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「Pretender」が教えてくれる ―ベーシックインカム編―

本稿は、4つの記事からなる『「Pretender」が教えてくれる』シリーズの2本目であるベーシックインカム編だ。前回のブルシット・ジョブ編を読んでいない方はぜひそちらを読んでから本編を読んでもらえるとより理解が深まると思う。

第2章:最善の社会保障

最善の社会保障とは、タイトルの通りベーシックインカムのことだ。本章では、ベーシックインカムの定義とその財源を確認し、その効果と懸念点について論じる。

無条件

ベーシックインカム(以下BI)を理解するために、誰でも聞いたことがあるだろう生活保護について簡易的に説明しよう。

生活保護とは、日本における社会保障制度のうちの一つで、経済的に困窮している人々に対して最低限度の生活を保障するための支援を提供する制度だ。

これを受けるためには、生活が経済的に困窮していることを役所に証明する必要がある。窓口で申請すると扶養家族の有無、世帯収入など受給資格があるか調査される。「受給資格あり」とみなされた場合、家族構成などの要因によって受取額が変動し、その給付されたお金は生活費にのみ補填される。

一方BIとは、財産の如何にかかわらず、定期的に、特定の条件(市民権)を満たす全ての個人に一定額を支給する政策である。そしてその使用用途も自由だ。

給付額の設定については、『AI時代の新・ベーシックインカム論』の井上氏によると、労働インセンティブを考える上で慎重に議論すべきだとしている。その労働インセンティブを考慮した上で一律月7万円の給付が適切だという。

確かに月20万ももらえれば誰も働かなくなってしまうことは想像に難くない。7万円であれば突然全員が労働を辞めることはないが、働かなくても地方への移住やシェアハウスなどで十分やりくりできる(井上)。貧しくても大家族になればその分多く給付金を受け取ることが可能だ。

ここでは、BIとは「全国民に無条件で毎月使い道が自由な7万円が支給される制度」とする。

財源の確保

一人当たり一律月7万円の給付だとすると年間で国民一人当たり84万円、人口が1.2億あるのでBIに必要な予算は年間で約100兆円だ。

そのうち社会保障の目的を同じくする

  • 老齢年金 約16兆円

  • 子ども手当 約1.8兆円

  • 雇用保険 約1.5兆円

  • 公共事業予算 約5兆円

  • 中小企業対策費 約1兆円

  • 農林水産業費 約1兆円

  • 福祉費 約6兆円

  • 医療費を除く生活保護費 約1.9兆円

  • 地方交付税交付金 約1兆円

合計約36兆円は直接ベーシックインカムに充てることができる(井上)。ちなみに農林水産業費が具体的に何であるかはさっぱりわからない。異常気象などで作物が収穫できなかったときの保障だろうか。

話を戻すが、この36兆円に加えて、年間の相続財産の80兆円のうち、相続税率を30%引き上げることで増加する24兆円の税収を充てる。

すると残りが40兆円となる。これは所得税率を15%引き上げることによって達成されうる(井上)。

所得税の引き上げと聞いて不安に思うかもしれないが、留意すべきことは既にすべての国民に年間84万円の給付があるということだ。つまり現在年収が560万円(84=560×0.15)ある人は今の環境とまったく変わることがない。むしろ仕事を辞めても年間に84万円もらえるというセーフティーネットを設置できることを意味する。

国税庁の発表では、日本の平均年収は443万円であり、年齢別の最も高い平均年収は40-44歳の524万円だ。加えて野村総合研究所によると、日本国内の富の60%を上位10%が所有している。

つまり年収データの最頻値(中央値)が、平均とされている443万円よりも低いことを意味する。560万円よりも低い年収の人は想像よりもずっと多く、その人たちの生活は今よりも楽になるということだ。

経済的効果

まずBIは経済活動を促進する。将来のために今ほど厳しく節制する必要がなくなるからだ。年金を納めていようがなかろうが毎月7万円振り込まれる。

金融緩和政策で金利をゼロにしても消費が伸びなかったことの理由の一つとして、将来への不安感からの貯金があげられる。

今の現役世代は一生懸命に国民年金の保険料を納めていても、老後にもらえる年金が少額、もしくはまったくないのではないかという不安感がある。そういった状況の中で貯金をしない人は、将来について考えられない短絡的な半人前と思われてしまう。

そう考えると、何も将来への可能性を示していない中での金融緩和政策が、賃金の上昇と生活環境の改善という点でうまくいかなかったのは当然の結果であるように思える。

GDP成長率を予測する要素として社会不安が考慮されるように、将来への不安がある程度解消されたとき、ようやく国民は消費を考えることができるようになるのである。

先ほど示したように税率が上がったとしても、一律の給付額があることによってほとんどの人にとって負担は軽くなる。負担が軽くなったこと、あまり貯金をしなくてよくなったこと、この2点によって、単なる金融緩和だけでは緩まなかった財布の紐が緩み、安定的な消費を行うようになる可能性は十分にある。

BIの基本情報でも触れたが、国民1人当たり7万円もらえるということは、家族に子どもが増えるほど家族全体の給付額も増えることになる。子どもが増えれば、国による手当など発行しなくともそれにかかわる業界が自然と潤うようになるはずだ。

消費が安定的に行われるようになると、消費税による税収も拡大する。消費税増税は現在の円安で観光客が増えているときにはある程度有効かもしれないが、国内在住の人々にとっては消費の妨げにしかならない。それよりも消費を伸ばすことの方が増税よりも根本的な税収につながる。

消費が伸びることで、企業にいきわたるお金の量も増える。すると労働環境は改善され、安定的な消費を見込んだ企業はさらなる成長のためにインフラへの投資を始めるようになる。つまり雇用の創出やイノベーションにつながるのである。言い換えればBIは高所得者にとって将来への投資でもあるのだ。

社会的効果

BIは経済的効果だけではない。「無条件に」生活が保障されているため、どう考えてみてもクソとしか思えない労働をやめたいと思ったときにやめることができる。

🙎‍♂️「BIなど導入しなくても生活保護があるではないか!!!」

と思われるかもしれないが、生活保護とはまったく状況が異なる。生活保護は生活に困窮していることを役所に認めてもらうという条件を満たして初めて受け取ることができる。つまり条件があることによって受給者は生活保護を受けていない人との違いが明確になる。保護が必要な存在として自他共に認めなければ生活保護を受けることができないのである。

一方でBIは無条件だ。自己を「社会のお荷物」と卑下する必要も、それを役所に認められる必要もない。税率は違えどお金持ちもそうでない人も一律に受け取っているのだ。

後ろ指をさされる・さされないの話で言えば、働いてさえいれば誰でも生活保護受給者を批判する資格があることになる。一方で、BIは年収が560万円より多くなってようやく批判する資格を獲得する。

そもそも生活保護であれ、BIであれ、どちらもすべての人間がまともに暮らすための社会保障である。そのことを理解できない、短絡的で視野の狭い「新皮質ひかえめ」なヒトが年収560万円以上の職についている可能性は極めて低く、そのような人がいたとしても、その人間性によって(AIなどの技術革新も相まって)あっという間にその職を追い出されるだろう。いずれにしても批判できるようになるハードルはずっと高くなるのだ。

このように生活のために仕方なく「ブルシット・ジョブ」についていた人々は、気兼ねなく労働をやめることができるようになる。仕事をすぐにやめなくとも、「いつでもやめられる」という心の余裕は、労働環境改善のための雇用者との交渉をより現実的なものにするだろう。

かつてのインタビューで矢沢永吉はこう述べた。

「僕はなるべく早くお金が欲しかった」
「お金があれば自由にものが言えるようになるし、自分の作りたくない音楽を作る必要がなくなるから」

まさにお金がないからこそブルシットなことから逃れられないのであり、お金がないからこそ自由に考えを述べることができずに資本家に虐げられているのである。

それだけではない。BI導入によって医療費も減少する可能性がある。わたしの周りには、クソどうでもいい労働のせいでうつ病や適応障害になる人が多くいる。

適応障害に関して言えば、治癒するために必要な時間はストレスを感じていた時間の4倍以上だと言われている。つまり3ヶ月間強烈なストレスにさらされていた場合、治癒に1年も要するということだ。「この仕事ずっとやってたら頭おかしくなるな」と思っている時間が短ければ短いほど治療期間が短く済む。適応障害になる人があまりにも多い現代において、BIは社会の健康に寄与するものとして、個人の健康を改善し、かつ国の医療保険の支出の低減も見込める。

さらに無条件の社会保障が導入されたことで、上手に暮らせばまったく働かなくてもやりくりできるようになる。すると明日の食べ物に困る人は少なくなり、さまざまな犯罪が減少し、そして精神の健康も改善されていくことでストレスが起因していた犯罪も減少するだろう。楽観的な見立てではあるが、今まで必要だった治安を守るための費用も低減するはずだ。これを社会善と呼ばずして何を社会善と呼ぼうか。

こうして医療と警察関係に必要だった予算が少しずつ国民へ再分配されれば高所得者に大きかった負担も軽減されるだろう。

文化的効果

BIの効果はまだまだ存在する。自由が拡大されると本当にやりたかったことに従事できるようになる。たとえ失敗したとしても最低限の生活が無条件に保障されているため、「興味はあるけどお金にならないからできなかったこと」にも注力できるようになる。芸術活動も、基礎研究も、建築も、商業性から距離を置くことで自由を取り戻すものは枚挙にいとまがない。

近年メディアに「今年注目の映画!」として取り上げられるものは、人気作品の続編かリメイクであることが多い。もちろん制作側にリメイクを作る熱意がないわけではないし、面白いリメイク作品も多く存在する。過去作への愛情が「自分ならこうする!」という思いになり、その感情が溢れた結果、リメイクを作ることになるという状況は十分想像できる。庵野秀明作品の「シン」が付くシリーズはまさにそういった雰囲気がある。

しかし問題は熱意よりも予算の確保だろう。予算が下りるためには、予算を出す側を説得しなければいけない。そうなったときまったく新しい内容の映画よりも、過去にヒットした映画の方が、比較的興行収入の見立てがつきやすいだろう。もちろん見立て通りの興行収入になることはあり得ないが、変数が少なければ少ないほど予想は立てやすい。

うろ覚えだが、タイトルに「ゴジラ」と入れるだけである程度の興行収入が見込めるという話を聞いたことがある。過去からのデータがあれば興行収入の最低ラインを予測することができるということだ。

商業の立場からすれば利益の見立てがつかないことに投資することはリスクでしかない。結果、映画は続編やリメイクばかりになり、似たようなアイドルが増え、似たような家ばかりが建ち、意味のなさそうな研究はできなくなっていった。

もし文化的活動において商業性が薄れるならば、利益度外視のチャレンジ精神に溢れる作品や研究が増えることは間違い無いだろう。前回の記事でも書いたが、打算的でない研究が増えることで、意図しないイノベーションが生まれやすくなる。これを計画的偶発性と呼ぶが、これは人類の叡智にはなくてはならないものなのである。

偶然やまったく異なることからヒントを得ることで知が発展することは歴史上往々にして起きている。

例えばペニシリンは、ブドウ球菌の研究中に研究者がうっかり放置した培養皿に青カビが発生し、その箇所だけブドウ球菌が死滅していたことから、青カビが抗菌作用をもたらす物質を生み出していることが発見された。

電子レンジも、レーダーの開発中にポケットのチョコレートが溶けたことに研究者が気づき、マイクロ波に水分子を振動させる作用があり、振動するエネルギーが熱へと変わることを発見したからこそ生まれている。

バイアグラも、狭心症の薬の副作用として現れたことをきっかけに勃起不全の治療薬として開発された。ちなみに勃起の副作用が出た臨床実験時の薬は狭心症に対しては効果がなかったそうだ。

ほかにもバイオミメティクス(生物の構造・機能・プロセスを模倣して新しい技術や製品を開発する)の分野においても起きている。

マジックテープはゴボウの種が繊維状のものに付着する構造を模倣しているが、きっかけはスイスのエンジニアが犬の散歩から帰ってから衣服や犬の毛にゴボウの種が付着していることに気づいたことだった。

「犬の散歩が生存の本質であるか」
「マジックテープの開発を人類の英知の発展と呼べるか」

という問いはともかくとして、自由に物事を考え、行動することが生存のきっかけとなるブレイクスルーを生み出す。

「人間は生存でもあるが、同時に自由」ではなく
「人間は自由だからこそ生存」なのである。

つまりどうでもいいことに必死になれたことで生存できたのだ(決してブドウ球菌や狭心症の研究がどうでもいいということではない)。

このように経済にも、健康にも、社会の安定にも、文化の回復にも、人類の成長にもポジティブな影響を与え得るベーシックインカムを導入しない理由はない。

懸念点

【インフレーション】
大量のお金が市場へと流れるためインフレが起きるのではないかという点について、BIは公共事業など元あった予算を移動させているだけに過ぎず、国内における財の量は変化していない。消費を起因とするインフレであればむしろ歓迎すべきことだろう。これこそ日銀が目標としていたものであったはずだ。

造幣することになってもハイパーインフレーションが起きることはないだろう。ドイツのハイパーインフレは戦争負債を返済するために大量のお金が刷られたことで起きている。そのレベルの造幣がされることはないだろうし、過去に日本で金融緩和が行われたときもハイパーインフレは起きていない。

そもそもインフレとは基本的に需要が供給を上回ったときに起きるもののはずだ。前章で述べたように現在は圧倒的な供給過多である。簡単にインフレなど起きない。

【ターゲティングの欠如】
本当に支援を必要としている人々に十分な資源が行き渡らない点について、そもそも現在のシステムが機能しているかという疑問がある。機能していたと仮定して、保護の対象をターゲッティングするためのコストがかかり過ぎていることは無視できない。

改めて生活保護受給の条件について調べたが、当然役所が調査する必要はあるとしても、「調査する人に支払われるお金をそのまま給付に回せば済むのでは?」と思ってしまうほど審査項目が多い。無条件の給付であればマイナンバーに紐づいた口座に一律の額を振り込むだけなのでランニングコストはほとんどないと言っていいだろう(井上)。

本当に必要な人を支援する仕組みについては後述する。

【労働意欲の低下】
無条件に給付することで怠惰になる人が続出するのではないかという点について、確かに月20万も支給すれば労働意欲は低下するだろう。それゆえ労働のインセンティブを無くさないために7万円という金額が重要である(井上)。7万円もらえれば今の仕事をすぐにでも辞めるという人は実際あまりいない。もし辞める人がいれば、労働内容と賃金が7万円に見合っていないということの表れであり、体を壊す前にぜひとも辞めるべきだ。

そもそも、すでに存在しない労働意欲をこれ以上どう低下させ得るのか。ケインズ予測で示したように週40時間労働のうち20時間以上は適切に被雇用者へと還元されていない。そのような環境で「働かなければいけない」と他者を鼓舞することは、「オマエには何の得もないけど、いいからオレ(資本家)の無尽蔵な物欲と承認欲求に付き合え」と述べることとあまり大差ない。

保たれるべき労働意欲とは次章で述べる「ディーセントワーク」における意欲であり、資本家の欲求に付き合うという「ブルシット(偽り)」な労働意欲など低下して当然であり、むしろ低下したほうが社会として健康なのだ。

第3章:クソじゃない健康ジョブ

ディーセントワーク

ディーセントワークとは、やりがいもあるしお金も十分もらえるジョブのことだ。国際労働機関のホームページにはこうある。

働きがいのある人間らしい仕事、より具体的には、 自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、 全ての人のための生産的な仕事

国際労働機関 ホームページより

『職業社会学』の尾高氏によると職業は、「生業」「天職」「職分」の三要素に分けられる(上村)。

  • 生業: 生活のために余儀なくすること

  • 天職: 個性を発揮すること

  • 職分: 社会における責任を果たすこと(社会の役に立つこと)

「働きがい」に内的な動機としての天職と職分の要素が含まれ、「自由、公平、安全」に外的な動機としての生業の要素が含まれている。内的な動機付けと外的な動機付けのどちらもが存在する職業を「ディーセントワーク」と呼んでいることがわかる。

改めて上村氏作成の図を用いて「ブルシット・ジョブ」、「シット・ジョブ」と「ディーセントワーク」を比較する。

上村泰裕
『働くことの意味と保護 ―持続可能なディーセントワークの構想』, 2021より
  • シット・ジョブ(エッセンシャルワーカー)
    職分の要素が豊かだが、生業の要素が希薄
    例: 保育士 / 介護士 / 看護師

  • ブルシット・ジョブ
    生業の要素が豊かだが、職分・天職の要素が希薄
    例: 監査人 / 受付係 / コンサルタント / ロビイストなど

  • ディーセントワーク
    生業・職分の要素が豊か
    例(あえて出すならば): 会社勤務の研究職

「家族を頼る」以外にもある!?

生活の保障(外的な動機付け)に関して、「どの国でも『家族を頼れ』って断られちゃうんでしょ?」と思った人もいるかもしれないが、実はそうではないようだ。上村氏の論文には興味深いことが書いてある。

かつてのイギリスにおける保障は教会がその役割を担っており、教会が働けなくなった人を救済したことは、のちのエリザベス救貧法、産業革命後には新救貧法へと変化していった(上村)。

そもそも教会の貧民救済は、財産の寄進を促進することが目的だった(上村)。教会が貧民を救済することで親族を頼る必要がなくなり、親族同士のつながりが弱くなる。すると相続人の少ない教会員が増え、彼らがなくなったときにその財産が直接教会へと寄進されるようになる。

どうしてもファミリーの概念が強くあるようにも思えてしまうキリスト教だが、一方ですべてのキリスト教徒がブラザー・シスターであるならば1つの鈴木家のような単位ではなく、キリスト教徒という巨大な家族に相続(寄進)する考えがあっても不思議ではない。

このような良くも悪くも教会が打算的に貧民救済を行っていたことが、どの町で貧困に陥ったとしても最低限の生活が保障されていたようである。これはイギリス社会が発展した1つの要因だ(上村)。

しかし多くの場合は親族による福祉に依存していた(上村)。現代の日本における生活保護の申請でも、扶養義務のある親族の有無や能力についての調査が行われる。そこで扶養能力のある親族が居るとわかると、その人に養ってもらえるという理由で受給を拒否される。

U〇er Eatsと人工知能

【インフォーマル雇用】
社会保障とは、制度を運営する能力を持つ政府と従業員の保険料を捻出可能な安定的な企業が存在することによって成立する(上村)。ここには雇用者と被雇用者の関係が生まれ、雇用者には非雇用者の生活を保障する責任が発生する。

一方で、近年のウーバー関連やクラウドソーシングは個人事業主として扱われる。業務的には被雇用者であることに変わりはないのに個人事業主として扱われるため、雇用側の立場には生活保障の責任が発生しない。収入が確保できなくなったとき自己責任として処理され、保障が希薄になる。このインフォーマル雇用と呼ばれる雇用形態は現代急速に拡大している。

【人工知能】
機械学習やロボット技術の進歩によって単純作業や反復作業の多い職業がなくなっていくという話も有名だ。基本的に労働手順が明確に記載できるものはすべてアルゴリズムによって遂行が可能である。

すでに一部のコンビニやアパレルのレジはほとんど無人で機能するようになっている。いつ、どの職種が代替されるかについては予測がつけられないとされるが、多くの職が代替されることは避けられないように思われる。

上村氏によると代替されにくい職は、

  • クリエイティヴィティ

  • ホスピタリティ(福祉サービス)

  • マネジメント

と言われているが、現代のAI生成技術を踏まえると、アートに関するクリエイティブ系について一部の有名クリエイター以外は生活がかなり不安定な生活をすることになるという状況は想像に難くない。マネジメント系もホスピタリティ系も効率化によって雇用機会自体が減少するだろう。

このようにウーバーのようなインフォーマル雇用とAIの時代に、今とまったく同じ社会保障制度では機能しないのは明らかだ。これまでもだが、これからはより一層「自己責任」だけでは到底片付けられない。

因果関係が逆転してしまうが、ベーシックインカム導入で企業が潤うことでそれらのインフラ設備に投資されたり、イノベーション国家となることで技術の進歩もさらに加速する可能性がある、という議論も紹介しておこう。

20XX年 未来都市―トウキョウ―

具体的にどのように進行するかの見立てはつかないものの、ギグエコノミー(ウーバーやクラウドソーシング)による雇用のインフォーマル化、AIの発達による雇用の消失は将来必ず起こる。名古屋大学の上村氏は今後、

  • ベーシックインカム

  • イノベーション国家としての非物質的な公共投資

が必要だと述べる。ベーシックインカムについては効果も含めて前章で記述したので割愛する。

公共投資について、かつて雇用がなくなったとき、政府が公共事業によって雇用を創出してきた。しかし現代において道路などの物質的なインフラは既に十分なほどある。今後のインフラは多くがITに関わるものが多くなるが、その分野における雇用機会もIT技能を持った人に限られるだろう。つまりこれからは物質的なインフラではなく、教育などの非物質的なインフラ構築に移行する必要がある。

上村氏はイノベーション国家として、教育に予算を割くべきだと述べる。これは高等教育を受けた人間が言いがちな「教育に力を入れるべきだ」というクリシェではない。

BIの効果でも述べたが、BIによって消費が促されることでさまざまな分野の企業が今までよりも潤うようになり、中小企業に分配されていた補助金の必要がなくなる。BIの導入があればその分をそのまま大学などの研究機関に充てることは実現可能なのである。自由な研究によるイノベーションの可能性は前章でも述べた通りだ。

まとめ

楽観的な考えではあるが、生活のためにあくせくする必要がなくなったことで、自らの人生や子どもの人生、政治や社会のことを真剣に考える余裕ができるはずだ。

ジョージ・オーウェルの『1984』をはじめとする近未来ディストピアを描いた作品の多くで、過剰な量の情報を与え続けるなどのさまざまな方法で人々に認知負荷をかけ、政治的な判断を鈍らせるような描写がある。認知負荷がかかった状態で真剣な議論をすることは難しく、動画配信サイトやSNSなどのインスタントな娯楽に時間を使ってしまう。決して空想世界だけの話ではないことは既におわかりの通りだ。

現代の(日本も含めた)各国の政府がプチ独裁国家と呼ばれる理由には、報道なども含めてさまざまな政治決定がごく一部の資本家に影響されていることもあるが、人々が慌しく生活させられていることで解決すべき問題について考えることができなくなっていることも含めていいだろう。

まとめると、現在でも学校教育、労働者の再教育としてデジタル技術教育の促進が行われている。今後も必要な政策であることは間違いない。しかしAIによってそもそも雇用が希少となった社会において、労働者の再教育が付け焼き刃程度のものであるならば、公共事業として意味をなさないだろう。時代の変化は加速度的に大きくなっており、常に最先端技術を教育したとしてもあっという間に陳腐化してしまう。このままではより一層個人の生活保障が脅かされる。その対策として無条件の保障としてのBIが必要なのである。

もちろんBI導入し始めには社会に大きな負荷がかかる可能性がある。しかし井上氏によると7万円を突然給付するのではなく、給付を1万円から始め、目標額の7万円に到達するまで毎年1万円ずつ増額するのが良いと述べている。こうすることによって無条件の給付金がある生活に慣れることができる。

高所得者への高い税率も、長期的には消費を促すための投資であるとも言え、所得がプラスに転じる可能性もある。

もはや国家がプチ独裁を続けたいという理由以外に、導入しない理由を探す方が難しいことを理解いただけたと思う。これからは技術の進歩による利益を適切に再分配する必要がある。人口減少が続いて、やがて人類がいなくなったら技術の進歩も独裁もクソもないのだ。

次回「自由と労働」編では、なぜ労働意欲は低下しないかについて、アーレントとミルの議論をもとに考察する。

参考文献

井上智洋(2018)『AI 時代の新・ベーシックインカム論』光文社新書.
上村泰裕(2021)『働くことの意味と保護 ―持続可能なディーセントワークの構想』, 日本労働研究雑誌, 特集●働くことの意味の変化.

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