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最上志向の筋トレ読書

最上志向の筋トレ読書。

太平洋戦争の硫黄島の戦いの話を読みました。

社会党が力があったころは、自衛隊の車両も幌を被せたりしていたものなんですけど、いまは沖縄の米軍並みに存在感を示していますね。

1945年2月のちょうど今頃に米軍の硫黄島攻撃が開始されます。

3日間の戦艦や爆撃機による雨あられの攻撃のあと上陸。

海兵隊は朝食時にステーキと目玉焼きが出たら攻撃の合図なんだとか。

川のない硫黄島は元々約1000名の島民がいましたが、水は全て雨水に頼る生活。

そんな状態だったので、米軍も硫黄島の守備隊もそんなに多くもいないだろうと思っていました。

実際配備されたのは栗林中将以下2万名の兵隊。

それも、職業軍人ではなく地方から集められた人たちが守備していたのです。

栗林中将の前任者は小笠原の父島から指揮をとっていましたが、栗林中将は小笠原からの指揮を拒否して現地で直接指揮をとります。

栗林中将はアメリカに留学と武官として駐在し住んでいたので、アメリカのスゴさを肌で知っていた人でした。

それでも、国のために奉じようと覚悟をもって赴任してきたのです。

栗林中将のルーツは遡れば、真田幸村の軍団の一員。そこで、以前から随分と真田軍団の研究を重ねていたのだそうだ。

思い出すのは徳川秀忠の関ヶ原に向かう大群を、上田城で散々に蹴散らした戦。
そして、大坂の陣の真田丸での奮闘。

少数で16万を迎え撃つために8ヶ月かけて陣地を構築。

最終的には5日で落ちると言われた硫黄島を約ひと月守り抜き、本土への攻撃を遅らせた功績ははかりしれません。

最後は自らも突撃しますが、このクラスで先頭切って戦いに参加したのは栗林中将だけ。

あとはだいたい自決するのだそうだ。

まさに徳川家康に向かう真田幸村のような最後。

もっとこのような話を教える方がよっぽど平和教育にはいいのではないか。

そんなふうに感じました。

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