第十幕「約束の場所」

 青く晴れた空。羽ばたく白鳩。舞い散るライスシャワー。鳴りやまぬ拍手。輝く笑顔。揺れるヴェール。俺が見ているのはマリコのウェディングドレス姿とその横に立つ男の白い歯。鐘の音が、聞こえる。ブーケが、空に跳んだ。

「サトウ! おい、しっかり!」
 揺さぶられて、はっと目を開ける。薄汚れたカートの顔が間近にあった。鼻につく煙に眉をひそめ、銃声で自分の存在を認識し、揺らぐ頭を左右に振って、水の臭いを嗅いだ。
「Shit!」
 カートを突き飛ばして自分もごろごろと地面を転がる。みちゃっという音が首筋に響き、おぞけが奔る。手をつきマガジンを確認、起きあがりざまに照準を合わせる。この、イカレファック野郎!
 16ビートをマシンガンで刻みながら、記憶をたどる。官舎に帰投中の俺たちに襲いかかったのは、これまでとは比べものにならないほどの数をなす巨大なアメーバの群れだった。
「ロイ、バーナーの火力が弱ってるぞ!」
 大きな池のそばを通ったときだ。雨の上がった後だったので、水位が増しているのを不思議とも思わなかった。それこそが不思議だ。一斉に襲いかかってきた〈奴ら〉に取り囲まれ、絶体絶命のピンチだった。
「ジャック後ろ!」
 こんな空想世界を誰が体験したいと思うだろうか。脳は人間の身体の中で一番エネルギーを消耗する部位だ。四六時中、もの思いにふけっているティーンエイジャーとは訳が違う。ここでは、それぞれが主人公で、本当に死ぬんだ。その恐怖、その空想として片づけるにはあまりに生々しい現実。皆、疲れていた。だから誰もが朦朧としていたのだ。
「サトウ! 大丈夫なのか!?」
 おかしくならない方が、おかしいのだ。
 ごう、と熱気が俺を襲う。反射的によけたが、滑って無様に転んだ。そんな自分のみっともなさに腹を立てる。それが人間だ。誰かが言う。みっともなく生きあがいて、無様に死んでゆく。クールでいたいなんて、それこそ空想世界の産物だ。
「うるせえ」
 ムキになってそれを否定する。マリコが、織江が、イイムラが、生きあがいて無様に死んでいったとでも言うのか。イヴォコフが俺の言葉に目を瞠っている。奴らの死の上に、俺たちがいる。それの何処が無様なんだ!
 いいや無様だよ。解ってるはずだ。おまえの考えを実行するということは、奴らの死も、その上でもがいているお前も、すべてをなかったことにするということさ。結局、奴らは、犬死にだ。そうだろう。ここで襲われる前、お前は何を見た。何故〈奴ら〉のねぐら一つ一つにネームプレートがかかっていた? 何故〈奴ら〉の居住地には何本もレールがはしっていたんだ? お前が拾った書類に何故漢字が記されてあったんだ? 幼い頃に見た東京のシンボルタワーは、あんな形をしていなかったか?
 ふっと、夢の中で見た教会のシーンが頭に浮かんだ。そこに、一本の亀裂が入った。
「チクショウ!」
「サトウ?! しっかりしろ!」
 そうだしっかりしろ。しっかり見定めろ。ここが何処なのかを。
「チクショウ! チクショウ!」
 そう、もう解ってるはずだ。ここが何処なのかを。だからこそ、この星を滅ぼそうと思ったんだろう? この第三惑星を。
「うわあああああぁぁぁ」

 この星に来て、どれぐらいたっただろうか。惑星開拓団とは名ばかりの幽霊退治屋稼業にいそしんでいる。そう、幽霊退治だ。七〇年のコールドスリープを経て辿り着いた星は、亡霊の住む惑星だったのだ。取り憑かれれば、文字通り、未来はない。

 乾いた地面に腰を下ろす。岩と砂とが織りなす、一種の芸術作品であろう窪地に俺たちは寝床を作った。雲一つない星空に、変わることのないウサギのシミを付けたまん丸い光源が瞬いている。
「そんなフィルムが昔あったよな」
 誰かがぽつりと呟いた。蓋の開いた缶詰の乗っかっている原始的なコンロの周りには、我が仲間が食事を摂っていた。
「ああ。辿り着いた惑星じゃ愉快な猿どもが人間を支配してて」
「脱出してみればレイプされた自由の女神、か……」
 フィルムの名前が告げられる。誰かが「shit」と吐き捨てた。失笑が起こる。持っていた缶詰の底にスプーンを叩きつけてそっぽを向く人間がいる。
 火傷しそうな缶詰を受け取り、心配そうなカートの視線に軽く笑って見せ、栄養補給を行う。とにかく一刻も早く官舎に帰って、今後の方針を決めなくてはならない。しかし、この疲れ切った頭で良い案が浮かぶとも思えない。それは皆も同じだろう。
「気分はどうだ」
 叩かれた肩越しに、ロイが声をかけてきた。ドリンクパックから伸びたストローに口を付けつつ、俺の隣に腰を下ろした。
「ああ、ありがとう。正直いって頭の中が切れかかってるが、お前に無様な姿を見られてからかわれるようなことはないと思う」
「はっ、まだそんなこと言ってるのかお前。なら心配しなくていいな」
「心配? 俺がいなくちゃお前は何にもできないって認めるんだな」
「ああ。少なくとも俺の身代わりにあの化け物どもの餌になってくれるってところは、期待してるさ」
 鼻で笑ってやった。ロイも唇の端をつり上げている。何だ俺も心配して損した、なんてカートのつぶやきが聞こえ、ロイにこづかれた。
 見張りを終え、寝袋にくるまってどれぐらい時間がたっただろうか。話し声で目が覚めた。
「どうした?」
 カートが通信機にとりついて、焦った表情を浮かべていた。周りには小隊長とロイとイヴォコフが顔をつきあわせている。
「サトウか。いや、本部との連絡が取れない」
「何?」
「おおかたぐっすり夢の中なんだろうさ」
 そういったイヴォコフの横顔にはしかし、落ち着きがなかった。あり得ないことだと、自分でも解っているんだろう。嫌な感じがする。俺は夢の中にいる部隊員を蹴飛ばして起こし、すぐにでも移動できるよう準備を始める。始められなかった。遅かった。
 ズン、という地響きとともに小高い丘の向こうで発光があった。続けて二度三度と爆発らしき音が響き、キノコ雲まではいかないがそれは立派な爆煙が空にそびえ立ち、地面がぐらぐらと揺れた。そこは、俺たちの本部のある場所だった。
「……嘘だろ」
 あの爆発は恐らく自家発電用のタンクがはじけ飛んだものだ。
「おいおいおいおいっ!」
 ロイが身を乗り出す。ちっと舌打ちし小隊長は帰投を発令した。カートの手からイヤホンマイクが滑り落ちる。あの教会のシーンにさらにひびが入った。
 これまでのスピードタイ記録で準備を終え、我先にと走る隊員を横目に、俺の中で何かが崩れていくのを実感していた。思考は冷静、肉体も意図通りに動いている。しかし、俺の中で何かが決定的にずれていった。それが、現実逃避というやつなのだろうか。
 明け方近く、東の空が白んできた頃には陣地にたどり着いた。焦げた臭い、白と黒に入り交じった煙、未だ燃えさかる紅蓮の炎、炭化した人の手、そして、〈奴ら〉の「死体」とそれらを交互に見やりながら、呆然と立ちすくむ俺たち哀れな迷子の子羊たち。〈奴ら〉にやられたのか。いよいよ粛正に入ったのか。
「……とにかく生存者の確認! 武器弾薬の確保! 食糧の確保! 直ちにかかれ!」
 小隊長の一喝で我に返った俺たちは、死にものぐるいで作業に取りかかった。誰か生き残ってはいないのか。〈奴ら〉をぶちのめすための武器は何処にあるのか。炎と瓦礫のアミューズメントパークをひた走り、生存者確認の通信を耳にしたときにはすでに太陽は南天を廻っていた。
「何処だ」
「貯水池の傍」
 どうやら生き残ったのはキャサリン中尉らしい。現場に来るとしかし、誰もが俯き、首を横に振っていた。
「キャサリン中尉」
 イヴォコフの抱き上げたその顔は半分焼けただれ髪は焼けこげ、妖艶な面影はもうない。ピシッ。教会のマリコの顔にひびが入った。
「中尉!」
「キャス! しっかりしてくれ!」
 そしてその身体はずたずたにされ、骨が見えている部分もあった。
「……ああ、サトウも来てく……れたのね。サヨコは、まだ到着してない……の」
「中尉?!」
「サトウ……早くマリコ……をつかまえなさい……ロイにとられてしまうわよ……結婚式には……」
「キャサリン・ロングボルト中尉!」
「ああイヴ、久しぶりね……」
 血だらけの震える手をイヴォコフに差しだそうとする。
「お……とこなのにイヴなんて……おかしいね……でも貴男……いい男……よ……」
 いい男、と掠れた声でそう言って、キャサリン中尉の手が、地に落ちた。イヴォコフの必死の呼びかけの中、教会のマリコは笑いながら砕け散った。彼女の笑顔は、輝いていた。輝きながら闇に墜ちていった。
「まだ〈奴ら〉がいるぞ!」
 誰かが叫んだ。ふっと見ると、俺たちを取り囲むように〈奴ら〉が大挙していた。木の枝から草の陰から俺たちに跳びかからんと、その醜い身体をぶゆぶゆ震わせている。
「隊長に連絡してんのか!」
「あっちも応戦中だ」
 怒声、炎音、銃声、破裂音。それらの音が一気に重なり、ふっと耳が聞こえなくなる。すべてがスローモーションのように見えた。キャサリンを庇いながら必死の形相でバーナー銃を振り回すイヴォコフ。そのロシア人を引き立てようとする幾人かの隊員。指さし叫びあう隊員。融かされていく人間。目の端に〈奴ら〉を捉え、俺はバーナーを引き絞った。音のない世界でも、その光景には轟、という響きがあった。涙目で走り寄ってくるカートと、それを援護しつつやってくるロイ。ああ、こいつらがいるから、俺は今までやってこれたんだと、場違いにも感謝の念が生まれた。
「サトウ!」
「ロイ……一度しか言わないからよく聞け!」
 周囲を睨み付けていたロイの顔を挟んでこちらに向ける。見上げるカートの顔。
「っ……なんだよ!」

「惑星活性化装置を、破壊する」


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