偶像によってもたらされた苦楽
先日、私が初めて深くファンになった架空のキャラクターの最期が描かれた
彼女を初めて見た時は特別な印象はなかった
しかし、なぜだか日に日に心を捉えて離さない存在になり、ファンアートなるものを描くようになり、同じファンの方と交流してみたいという動機でTwitterアカウントも開設するに至った
私は幼少期から絵を描いていたが、頭に浮かんだ世界やオリジナルキャラクター、重機や瓦屋根などの無機物を描くことが多く、似顔絵や、既存のアニメや漫画などのキャラクターの模写を描くことはほとんどなかった
であるからして、ファンアートを始めたことは自分の中で大きな革命であった
しかも、絵を描くことを絶った社会人になってから
学生時代はオリジナル創作で絵の仕事をしたいとぼんやり考えたことがある者の端くれとして、人様の練り上げた作品の設定を借りて絵を描いている自分を省みた時、なけなしのプライドが蘇り、恥ずかしくて申し訳なくて描いたファンアートを消してしまうことも度々ある
ファンアート活動をする方々を貶める意図はないことは言っておきたい
この恥は、自身に常に劣等感を抱えていることに起因する
何かに夢中になって持続できる人を"オタク"というのだとしたら、私はそうではない
音楽にしろゲームにしろ芸能人にしろスポーツにしろファッションにしろ漫画にしろ、夢中になる対象がある人達が眩しく、羨ましかった
そんな遠い世界にいると思っていた"オタク"の人達と、彼女の死を悼んだ
直接言葉を交わさずとも、皆さんが彼女への想いを語る投稿が流れてくる
人生にこんな瞬間が訪れるとは予想もしていなかった
彼女の死そのものだけでなく、彼女の死によってもたらされた様々な、初めての感情に動揺した
前向きな意味での感動といってもいいかもしれない
描かれた最期が納得できるものだった、ということも大きい
そりゃ生きてほしかったと思う
しかし、生あるゆえの苦痛から解放されたのだという安堵もある
架空の過酷の世界に生きる彼女も、それを見守る読者である私も
情けないが涙が流れた
泣いてはいけないという気持ちと、誰も見てないのだから泣けばいいという気持ちがせめぎ合い、結局、泣けばいいが圧勝した
彼女との出会いは、これまで知らなかった世界を知るきっかけになった
ファンアートを描き、SNSで年齢も性別も地域も境遇も違う人達と交流し、まぁ、まったく何をしているんだかなぁ…と思いながらも架空の人物である彼女の誕生日を祝い、
そして最期を見届けて悲しむこともできた
彼女を好きになった自分を「でかしたぜ」と褒めたい
今思えば、初め何とも思っていなかった彼女は、よくよく考えると好みのタイプど真ん中なのだ。。
それはさて置き、最愛のキャラクターが死んでしまったというのにネガティブな感情だけに留まらず、「これでいいのだ」と思わせてくれるのは、明るくて少し変テコな魅力のある彼女の人柄ならではだと思う
キャラクターの本質は原作者の脳内にあり、私の求める偶像と異なるものかもしれない
それでも、穏やかとはいえない死に際を目にしてなお、不思議と前向きな想いも湧いた事実は、彼女がいち読者の中で常にポジティブに鮮明に生きたという証なのだと思う
彼女について、今後もファンアートを続ける方もいれば、心の中で静かに悼む方、もしかしたら離れていく方もいるのかもしれない
私は不謹慎ながらも、「もう面倒なことからは解放されたんだし、オイラが監督するごく個人的な妄想の産物に出演してくれませんか?」という気持ちだ
多分「いいよ!」と言ってくれるんじゃないかなぁ
思い浮かべる偶像の表情は常に笑顔なのだ