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【システマ】汎用システムエンジニアリングでシステマに完敗した話

概要

昔ある分野における業務の汎用的なシステムを作ろうとしていた。

しかし徹底的に標準化され、汎用化された体系はその世界の玄人からやたら評判が悪かった。専門性を欠く初心者向けだと思われたのだ。

数年たって仲間も散っていった。計画は後継者がおらずとん挫した。

システマに出会って、あまりにも完成されすぎた「汎用システム」が完璧に駆動しているのを見て腰を抜かした。

ぼくはシステマーになってプッシュアップをする日々。

「汎用システム」を作る

昔ある業務で「汎用システム」を作ろうと思っていました。

「汎用」どこでも状況や設定を問わずオールラウンドに使える仕組みのことです。

つまり、自分が誰だろうと、相手が誰だろうと、設定がどうだろうと同じように運用できて、システムに沿った結果を得ることができる。そういうシステムを作ろうとしていました。

もともとは先輩が行っていた仕事ですが、そのコンセプトをぼくは推し進めてシステムのフロー(流れ)を徹底的に標準化していきました。高度で専門的な場合分けはすべてそぎ落としました。

「こういう場合はどうする」ということではなく「どの場合もこう評価する」だけでフローをくみ上げようとしたのです。

そのためには徹底的なアセスメント(評価)をするスタイル基軸にしました。フローのポイントポイントで適切にアセスメントをする仕組みを持てば、状況、設定、予想範囲内範囲外かかわらずアセスメントに沿った行動が導き出されます。要は考えなくていいのです。

考えたり判断すると処理系が増大してわけのわからない結果になるから、考えずに標準化されたアセスメントだけを用いてフローを流していきます。判断せずに、評価した結果が適切な行動を導き出してくれるというわけです。

そうして二年ほど仲間と試行錯誤して完成したフローシステムは我ながらなかなか美しい姿をしていました。確かにそれに沿って行動すればだれでもいつでも一定の効果を得られるようになっていて、つまり汎用システムです。

名前を出すとあれなのでこれを仮に「フローアセスメント」となずけたとしてください。フローアセスメントが一応完成してぼくはうれしかったです。

それに対してのトレーニングコースも組み、これもエビデンスに沿って間違いのない価値を得るために、徹底的に標準化し、だれでもコースを完了すれば同じ教育効果を得られるようにしました。

ぼくは苦労して作ったフローアセスメントがこの業界の業務を席巻するのではないかと夢すら見ました。

ベテランに嫌われる汎用フロー

しかし実働したアセスメントフローはめっちゃ評判が悪かった(笑)

いや、評判が悪かった層がはっきりしていました。その業界のベテラン、熟練者の人たちからすこぶる評判が悪かったです。

ベテランたちというのは蓄積された膨大な経験から常に感覚的に最短で最高っぽい結果を出す方法を経験的に知っています。

だから、いちいち金科玉条のフローに沿って低次元なアセスメントするということが悠長に思われるのです。

「だっておれの一番いいやりかたはこうだから」

「20年間これでやってる」

「これはまあ初心者用だね……」

たしかに、ぼくらのつくったアセスメントフローは初心者になら抜群の効果を得ることができました。あらゆる状況、それこそ初対面の状況でもある程度世界をアセスメントに沿って標準化してあるので経験が関係ない動きができるからです。だが、逆を言えば経験が豊富なベテランにとっては標準化されたフローは勝手に組み替えられて使いこなせるので、フローアセスメントは初心者のうちの融通の利かない補助輪にしか見えないです。

そして高度な専門性がもてないという点が一番痛かったです。

フローアセスメントは汎用システムだから、専門化と相性がわるい。細分化高度化するというたぐいのものではない。だから、いつまでも初心者風のやり方でずっとやっているという風にしか人の目に映らないのです。

もちろんフローアセスメントは使う人間の固有の能力やバックグラウンドによって効果が変わる特質があって、それははっきりと報告会や勉強会でも認識して訴えていました。だが、みんなそんななんだかはっきりしない実力が定量化されないような業務システムに手ごたえを感じていなさそうでした。

もっと、はっきりフローアセスメント何段!こいつよりこいつが上手い!みたいな形式で熟練度や専門性が浮き彫りになればよかったのだけれど、汎用システムってそれができないから、構造的にそういうのは無理でした。

ぼくは内心「フローアセスメントは決して初心者だけのものではない」「個々の高度な専門性を持ち込んでも十分機能する」と思っていましたが、あまりそこら辺を追求する前に一緒にやっていた仲間が離れていきました。ぼくの一番育成していた後輩も離脱して、結局相当数いた仲間は離散しました。ぼくのこだわっていた「汎用システム」よりそれぞれの分野の昔ながらの高度な専門性を追求し始めました。「ある程度なんでもできます」では食っていけない。仕事にははっきり「うちは何が専門」が必要だったのです。

ある分野の専門家は、正直な話ほかの分野の素人です。だが、パッケージした商品はある分野の専門性を強く訴えないことには市場で価値が生じないので、他人には響きません。

フローアセスメントはいいところ初心者教育コースとしかとらえられなかった。実際使われた現場は初心者教育が関の山でした。

仲間からも「これはわかりにくい」「広まりにくい」といわれました。みんな具体的で用途の明確なフローを求めたのです。抽象度の高い汎用システムを作ろうとしていたぼくは理解者をだんだん失いました。

ぼく自身も活動を深くしていくための精神的な機軸が折れて、自分も「フローアセスメント」の開発から手を引いて完璧に、一時は百人近く居た研究会は解散しました

こうしてぼくの夢見た汎用システムはとん挫しました(笑)

「システマ」はすべてを備えた汎用システムだった

そして数年してロシア古武術システマに出会いました。

だんだんシステマの概要を知るようになり、その本質に気が付いたとき冗談抜きで寒気がしたものです。

だって、これこそ完璧な「汎用システム」だったからです。

しかも武術の形態をとりながら、あらゆるシーン、あらゆるサイズ、あらゆる粒度のオプス(作業)で活用できています。

精神的、肉体的、感情的その周辺のあらゆる人間の仕事において稼働できる胡散臭いほどの(本当に失礼だが)汎用性を備えています。

そして「システマの熟練者」=状況を問わず最適解で行動できる人という無茶苦茶な概念存在を実例として多数生み出しています。

誤解を恐れずに言えばシステマの達人はあらゆる状況において達人としてふるまうことができるでしょう。システマが真に汎用だからです。すくなくとも全く人生で目の当たりにしたことのない状況、分野でもシステマに沿えば、リラックスしてできる行動を無理なくすることができると思います。

ぼくはフローシステムの時、システマの「呼吸」にあたるものを「循環」及び「連鎖」ととらえていました。だが、それは「呼吸」でした。

システムは循環するように動いているが、その本質は呼吸しているからです。

システムはそれを使う人間同様「生きて」いなければいけなかったのだということを、システマに教えられました。

システマは一個の生物のごとく、呼吸し、動き、その方向性を持ち、そして柔軟でした。生きてるんだからいる状況問わずいついかなる時でも機能するはずです。

だからシステマは死ぬと使えない(笑)サバイブということが何より大事なのもそのためでしょう。

多分システマとそれ以外の様々なシステムの大きな違いがここらへんだと思います。生きているかどうかです。他のシステムは大体高度でも死んでいるので、用途が明確で限定的だということもできます。

ぼくとぼくの仲間が試行錯誤したちゃちな汎用システムのはるかな先にある完璧な形が「システマ」でした。

ぼくが後100回は異世界トラック転生しないと気が付かない体系だと感じました。ぼくはもうハートを撃ち抜かれて、システマを習い始めてから毎日呼吸しながらプッシュアップしました。

システムの稼働性、柔軟性、本質的な事項に向かう方向性、そして出力と抽象度あらゆる意味でシステマは最高に素晴らしかった。これは美辞麗句ではなく、本当にそう思っています。システマはエレガントです。数学的ですらあると感じます。

システマの創始者ミカエルはシステムエンジニアとしてみても過去最高の人物の一人ではないかという気がします。すくなくとも昔ぼくのいた業界の業務フローシステムの次元でシステマを超える完璧に抽象的で汎用なものは、見たことがありません。

いまはまだコンバッティブスキルやエクササイズとしてのシステマが広く認知されていますが、これからどんどんもっとさらに抽象的な分野、あるいはビジネスや教育、芸術や精神活動の面においてもシステマの無敵汎用システムっぷりが発揮されてくるとおもいます。

これは書くべきか相当迷ったのですが、ぼくがよく知っているシステマに非常に似た形式の高度な汎用システムがもう一つありました。次回はその話を書こうと思います。読んでくださってありがとうございました。






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