。少しして何かのこすれる音が聞こえ、目の前で消えた。そして氷の音。瞼をあげると、新しいチェリーがなみなみと注がれた液体の中に見えた。
 そのグラスが空になっても、連絡者は現れなかった。時間を指定してきたのは向こうなのだが、すっぽかすとは何事か。ペナルティで二〇%上乗せだ。なんだか最近こんなのばかりだ。やりきれない。
 キャッシュをカウンターに残し、襟元に引っかけてあるエッジのきついサングラスをかけて席を立つ。店に残っていたのはいつの間にかあたしだけになっていた。そういえば最近、コウタロウの姿を見ない。
「…………」
 カウンターを軽く叩き、顔を向けたマスターに手をひらひらと店を出た。

 海の香りがする通りを抜ければ我がウサギ小屋に到着する。薄汚い防波堤の落書きを横目に眺めつつ波の音をバックに、突然それは現れた。
 どさっと防波堤に当たり、サングラスを上げて見れば、月明かりに照らされたその顔には黒い筋がいくつも流れていた。黒いライダーズジャケットには、霜降り牛肉よろしく砂をこびりつかせ、サングラスのフレームは曲がりレンズは割れていた。
「コウタロウ?」
 ビクッと顔を上げたのは、やはりコウタロウだった。
「……ユキさん……」
 呆然と、あたしの名前をつぶやく。じゃり。耳元でそんな音が聞こえ、いきなり首筋が総毛立った。反射的に地面を転がり、銃を抜いて撃鉄を起こす。振り向きざまに見たのものは、防波堤の上から飛び降りた、奇妙な依頼を持ちかけたあの男が棒のようなものをコウタロウに振り下ろす瞬間だった。
 ガン! ガン! ガン! ガン!
 初弾で弾道を見極め、二発目で命中させるつもりが、男の肩に一発、脇腹に二発命中した。男がよろける。
 ガン! ガン!
 とどめに肺と下腹部に向けて引き金を引いた。男は身体をくの字に曲げて尻から落ちた。すかさず男の得物を蹴り上げる。防波堤に跳ね返り、鈍い音を立ててどこかに転がっていった。
 男はうめき声を出しながらも鬼の形相で這ってこようとしていた。男のこめかみに銃口を添えて、引き金を、引いた。ゴン、と男の頭が地面でバウンドした。痙攣を何度か繰り返し、男は動かなくなった。
 風の音、波の音。恐怖と一体となってそれらが一気にあたしを襲ってきた。銃を持つ手が小刻みに震える。
「ユキさん……?」
 コウタロウの声が、遠くに聞こえる。目の前の死体と自分の思考がかみ合っていない。
「……ユキさん、大丈夫、ですか?」
 鼓動が激しくなる、息が出来なくなる。銃口と、死体。
「…………ッ」
 ガン、と防波堤に手を打ちつける。その痛みで、少し冷静になれた。人を殺すというものは、いつまでたっても慣れないものだ。
「ふううぅ」
 大きく息を吐く。人の命はこの世で一番かけがえのないもの、なんて与太話を信じているわけはないが、人を殺すということは、この先あったであろうその人間の人生を背負って行かなくてはならないことであり、その果てしない重さに、絶望する。ここ最近、あたしは絶望しっぱなしだった。
「ユキさん……」
 コウタロウの声。はっとして振り向くと血だらけのコウタロウが、壁により掛かりながら心配そうにあたしを見つめていた。割れたサングラスの向こうに、月明かりに照らされた、澄んだ瞳を見た。そのまま、コウタロウは意識を失った。

 朝日が窓枠の形を壁に描いてゆく。出窓に腰をかけ、安物のウイスキーが入った薄いコーヒーを独り啜りながら、浮かび上がってくる港町の風景を、何の感慨もなしに眺めていた。……いや、きっとこの瞳には、憎悪の炎がみてとれただろう。そう、あたしはこの町を憎んでいた。この町で、売られ、犯され、飼われ、指導され、一匹の雌獣になった。でなければ、人なんか殺さない。
「……おはよう、ユキさん」
 コウタロウの意識が戻っていることはずいぶん前から気づいていた。それでも、あたしからは声をかけなかった。見やると、顔をしかめながらコウタロウがベッドの上で体を起こそうとしていた。乱れた前髪が目線を隠し、一瞬、痛みに俯いたのかと思った。
 床の上にはコウタロウの上着やあたしの下着、薬莢、雑誌、酒瓶が散乱している。古ぼけた壁や柱、包帯でぐるぐる巻きの若い男と、酒乱の女。どう見ても、ロマンチックな朝を迎える状況ではないようだ。
「これ、ユキさんの匂いなんだね」
 だっていうのにこの男はこっぱずかしい台詞をほほえんで詠んでみせる。
「くさくて悪いね。こんなとこに住んでると、シャワーもままならなくてさ」
 鼻で笑ってやって、カップを空にする。シャツとパンツを脱ぎ捨ててコウタロウの隣に潜り込む。
「ちょっと、ユキさん?!」
「うるさいよ。あんたのせいで徹夜したんだから眠いんだよ。襲いやしないから少し寄ってよ」
「怪我人に言うことかな、それ」
「うん? あんたが襲うのか」
「……できないですって」
「何で溜めるんだよ」
 腕を軽くたたいて、あたしは枕をかき抱いた。すぐに、眠りに落ちた。
 目が覚めたのも唐突だった。人の気配がする。見ると、コウタロウが出窓のところに、片足を抱え込むようにして腰掛けていた。交差した腕の上に顎を載せ、じっと町を見ている。日差しは今日も強そうだったが、空調のおかげで、部屋の中はひんやりしていた。
「…………」
 コウタロウはあたしを一瞥し、また町を眺める。包帯で巻かれた体は痩せているといってもいいだろう。ただ、それなりに筋肉がついているので、華奢な感じではない。履いているジーンズも身体にぴったりとしている。起きるのに苦労していた割には、今はだいぶ楽になったのだろうか。
「町がこんなにきれいに見えるところなんて、他にはないんでしょうね」
 ぼそっと、コウタロウが呟いた。
「きれいに?」
「音もなく、匂いもなく、痛みもなく、港とセンターと町がそこに存在している。それでいて木々は揺れ、雲は流れ、船は走り、波に陽がきらめく」
「やけに詩的だね」
「……そんな町を、実は求めていたのかもしれない」
「あんたとあの連中は、それを求めてるって言うのか」
 肘で身体を支えて、あたしはコウタロウに言った。
「どう考えても、結果はそうならないだろうけど」
「……何故?」
「あんたが言ったきれいな町ってのは、誰もいない、寂しい光景だからさ」
「そうですね……みんないなくなればいい、と思うこともあります」
 その言葉が、胸に突き刺さる。ふっと視線をあたしに向けた。すっと通った鼻梁と黒い大きな瞳が、中性的な雰囲気を醸し出すが、無精ひげがそれを裏切っている。瞬きを繰り返し、また町を見やる。心なしか、頬が赤くなってゆく。
「……何?」
「俺には、目の毒です」
 そう言えば、下着しかつけてなかった。まあ、減るもんでもないし、あたしは気にしなかった。むしろ、これ見よがしに布団をはだけ、なまめかしく太股をすりあわせる。
「やめてくださいよ」
 コウタロウが、何故か、辛そうにそう言う。ちょっとからかってやろう。あたしはベッドから這い出て、コウタロウの足にまとわりつく。
「ちょっ……やめろって!」
 叫んだコウタロウに驚いたが、あたしの手はすでにコウタロウの股間を触っていた。触ったのだが。
「え……?」
 なで回す。確認する。掴もうとする。ない。
「ユキさん!」
 コウタロウは怒って、あたしを突き飛ばす。尻餅をついて、あたしはコウタロウを見上げた。仁王立ちするコウタロウ。怒ったというより、痛そうだった。
「何で知っててからかうんです!」
「知ってって……」
 なんだか頭がついていっていない。コウタロウの顔と股間と自分の手を見る。あるべきものが、なかった。
「手当てしてくれたときに!」
「いや……下着はとってない」
「えぇ?」
 肩すかしを食らったように、コウタロウが肩を揺らす。数瞬の沈黙。漏れるため息。
「……前の戦いの時に、IUSFに捕まって拷問を受けたんですよ。もぎ取られて、半分切られて、それでも生活に支障のない程度に治療して、さんざんオモチャにされた」
「…………」
「だから、俺は奴らが許せないんですよ、ユキさん」
 ぞっとする声音を、片方の唇のつり上げた笑みに乗せて、コウタロウはあたしを見た。脱走し地下に潜り、生活と復讐のために男娼で情報と金を集める。そんな生活の一つ一つを、むしろ懐かしむようにコウタロウは語った。
「昨日の男は俺たちの仲間だったんですが、IUSFの犬に成り下がった。大方、目の前に金とコロニーをぶら下げられたんでしょう。あいつもそれらしきことを言っていた」
「え……?」
「そう、俺たちとは離れたところで、貴女に協力してもらう予定だった。貴女も、俺と似たような境遇で生きてきたみたいだから、IUSFを憎んでるんじゃないかと思ったんだけど」
「調べたの」
「十四歳で親に売られ、IUSFの変態どもの慰み者になり、権力者に近い人間に囲われて犯され続け、洗脳され、人殺しの技術をたたき込まれた。何の弾みか、洗脳が薄れ脱走。以後、裏の仕事を引き受ける」
 そんなところですか、とコウタロウは壁により掛かった。コウタロウの言ったことに間違いはなかった。あたしの親はコロニーへの切符が欲しいがためにあたしを売った。IUSFの犬どもの性欲処理係として、そしてお偉いさんのそれとして地獄の日々を耐え続けたのは、ひとえに、親への復讐を心に決めていたからだ。この手で殺す。それを見抜いたのかどうかは知らないが、洗脳というか暗示というか、そういったものをかけられながらいつからか人を殺す術を身につけるよう、訓練を受けていた。そして、本当に唐突だったのだが、その洗脳が薄らいで、あたしは持てる技術を駆使して、脱走した。風の噂では、あたしの親はコウタロウたちが武力蜂起したあの混乱で、蜂の巣になって天に召されたとか。それを聞いた頃から、人を殺すことに絶望するようになった。どんなに殺しても、憎い自分の親を殺せないのだ。
「……別に大した意味があった訳じゃない。胡散臭い話だったから、断っただけさ」
「報酬はコロニーとか言ったんでしょう」
「……ああ」
「もしかしたら、その頃すでに裏切っていたのかもしれません」
 コウタロウはそう言って、また町を眺めた。音もなく匂いもない町というものを、本当に望んでいるのだろうか。叶えられるなら、あたしはそこで眠りたいと思った。

   ◇ ◇ ◇

 ガチャ。
 何の前触れもなしに連絡者があたしの部屋に乗り込んできた。手には光る針。ニィと歪む唇。また、地獄の時間が始まった。

   ◇ ◇ ◇

 カラン。
 グラスと氷のハーモニーがあたしの目の前で奏でられた。沈んでいるチェリーは揺らめき、琥珀色の液体はあたしを潤す。
 地階にあるこの酒場は大昔、まっとうな喫茶店だったと聞く。地殻変動か何かで完全に地盤が沈み、建物がまるまる飲み込まれた。そのまま、酒場にしてしまったのだと、主人から聞いたことがある。かれこれ三代も前のことらしい。
 今日もまた、怪しげな連中とコウタロウは顔を寄せ合ってなにやら話し込んでいる。ただ、妙に殺気立っていた。その雰囲気に当てられたのか、一人、また一人と客が減っていった。薄暗いカウンターには、誰もおらず、主人も奥に引っ込んでいる。
 新しいサングラスをかけたコウタロウは、時々あたしの方に視線をやるが、あたしはそれには取り合わず、自虐的な気分で酒をあおり続けている。これから起こることに、絶望しながら。自分のお気に入りの場所を処刑場にするのは気が引けたが、それを突っぱねるほど、あたしは強くはなかった。いつの間にかやってきていた連絡者はあたしの隣に座っていた。ねっとりとあたしの太股を撫で回す。罪悪感が胸を切り裂く。しかしそれはすでに一種の快感になりつつあった。
 何かの予兆のように、店内の音がとぎれた。誰もが顔を見合わせ、入り口のドアを注視する。
 きぃ、と開いた扉から姿を現したのは、黒光りする銃口とヘルメットに迷彩服の男だった。しかも何人も。
「何だっ」
「管理局なのかっ」
「ユキさん!」
 テーブルの倒れる音、銃声、怒号、コウタロウの声。
「リュウドウコウタロウ! 生きてたかぁ」
 にやけた金髪の指揮官が、大声でコウタロウのフルネームを呼んだ。グラスを持つ指の関節が白くなる。
「もう一度おまえとプレイしたくてなぁ、はるばるやってきたぜぇ」
「……ジョー!」
 コウタロウの声。驚愕と、侮蔑と、憎悪の固まりがコウタロウをかき立てている。
「貴様っ、何故ここに!」
「両手両足切り落としたおまえとファックするためさ」
 そして、と奴はあたしの腕をひっつかみ、銃撃戦の矢面に立たせた。ふっと、コウタロウの言っていた、何もない町並みの中でひとりぼっちでいる自分の姿が浮かんだ。ああ、本当にそんな町があるのなら。
「ユキさん!」
「おまえを絶望させるためさ!」
 そういってジョーはあたしの胸をいやらしくまさぐった。痛みにうめく。これ見よがしに注射器をちらつかせ、あたしの腕にぷすりと刺す。どうでもいいことのように、あたしは悄然とジョーに身体を預けていた。
「貴様っ!」
 鬼の形相のコウタロウが倒れたテーブルから立ち上がった。拳銃をジョーに向け、引き金を引こうとする。テーブルの陰に隠れていた仲間に引き倒され、コウタロウはそのまままた隠れた。
「かくれんぼやってる暇ないぜ、コウタロウ」
 目の前の兵士の腰から何かをつかみ取り、口でピンを抜いて、放り投げた。あたしを抱えてカウンターの陰に逃げ込む。
 うわっと言う声が聞こえたかと思うと、ドンという振動とともに爆風が部屋を埋め尽くした。衝撃と煙で何がなんだかわからなくなっていると、ぐいと引き起こされた。
 ぱらぱらと壁面のかけらが床に落ちる音が、灯りのなくなった部屋に響く。がさごそと動く兵士。ハンドライトが突然灯り、ひび割れた部屋の状況を映し出してゆく。灰色の煙、砕けたガラス、燃えるテーブル、倒れている人影。血だらけの、コウタロウの顔。ドクン、と強い鼓動が起きる。広がる開放感。震えるコウタロウの指先。
「ユキさん……貴女……」
「…………」
「ハハハハハハ。この女は、ここの管理局の飼い犬さ。いや、公衆便所かなぁ」
「…………?!」
「おまえと同じ境遇ぅ? 何言ってんだバァカ、おまえよりよっぽどお利口さんだぜ」
 熱くなる身体。今なら何が起こっても笑って許せるほどの、高揚感。この乱痴気騒ぎの元凶は、紛れもなく、あたしだった。所詮あたしは、管理局とクスリと快楽と洗脳という鎖につながれた、雌犬なのだ。憎んでいた自分の親と同じことを今、コウタロウたちにやってしまった。ジョーの手があたしを抱き寄せ股間を撫で上げる。すべてに裏切られたあたしが、大好きだったものすべてを裏切ってゆく。
「脱走した後で俺がみっちり再教育してやったんだよ。おまえがいなくなっちまってから、いいオモチャを探してたんだ」
「…………ぁ」
「おまえたちの動きなんざ、筒抜けだ」
 ジャキッ。銃を構えるジョー。
「あばよ」
 ガン、ガン、ガン。
 コウタロウの額に、胸に、腹に、銃弾が撃ち込まれた。一斉掃射が始まった。ジョーがけたたまいし笑い声を上げる。舞い散る木片と紅い飛沫と肉片と脳漿と煙とちぎれた衣服。それを見ても、あたしは何の感慨もわかなかった。むしろ、飛び散った血が汚いと思った。ツキノモノを連想させた。「女」であることの象徴。そう、「女」であることこそが、あたしの地獄だった。ふっと顔を背けた先に、主人が構えた銃口を見つけた。鋭い視線が突き刺さった。ああ、とあたしは理解した。あたしを真に顕す言葉を見つけて、思わず呟いた。重なる主人の、吐き捨てるような一言。

「「裏切者」」


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