不妊治療目前に授かった命
私は現在3歳の男の子を育てている母です。今は、お腹の中に新しい命が宿っています。
一人目も望んで妊娠したのですが、正直「欲しい、欲しい」と願わずに、ひょっこりコウノトリが運んできてくれました。
今回、2人目をありがたいことに妊娠することができたのですが、「欲しい、欲しい」と願っていたときには、なかなか授かれなくて、改めて「妊娠」することができることは奇跡的なことだと。
そんな私の1年と少しの気持ちを綴ります。正直に書いていくので少し偏屈な部分が見え隠れしてしまうかもしれません。
24歳の頃わかった多嚢胞性卵巣症候群(P
COS)
「妊活」や「不妊」について調べたりすると、割とすぐに知る言葉だと思いますが、私は多嚢胞性卵巣症候群(以下PCOS)と確か24歳の頃に産婦人科で診断されました。
PCOSとは卵胞の成長が途中で止まり、たくさんの小さな卵胞が卵巣内にとどまってしまう病気です。後に、妊活をしたときに自分の子宮内を見て、ちっちゃな丸のようなものがたくさんあって「本当だったんだな」と思いました。
町から子宮頸がん検査の無料クーポンが自宅に届いて、「まあ良い年になってきたし検査を受けとくか」ぐらいの気持ちで初めての産婦人科に行ったときのことでした。
「今は特に治療する必要はないですけど、子どもはできにくいかもしれません。その頃のタイミングでまた相談しにきてください。」と先生に言われましたが、安易な考え受け止め、まだまだこのまま自分のペースで生きていたいし~ぐらいの私は気にも留めていませんでした。
それが幸か不幸か(?)子作りに対してノンストレスだったのか、今の主人との間にあっという間に天使が授かり、今の私がいるというわけです。
この頃は飲酒喫煙はもちろんのこと、生理周期もバラバラでおりものの確認したこともありませんでした。
出産後も生理は1年半来ない
なんかかんやと無事に出産し、可愛い男の子を腕の中で抱きしめることができました。
妊娠中、太りすぎて辛かったし(自己管理が出来ない妊婦)、出産後も「全てのスタートはここから本当に始まった」というくらい大変な日々でしたが、噂通りなんやかんや母は頑張ることができました。
その後、私の身体の様子ですが、おっぱい星人になった息子に栄養を吸い尽くされたため15kg太った身体は、特段のダイエットもせずに20kg減りました。体重も胸も限界まできたところで、息子氏1歳1ヶ月に断乳実行。
1年間生理がきませんでしたが、完全母乳だとなかなか来ないこともあると聞いていたので気にしていませんでしたが、断乳後も来なくてさすがに焦る。焦る。おーい!もうきていいんだぞ!めんどくさいけどいいんだぞ!と心の中でたくさん唱えていました。
ふと「多嚢胞性卵巣症候群」を思い出して、第二子への不安がよぎるのでした。
2歳差での妊娠が周囲に続く
息子は5月生まれなので、ほとんどの子より早く1歳を迎えました。息子が誕生日を迎えると続々と1歳になるお友達の赤ちゃんたち。可愛いですよね。
なんとなく周りより少しだけ早く生まれた息子の母である私は、周りの人からも「こういう時どんな感じ?」と言われることが多かった。一歩前をいく感じ?なんとなく順序ってあるじゃないですか。
でも夏を過ぎた頃に、身近すぎる周囲が次々と妊娠。姉、義妹、そして毎日顔を合わせるようなお友達が何人も。
まだ一人を育てることも手一杯だったので、みんなすごいな!早いな!って思ったり、おめでとう!って思ったり、はたまた焦ったり、報告が多過ぎていろんな気持ちがごちゃごちゃな気持ちを覚えています。
私たちは授かり婚だったので、息子が生まれてからの結婚式を予定をしていました。「私たちは結婚式があるし、ダイエットや自分磨きを頑張ろう」と胸に刻み、平常心を保ちました。
だけど先の見えないコロナ禍時代に突入し、私たちの結婚式も延期することに。結婚式の予定もなかなか決められず、年だけ取るのが嫌だ!と行った私は、期限を決めて妊活をしたいという旨を旦那に告げ、協力を得ました。
この焦った気持ちがあったから、結果が伴わなかったのかなと今となっては。人と比べて良いことってないですよね~。
授かれない6ヶ月間
妊活を始めるにあたってまずは病院に。改めてPCOSを再確認。
生理が来れば病院に行く。
卵子を発達させる薬を飲む。
生理が終わったら卵子が成長していくか確認しに行く。
タイミングを2~3夜連続でとる。
排卵できているか病院へ行く。
時には注射をする。
この流れを生理が来るたびに6ヶ月繰り返し。
生理が来れば落ち込み、1日でもずれれば妊娠したかもと思い込み。
検査薬を何度空振りをしたか覚えていないけど、旦那に内緒にして買っては使ってを繰り返してました。
近所の知り合いが何人も妊娠したとお伝えしたと思いますが、そのこともあり近くの産婦人科には行けず、1歳の息子を連れて車を走らせて慣れない駐車場に停めるのが辛かった。
それよりも幸せな妊婦さんの友人を横目に、妊活で病院に通っているのを知られる方の辛さが勝っていたからこの選択肢しかなかったんだけど。
この期間、薬を飲めば順調に卵子は育つときもあれば、育たないときもあったし、中には2つ育っているときもあって。毎回ドキドキが止まりませんでした。
旦那のフーナーテストも行って、元気に動き回っていることを目の当たりにしたとときには、やっぱり自分の身体のせいなんだと落ち込んだ。
でも、別の日は、旦那の精子がほぼ死んでいてて(前日の性行為や病院に行ったタイミングによるんだろうけど)ショックもあったけど、悪いのは私だけじゃないのかもという謎の安堵感もありました。
そんな日々であっという間に半年が過ぎたのだけど、一向に妊娠の兆しは無し。夏頃には結婚式の日取りが決定したので一旦妊活を中止しました。
その間、避妊具を使うわけではないけど、タイミングを測ったりなどは意識せずにスキンシップをしたいと思ったタイミングで肌を重ねていました。
ヒョンとしたときに舞い降りてきた奇跡の命
とは言え、癖と言うのかな。生理やおりものが伸びているなとか、性交渉があった日にちはカレンダーに書き込みを続けていました。
だから今回2人目の妊娠が判明したときに、あの時のだ・・・!とすぐわかったのですが、実は中に出していなくて。でも元気なヤツがいたようです(笑)
願いに願って3夜連続頑張っても舞い降りてこないのに、こんな感じのときに???って。
だから妊娠は奇跡と言うんですね。
来月の結婚式が終わってから妊活しようと思っていたので、妊活への過度なストレスがなく、結婚式直前だったので幸せな脳内だったのかもしれません。
あとね、実はちょうど1年前くらいにトイレで白い塊が出てきたことがあって、たぶん稽留流産したのかなと私だけが知っている悲しい事実がありました。よく不思議なタイミングで戻ってくると言うけれど、私もあのときの子が戻ってきてくれたのかなという気持ちに。
しかも、今回身近に不妊治療で子どもを授かった人に話を聞く機会があり、私も本格的に考え始めようと病院を調べたりと動き出して、身体の検査をしに行ったときに妊娠の兆候がありますと診断されたのです。
確かに生理は45日くらい空いていたけど、先月も先々月も・・・って感じだったから、今回は浮かれないぜ!と自宅で検査をして行かなかったんです。
そのおかげもあり(?)妊娠の超初期で気がつくことができて、1人目の時より気持ち的に長い妊婦生活が始まりました。
まもなく安定期に入ります
今月の6月末で安定期に入ります。
私はというと、またまた食べづわりで食べているとき以外は地獄。実母の手を借りて5週間くらいご飯を作っていません(笑)
1ヶ月前の結婚式のときに仕上げたプロポーションからは(自分で言う)どんどん崩れてしまって既に3kg増。これが妊娠後期にどれだけ響くか学習できてないようです。
今回、私はすごくラッキーだったと思います。
自然妊娠だろうが、不妊治療を得て授かった子だろうが、妊娠ってキセキですよね。授かっても妊娠継続に至れないこともたくさんあるから。
妊活ってナイーブすぎて人に言えないし、その間に身近なところからはおめでたいニュースが飛び込んでくる年齢だし、おめでとうって言える心くらい持ち合わせていたいし。めちゃくちゃ2面性の自分の姿を知りました。
声には出せないような、ひどい言葉を思ってしまったり、人を羨むこともあったけど、誰かを傷つけたりしないように、そういう気持ちは心に閉まっておけた自分のことは褒めてあげたいと思っています。
そして妊活中いくら「リラックスして」「ストレスを無くすように」と言われても絶対に消えない。頭から離れるときって美味しいものを食べているときくらいじゃない?
ちょうど私は専業主婦で結婚式の準備で仕事(家でできるようなお小遣い稼ぎ程度ですが)を休んでいて、妊活もお休みしてたからストレスが全くかかっていなかったのかもしれません。
だから妊活をお休みしているときに授かるともいる説には妙に納得しました。
残りの妊娠生活、五体満足に健康な子が生まれてくるように母も健康に注意しながら過ごして行きます。
ちなみに旦那が五黄の寅年の36歳なのですが、今年もその年です。どんな気の強いお子が生まれてくるのか楽しみです。
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