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こんな時だから考えた、芸術のこと。~コロナ禍における文化支援政策とBLACK LIVES MATTER~

愛知県の文化支援政策に集まる非難と、アメリカのある3人の黒人が映った動画を見て考えたことが私の中でつながったので、書き残す。


愛知県の文化支援策の発表

愛知県知事の大村秀章は、コロナ禍でさまざまな文化支援策を打ち出したことで、美術業界でさらに注目を集めている。愛知県が5月1日に発表した文化支援策は、当時全国最大規模であり、東京都が発表した同様の支援策は予算規模は愛知のものを上回るものの、発表には約20日もの遅れをとった。いかに愛知県が芸術やアーティストの価値にプライオリティを置いているかが分かるだろう。


私は、Twitterで政治家をフォローすることがほとんどないが、このような流れを見て興味を持ち、大村知事のことをフォローし始めたのだった。その次の日にも、大規模な芸術保護政策を発表し、本当に素晴らしいと思った。


ところがそのリプライ欄には非難の嵐。


「なぜそのようなことに税金を使うのか?」
「税金の無駄使いは直ちにやめて欲しい」

税金の無駄使い。
芸術なんてなんの役にも立たない。
今は必要ない。
万人向けのコロナ対策にお金を使う方が正しいに決まっている。

このような言葉が目立つ。


芸術に興味のない人に対して、その価値をひとことで分かりやすく示すのは簡単なことではない。
でもだからと言って、「分からない」と言う人に説明することを諦めるのは逃げだと思う。
言葉で説明しづらいことでも、なんとか近い言葉を探すしかない。それを怠ってはいけない。
言葉は、人と人とが理解に向かうための最大のフォーマットなのだから。


芸術が表現しようとしてきたこと

私は、このような世の中が混乱し日々激しく変化している時期にこそ、芸術を絶やしてはならないと思う。


少し歴史を振り返るとすると、例えば壁にスプレーで落書きをすることから始まったポップな表現であるグラフィティーアート。
一見ハッピーな雰囲気さえ漂うその文化が興った背景には、1960年〜1970年頃のニューヨークで度重なった街の政策の失敗、世界恐慌、財政破綻や治安の悪化などの不運の連続があり、ひどく退廃したその街で、暴力ではなく壁に描いた絵や文字で勝負しようという若者の閃きがあった。「誰がいちばんクールか?」を、壁を塗ることで競ったのだ。ラップも同様だ。これらは暴力ではなく筆で、暴力ではなく音楽で、モヤモヤとした気持ちごと表現するというアイデアだ。

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当時のニューヨークのように、たくさんの不運が重なり混乱した世の中は、非常に暴力が生まれやすい状態だと思う。
なぜか?
そこに強い感情があるからだ。

暴力によって人々が表現しようとしているのは、強い怒り、深い悲しみ、強い苦しみ、強い嫉妬、強い〇〇・・・。つまり楽しさや嬉しさ以外のもの。それもとても強い感情である。

そういった負の感情は、芸術の歴史の中で、数多く表現の題材にされてきた。ピカソは「ゲルニカ」という作品で戦争への強い怒りや悲しみを描いたし、37歳で自ら命を絶ったゴッホは苦しみの中でおびただしい数の作品を生み出したということは、多くの人が知っているのではないだろうか。

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新型コロナウイルスと人種問題炎上による混乱

今更言うまでもないが、現在、新型コロナウイルスが世界中に広まり、人やお金の行き来は目を疑うほど少なくなった。多くの人々が不利益や被害を受け、世界規模の長期間にわたる外出自粛生活では、様々なストレスにさらされている。

そんな中、5月25日のある事件をきっかけに、アメリカでは人種問題が炎上し、広い範囲で事件に抗議するデモが行われている。平和的な手段をとるデモの方が多いと信じたいが、一部では暴徒化し、その暴力的な抗議によって恐怖、悲しみ、憎しみ、そして新たな暴力を生んでいる。
そして数日前、3人の黒人が、これまでの苦しみと未来への希望を言葉にしたことが日本語にも訳され、多くの人の心を動かした。まだ見ていない人は次の動画を見てほしい。

今回の事件の抗議のために起きた暴動の中でこの動画に登場するのは、人種差別を解決に向かわせることができるのなら「自分はここで死んだっていい」と言う46歳の男性と、「暴動で状況が良くなるはずがない、まだ解決策が見つかっていないだけなんだ!」と言う31歳の男性、そして16歳の少年。
「まだ何か(暴動以外の)方法があるはずだ、人の身を危険に晒すことでは何も解決しない」と31歳の男性は語り、良い方法を一緒に考えて欲しいと16歳の少年に懇願する。この考えはこの男性が自らが危険を冒してきた結果、身を持って実感したことなのだろう。
彼は人種差別問題に腹の底から怒りながらも、相手を殴って抗議することではなく、”考えること”の重要性を説いているのだ。

暴力ではない方法で、表現するということ

私は、芸術とは、"言葉で表現できない(しづらい)ことを表現する手段”だと考えている。"言葉で表現するのが不向きなことを表現する手段"と言い換えることもできる。
時に芸術は言葉以上の力を持つ。言語の壁を超え、文化を超え、言葉を通してではなく心に直接訴えるのだ。その方法を、芸術家は毎日毎日考えていると言って良いだろう。

今、文化支援をすることの意味

冒頭の愛知県の文化支援策の話に戻るが、なぜ芸術を公的なお金を出してまで守らなければならないのか。
それは、芸術はお金を即時的に生むことが難しいからだ。少なくとも今の世の中では。残念ながら特に日本では。
そしてお金がなければ芸術家は作品を作ることができない。お金がない芸術家は、他の方法で生活費を稼ぐために頭を使い、考えなければならないことに頭を使うことができない。

今、先述のような人種差別問題はBlack Lives Matter運動として世界中で見つめ直され、混乱が超同時多発的に起こっている。一触即発の地雷が、そこら中に埋まっているかのようだ。日本でさえ、3日前には渋谷で人種差別を発端にデモが起きた。

3人の黒人たちの動画から改めて学んだように、今最も必要で、求められることは、みんなが考えること。自分や周りの人の置かれた状況をきちんと見つめて、良い方向に進むための解決策を考えなければならない。それも、自分のことだけではなく自分の周りや遠くにいる他人まで含めた人間というコミュニティとして未来を作っていくことを見据えるべきだ。

芸術は、作る人だけではなく、それを見た人にも考える場や力を与えるものだと思う。

そして芸術支援策は、まさにその「みんなが考える」というその状況自体を作ろうとしているのではないだろうか。

「自分の生きている場所をより良い場所にするために、自分の頭で考えることをやめないで欲しい。」

私は愛知県の文化支援策の発表を、そういうメッセージと捉える。



最後に、アメリカの5月25日の事件で死亡したジョージ・フロイト氏の弟が行った最新の演説。彼が賢く、勇敢な人で本当に良かったし、この言葉で世界は変わると思う。


(次のリンクでは、アメリカの今回のデモの広がりで拡散されたSNSの投稿がまとまっている。)



画像出典
https://dews365.com/newpost/183473.html
https://blog.kaerucloud.com/entry/freestylebattle/
https://caledonia01.com/sofia-3402
https://www.artpedia.asia/work-the-starry-night/



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