見る東京、住む東京
MANGA都市TOKYOに行ってきた。
あんま普段の美術展っぽくない変わったタイトルだな、と思っていたら、フランス・パリで2年前にやった展覧会の凱旋企画とのこと。なるほど。
チケットを買う段階から多言語対応フル装備なフォームで(フォームは日英併記で、発券されたQRチケットは4ヵ国後くらい書かれていた。)、この時期にこの内容ということからも、本当だったらオリンピックでやってきた外国人観光客の超動員を見込んでいたんだろうなあ、と思うと、入場制限で原画を間近で見られて、来場者は9割日本人というこの状況はパラレルワールドみたいでちょっと不思議な気分がした。
展示を見ながら、学生の頃論文だか記事だか漫画だかで読んだ、「島国ではアニミズムの考え方が発展しやすい。日本では妖怪、イギリスでは妖精という形で現象や物事をキャラクター化していった。」という論説を思い出した。
展示内容は面白かったが、この内容は「東京」で暮らしていたり、働いていたりする人でないともしかしたらこの楽しさは分からないかもな、と思った。
なんとなく、日本国内で凱旋したとしても、この面白さを100%は持っていけない気がする。
ライムスター宇多丸さんがシン・ゴジラの映画評で言っていた「あぁ…俺たちの東京…」に近しい感覚は、東京にある美術館だからこそ再現できていると思う。(そして私はこの感覚こそ展示会の醍醐味に感じた。)
見る東京
さて、私は大学から上京してきており、東京に住んでぼちぼち10年を超える頃である。
それ故か、幼少期にハマったアニメに登場する「東京」はただの記号だった。
東京タワー=高い建物
渋谷・原宿=人が沢山いる場所
といった具合。
幼き頃、カードキャプターさくらにはまって、今もすごく好きだけれども、C.C.さくらが「東京を舞台にした物語」というのは全く思わなかった。
さくらちゃん達が住んでいるのは友枝町で、さくらの世界にしか存在しない架空の街の物語…と思っていたのだが、展示物のユエさんとの戦いのシーンはなるほど東京タワーである!
幼少期を東京で過ごしていたら、きっと東京タワーはさくらのイメージが強くついたのだろうな。
地方で見たさくらは、確かに東京タワーで戦っていたが、「なんかすごく高い鉄塔」というイメージでしかなかったのだ。
そうなんだ…さくらって、東京で展開されていた物語だったんだ…
展示会一のインパクトであった。
ゴジラが和光を壊したことも、モスラが東京タワーに繭を作ったことも、ぼんやりとした知識としてはもちろん知っていた。
ただそれは、田舎で暮らしていた私にとってはゴジラの強さやモスラの大きさを示すシンボリックなもの以上でも以下でもなかったのだった。
住む東京
映像作品を見て、「私たちの東京だ!」と思うようになったのは、おおかみこどもの雨と雪、そして君の名は、と結構最近のことである。
また、小説を読んでいて、京極夏彦さんの百鬼夜行シリーズに祐天寺がちらりと出てきたり、北村薫さんの小説に自分が通う大学が出てきたり、自分に身近なスポットが出てくると興奮を覚えるようになった。
おおかみこどもの展示を見ていたカップルが「これ立教大っぽくない!?絶対そうだよね!?」と言っていた。(興奮ぶりから、多分通っているのだろう。)新海誠監督の描く東京の精巧さは言わずもがな。
自分が暮らしを営む街に、キャラクター達が実在するような不思議な感じ。並行世界を見ている気分になり、その場所を訪れた際に、キャラクター達が透明な水のように存在している気がするのだ。
東京の物語は場所に親密感を抱き、地方の物語は考え方に既視感を抱く。
この展示会を見て抱いた考えだ。
後者で強い既視感を抱いたのは、山内マリコさんの「あのこは貴族」である。
田舎特有の閉鎖感や学歴の考え方がそのまんま昔の私(そして今の私にとっては苦手なもの)で、読みながらうわあああぁ!!!と頭を掻き毟りたくなった。
地方に脈々と流れる共通バックボーンを生々しく言語化されていて、すごくびっくりした。
地方で生まれ育ち、東京に暮らしているからこその二面的な見れ方ができて、なかなか面白い展示だった。
このあとは大分で開催されるようだが、そこではどのような視点で見られるのかは気になるところである。
また、自分が上記のような見方をしていたからか、パンフレット内で引用されていた押井守さんの発言
"アニメーションというのは不思議なもので、「ここはどこだ」とはっきり言わないと、大体「そこは東京である」と思っちゃうんです。
(中略)
はっきり言えば、『ガンダム』であろうが「ヤマト』であろうが、それは僕は東京の物語だと見てきたんです。"
これに関してはそうかなあ…と懐疑的だった。
だって私にとっては、「C.C.さくら」は友枝町の物語だったし、「3月のライオン」は三月町の物語だったからだ。
視点の差異を知れたのも、よかった。
あと、数年ぶりに「私たちはもう浅草十二階には出会えないんだ…」と喪失感を思い出したのだった。
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