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松本人志のインターネットとの近接、あるいは和解について

2014年27時間テレビ、SMAPが司会の今年、深夜に放送されたワイドナショー特別版でのダウンタウン、松本人志の発言がまとめサイト界隈で話題を呼んでいる。

松本人志「2ちゃんは俺の悪口ばかり、松ちゃんねるに名前変更しろ」
http://waranote.livedoor.biz/archives/40053606.html

ダウンタウン、特に松ちゃんの笑いの型の一つの特徴として
地上波のテレビという”公共性の高い(はずの)”空間に、極めて固有性の高い単語を放り込むことで起こるおかしみ、みたいなものがあると思う。

ガキの使いでの”クローズの22巻がない”でひっぱるフリートークなどはその典型といえる。
※動画が見当たらないので全然関係ないけどガキで好きなトークを
 https://www.youtube.com/watch?v=XeUmzxYxjmg

その意味で、この発言自体は特に力んだ感じで発されたわけではなく
いつもの松ちゃんの、ある意味余技と言っていい笑いの一つとして自然に発されたものだった。

しかし視聴者の、もっといえば僕自身のこの発言の受け取り方は何かこれまでと違っていた。


どうも松ちゃんは”「ネット」の文脈”みたいなものを、自身の固有名詞のレパートリーとして会得し始めているように思えたのだ。 ※ゆえにネットからの反応がビビッドだったように思う。

これまでの、特にここ10年の松ちゃんはインターネットとははっきり距離を置いていたように思う。
映画監督として作品をつくり、その多くが批判にさらされる状況もあり、ネット≒大衆≒仮想敵といった形で、明確に嫌悪を持って接していたように思う。

「つくらない人間に批判する資格なし」のような発言も散見されたが、それはネット(に書き込まれる悪評)に対する直接的な非難だったはずだ。

しかし、先述のワイドナショー特別版でも話していた通り、ネットへの非難・批判に対する嫌悪の感情は彼の中で大分弱回り始めているようだ。

昨年には、twitterのアカウントを取得し、現在に至るまで定期的に呟いているし、何より、今年前半のテレビ界で最も大きなトピックの一つ、「笑っていいとも終了」に際して特番で発した「(とんねるず石橋貴明と共演すると)ネットが荒れる」という一言は、ネットでまことしやかにささやかれていた文脈を端的に捉えた、固有性の非常に高い言葉だった。 

※ゆえにネット上で大きく拡散した。
https://www.youtube.com/watch?v=N3F2gCCiYGg

松ちゃんは、明らかにネットに向き始めている(ように思う)。
彼自身は、ずっと、そしてどんどん”大衆”に背を向け続け、内に向くようになっていたと感じる僕にとってこれは大いなる転向になる可能性を秘めた、とても喜ばしいことだ。

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