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私の発見は誰かの当たり前、私の当たり前も誰かの発見。

※こないだ社内のキュレーションサイトのキュレーターになぜか選ばれまして、2週間毎日全社員に向けて記事を執筆させられたのですが、その中で公開してもこれは問題ないというものをここにも備忘として載せておこうかと思います。
年齢を重ねて、文章をずっと書くような職種でないのもあって文章を書く機会がめっきり減ってましたが、たまに書いてみると楽しいもんですよね。
言語化すると思考が整理される、と書いてある本がよくありますが、本当にそうだなと思います。
ただ、2週間毎日更新しろはめっちゃきつかったな。うん。きつかった。


「発見」って言葉、よく考えたらめちゃくちゃ自分主体じゃないですか?

コロンブスがアメリカ大陸を「発見」しましたが、先住民にとってはそれは「当たり前」にある自分達の住む大陸だったわけで。

フランスのアンリ・ムーオがアンコールワットを「発見」したのだって、現地民にとっては「当たり前」に信仰していたものであったわけで。

インスタの「発見」機能で発見するコンテンツだって、前からそのコンテンツを見ていた人にとっては「当たり前」ですよね。

僕もこないだ初めて東南アジア(マレーシア・インドネシア・シンガポール)に行きまして、
「物価こんなに違うんだ!」とか
「マレーシアやインドネシアの発展していくパワーすごい!町中工事してる!」とか
「シンガポールの空港やばい!(チャンギ国際空港の「ジュエル」を初めてみました)」とか、
それはそれは「発見」をたくさんしましたが、これは現地の人、もっと言えば東南アジアに行ったことあったり、よく行く日本人にとっては「当たり前」なわけです。


広告という業界は特に「発見」「当たり前」という概念に近い業態だと思います。
誰かにとっての「当たり前」を広げて、「発見」させて購買につなげるという意味で。

この記事は、電通の梅田さんというコピーライターと、ワンキャリ役員の北野さんの対談ですが、
この中でも「当たり前になってしまったものの価値を外部から再発見していく」ということを広告会社の存在意義として語ってます。


ここでぼくが日々書いていることも、きっと誰にとっては「当たり前」のことなわけですが。
誰かにとっての当たり前から「発見」できるような視点を持っていきたいですね。
とりあえずマレーシアで食べたラクサがめちゃくちゃに美味しいという「発見」をしたので、誰か一緒にラクサ食いましょう。


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