お金について③【Hiro's Subject】
(前の記事)
お金について②
https://note.com/strugglewithlove/n/nad6bc60446d1
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前の記事で「儲けることの後ろめたさ」について触れつつも、その原因については触れなかった。今回は、なぜそれを持つようになるのか、について、自分も巻き込みながら、少し考察してみる。
僕らは普通、商品とお金を交換する取引のことを「商売」と呼んでいる
商売を構成しているのはざっくり次の3つだろう
1、商品(提供されるもの)
→モノ・サービス・体験
2、購入目的(購入して得たいもの)
→モノ・サービス・体験が与えてくれる機能効果や精神的充足
3、お金(1と2のマッチングに必要なもの)
お金というのは、購入者が求める機能効果や感情面での精神的充足を満たすものとして、商品を提供できたときに手に入るもの。
多く稼いだということは人より他者のニーズを多く/深く満たした証、なはずなので、本来的には、誇らしく思いこそすれ、後ろめたさを感じる必要はないように思う。
なのに、「お金儲けへの後ろめたさ」が蔓延しているということは、「他者のニーズを満たせずにお金をもらえる」という世界がどこかにあって、その世界に浸かっている人たちが割と多くいて、その言動、価値観が社会的に影響力も持ってきた、ことを示しているのかもしれない。
他人のニーズを意識せずにお金を得ている同士の関係性しかない状況をイメージしてみる。誰のどのニーズを満たしたかということが関係ないのだから、それを理由に得られる金額に差が生じることはフェアではない、となるんだろう。そうすると、差を生じさせる理由として、年齢、年数、役職など、誰にでも公平と思われる要素くらいしか使えない。
そんな、顧客のニーズが稼ぐ金額に影響しない世界で、周囲よりも多くの金を得ようとすると、所属する組織内での政治力を高めたり、適用されているルールの抜け道を見つけて利用することが必要になってきそうだ。それを平気でやる人は、汚い、ズルい、人を騙す奴となる気がする。
つまり必要以上のお金を稼ぐことは「悪」となるし、
いざ自分が人よりも稼ぎたいと思ったり、実際にそうする行為に「後ろめたさ」を感じるようになってもおかしくない。
例えば、こんな世界観に近いことが、どこかに起きていて、そこに属する人たちの「意味づけ」「解釈」「価値観」が、様々な形で再生産され続けていて、その影響で、同じような価値観を無意識のうちに内面化してしまっている、ということだとすると、「うしろめたさ」が醸成されることにも合点がいくと思った。
「お金を得る=他人のニーズを満たす」という結びつきの発想で収入を得てきた体感・体験をクリアに持っている人は、変化が起きたとしても「稼ぐ方法」を見出すことに自信を持ちやすい気もする。
一方で、「他人/社会のニーズを満たすこと」と「自分が稼ぐ」ということのリンクが希薄で「組織に所属するしていることの対価」や「労働や拘束の見返り」という発想が色濃いと、「所属を守ること」に執着しそうだし、「人よりも長時間労働をしないと稼げない」と信じることで”効率の良い働き方”に後ろ向きになったり、”楽して儲けてると見える人たちへの嫌悪感”に苛(さいな)まれる、となってもおかしくない。
稼ぐ方法についてごくごく限られていると信じているので、人のためにお金を使うのではなく、自分のために使うしかないし、溜め込むことが安全策、という発想になっていくのかもしれない。
例外はあるし、探せばいくらでも見つかるが、現代社会では顧客のニーズを満たすことで、お金を得ることができるし、どれくらい稼げるかは、誰の・どんなニーズを満たせるかで、決まる。気持ちよく支払ってもらえる金額がいくらかがそれ次第だから。
そう考え、お金を稼ぐために必要なものを考えることができるか、
お金儲け自体にある種の「後ろめたさ」を感じる”考えの枠組み”を内面化しながら、稼ぐために必要なものを考えようとするか、
スタート地点が違うと発想される「解決策」が大きく変わってきそうだ。
(続く)
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