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【コラム/「夫婦の日」に考えること-自分で選択する時代-】
さて、今年もやってきました
今日11/1は北インドの「夫婦の日」です。
(インドの祭日は全て月の満ち欠けによって決まるので毎年日にちが変わります)
「夫婦の日」と聞いて、
みなさんはどんな日を思い浮かべますか?
今わたしがいる、デリー(北インド)の「夫婦の日」は
それはそれは、独特な伝統的過ごし方があります。
カルバチョート(Karwa Chauth Vrat)
https://evenear.com/event/detail/8323
↑のウェブサイトがわかりやすくどんな日か書いてくれてますので是非読んでみてください。
そして、2年前、このカルバチョートについてスタエフで話してました(結構面白い内容だから、良かったら聴いてね!)↓
https://stand.fm/episodes/61796f660052ab0007777b55
2年前の自分の言葉を聞いて
今も考えは全く変わってないし
今は、より自分の人生で
「自分軸」
「自分の選択」
が大切になっていると感じます。
骨格メソッドに出会う前
身体が全く機能していなかった頃
わたしは「伝統」こそ美しく
守るべきもの、継承すべきものと
考えていました。
今も
インドでも日本でも
「伝統工芸」が大好きですし
特にインドの手織りの服や生地に出逢うたび、
「あとどれくらい、この質に出逢えるだろう」
と考えているんですが
(インドも、効率化、ファクトリーメイドが主流になってきているので
ここ、大都市デリーで手織り(hand woven)の品を手に入れるのは、簡単ではなくなってきています)
それは、あくまで買う側のわたしが考える
「残したい伝統」であって
作っている側は
「この面倒くさい作業、どうにか簡単にできないもんかなー」と、もしかしたら
「早く手放したい伝統」と考えてるかもしれないわけで。
結局のところ
「伝統」そのものには良いも悪いもなく
全ては自分が選択するか、しないか。
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世界を見回してみると
世界には「世にも奇妙」とも思える伝統が山ほどある。
「世にも奇妙」と感じるのは、時代が変わり、時代にそぐわなくなってきてるからだろう。
大多数のひとが支持している時代、それは「伝統」と呼ばれ
支持するひとが少なくなればその「伝統」は廃れ、
大多数の人が支持している時代
伝統に従わないと「常識外れ」もしくは「異端者」となり
時代が過ぎ、支持する人が少なくなってもなお、その伝統を支持するひとは「時代遅れ」と呼ばれるのだろう。
わたしたちは今、大体のことが
「選択できる」世界を生きている。
だからこそ、
自分の考え
自分の感覚で
選択できる自分でないと
自分じゃない、誰かがいいと言う方向に
訳が分からないまま流されまくって
気付いたら人生の終盤で
「あれ、わたし、誰の人生生きてきたんだろ」
となりかねない。
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わたしは、夫の健康を誰よりも願っている。
そして、今日も元気に、美味しいものを好きな量、食べようと思う。
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自分にとって
不要な伝統は
取り入れず、批判せず
我関せずのスタイルで
いきましょう。
そのために、まずは
自分の身体とココロの「中心軸」を
取り戻すことから始めよう。