忘れられない話
ふと思い出した忘れたくない話です
ティーンにもならない頃、母と何かしらのイベントに出かけた
そこで体験型のコーナーに参加した
軽いクイズが出され、子どもたちは左右エリアに移動して回答するというルールだった
一問目、今思えば子ども向けでもなく、大人でも判断できないような個人的な問題がだされた
オイラは自分なりの根拠があって左に移動した
当初は何人か同志がいたが、右に移動した子が圧倒的に多かった
MCのお姉さんの"今なら移動Okだよ"という促しもあり、右に移動する子が続出し、最終的に左に自分1人残った
お姉さんは何度か「君も右に移動したら?」と問いかけたが、オイラは頑なに移動しなかった
母が遠くで心配そうに見ていることも、右に移動した子たちやその親のいたたまれない空気を幼心にも感じた
邪推かもしれないが「移動しろよ、時間かかってるだろうが」という空気を感じた
でも移動しなかった
左が正解だという自分なりの根拠、というより勘を信じたからだ
何となく白けた空気の後、結局「左が正解」だと発表され、オイラは1人で商品を受け取った
商品が余ったのでクイズはもう1度行われた
クイズが再開される中で母の元に戻りながら誇らしい気持ちと申し訳ない気持ちとで複雑だった
母は我が子を笑顔で迎えながら「何でお姉さんに言われた時に移動しなかったの?」と聞いた
左が正解だと思った根拠を伝えると、母は感心し、とても褒めてくれた
嬉しかった
あの時の気持ちがずっと、自分の軸になっている気がする
必ずしも多数派が正しいわけではない
意思を貫くことは容易でないことや、流された方が楽であるという誘惑に葛藤することを学んだ
大人になった今、やっぱり多数派の意見や価値観に共感できないことは度々ある
しかし十人十色という世界に幸運にも出会うことができ、異なる価値観の中でも楽しんで生きている
ただSNSを始めたり創作の公開を再開してからは、できればたくさんの人に共感・評価されたいと思う時はある
特にSNSは他者と自己の価値観・評価の多数決が数字として見えてしまうからだ
そう思った瞬間、この出来事を思い出した
これでいいのだ
母が肯定してくれた子どもの頃の自分にずっと支えられている
しばらく忘れていましたが、忘れられない出来事です