コラム「語学屋の暦」「もう一つの甲子園」──猛暑対策の屋根は必要か 元朝日新聞記者 飯竹恒一 (2023/08/28)【時事通信社 Janet 掲載】
【写真】第70回全国高等学校定時制通信制軟式野球大会の開会式=8月17日、東京・明治神宮野球場(撮影・飯竹恒一)
この記事は下記の時事通信社Janet(一般非公開のニュースサイト)に2023年8月28日に掲載された記事を転載するものです。
この8月、阪神甲子園球場を舞台とする高校野球で「慶応旋風」が巻き起こる中、東京在住の私は「神宮伝説」がキャッチフレーズの「もう一つの甲子園」に足が向いた。東京の明治神宮野球場(神宮球場)を主会場とする「第70回全国高等学校定時制通信制軟式野球大会」。通称「定通野球」の全国大会だ。
大会2日目の8月18日、台風7号が去って晴れ上がった神宮球場に到着すると、第1試合が始まる午前8時時点で、すでに「熱中症警戒アラート」を実感させられる強い日差しに汗が止まらなかった。観衆は100人にも満たずスタンドはガランとしていたが、選手の家族らが陣取るバックネット裏席からは、九州弁交じりで「声かけて」「がんばりどころだ」といった応援文句が盛んに繰り出されていた。
「甲子園は狭き門ですが、こちらは広き門です」と謙遜したのは、西九州代表のクラーク記念国際高校・熊本・通信制の二塁手・志岐誠仁(まこと)選手(16)の父仁史(ひとし)さん(54)。同高校の北海道本校の硬式野球部は今夏、北北海道代表として甲子園初勝利を挙げている。通信制を主体とした新しい学びのスタイルで育まれる系列校の球児たちの活躍が、硬式・軟式を問わず目立つ昨今だ。
岡山県立岡山操山高校・通信制を相手に、巧みなバントを試みるなど奮闘するわが子の雄姿を、仁史さんは熱心にビデオに収めていた。試合は6対13の7回コールド負け。それでも、神宮球場を本拠地とするプロ野球・東京ヤクルトスワローズの主砲・村上宗隆選手が地元の熊本市出身であることもあり、親子で「神宮の森」を満喫できたことに、喜びもひとしおの様子だった。
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ところで、暑さ対策で今回、甲子園で初めて導入された「クーリングタイム」は、定通野球でも同様に設けられていた。その点、仁史さんが「九州よりも都会の方が暑いですね」と東京の印象を語ったのは興味深かった。「ビルが立て込んでいるせいでしょうか」と私は応じ、うなずき合った。
この関連で思い出すのは、日刊スポーツのヤクルト担当記者が最近、「新神宮球場は本当に屋根なしで大丈夫?」などと題して書いたコラム記事だ。東京五輪に向けて完成した現在の国立競技場を巡り、当初は「開閉式の屋根」付きの「冷暖房を完備した全天候型の施設」が計画されながら、費用高騰を招いて見送られた経緯を踏まえ、こうした「夢の計画」について、神宮外苑の再開発で計画されている新球場で「検討の余地は残っていないのか」と問題提起している。
特に、選手の体調管理も踏まえた猛暑対策に加え、野球以外の事業での収益性が高まるという点でも「全天候型」は意味があるとし、さもなければ、「ホワイトエレファント(無用の長物)」を生み出しかねないことへの危惧を表明している。この指摘は、再開発の是非を巡る議論でもこれまでなかった視点だ。ヤフーのニュースサイトにも転載されるなど、プロ野球や再開発問題に関心を寄せる人たちの間で、話題を呼んでいた。
野球はもともと、天候に左右されやすいスポーツだ。雨天で中止や順延に追い込まれることの煩わしさは、野球少年の端くれで、記者としても高校野球取材を一通り経験した私自身、大いに実感してきた。それゆえ、屋根付きのドーム球場の恩恵を感じることも多く、実際、1988年オープンの東京ドームを皮切りに、日本各地でドーム球場が次々と誕生した。
一方、今後も改修で維持されていく方針の甲子園はもちろん、広島東洋カープの本拠地として2009年にオープンしたマツダスタジアムも紆余曲折あって、それぞれドーム型ではない。ドーム球場は利便性の一方でコスト高などの問題もあり、さらに「野球は空の下でやるのが本来の姿」という主張も根強く、ドーム一辺倒ではないのが現状だ。実際、外苑再開発で計画されている新球場はホテル併設だからなのか、現時点の計画では屋根がない。
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ところで、野球の本場である米国に目を向けると、気候変動による大リーグへの影響を巡る議論が盛んになっている。米メディアの動画ニュースでは「1970年から2022年にかけ、大リーグのチームがある都市の平均気温は2. 2度上昇した」との統計が取り上げられ、気温が上がると、本塁打数が増えるという点も大きな話題になっていた。
気候変動で雨天が増えて、試合が中止に追い込まれるリスクのほか、「暑さのストレスが増し、プレーの質に影響が及ぶ」(You're gonna see more heat stress, and that's gonna impact the quality of play.)という指摘や、スタンド観戦についても、「暑さと湿気が相まって、真夏の試合は耐え難いものになるだろう」(The combination of heat and humidity is gonna make it almost unbearable to attend a baseball game in midsummer.)という発言があった。大リーグの開催時期を気温の低い時期に移す提案も出ているようだ。
さらに、フィラデルフィア・フィリーズの本拠地スタジアムについて、「シチズンズ・バンク・パークが屋根付きになるなんて想像できるか?」(Can you imagine a roof on Citizens Bank Park?)といったやり取りもあった。今後、こんな議論がいっそう飛び交う可能性もありそうだ。
こうした米国での議論を踏まえると、日刊スポーツのコラムと通ずる部分もある。再開発の是非は別にして、真夏の外苑におけるプロ野球の試合について、選手と観客にとって快適な条件を整えるという点に限れば、「屋根付き」は道理に合っているかに思える。
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しかし、次のような指摘を踏まえると、そうした議論も説得力を欠くのではないか。
今年7月の世界の平均気温が観測史上、一番高かったことが世界的に話題になる中、メディアでもっぱら取り上げられたのは、米アリゾナ州フェニックスだった。40度をゆうに超える日が続き、多くの犠牲者が出た。ロイター通信が現地の大リーグ・ダイアモンドバックスの本拠地であるチェイス・フィールド(Chase Field)について、興味深い記述をしている。
「お金に余裕がある人にはエアコンがある。チェイス・フィールドで大リーグの試合は午後の早い時間に行われるが、ここでは格納式の屋根と空調設備により、スタジアム内は18度の涼しさが保たれている」(For those who can afford it, there is air conditioning. A Major League Baseball game is played early in the afternoon at Chase Field, where a retractable roof and air conditioning keeps the stadium a cool 18 C.)「しかし、フェニックスのホームレスの住民にとって、そうした安らぎの場はない」(But for the homeless population of Phoenix, there is no such respite.)
「午後3時半ごろ、放置された電子レンジの上に座るホームレスの男性が、熱を感知できるカメラで撮影され、周囲の表面温度は61度だ」(A homeless man sitting on an abandoned microwave oven at around 3:30 p.m. is captured by the heat-sensitive camera and the surface temperature around him is 61 C.)
加えて、米ラジオ番組に出演した気候変動問題の専門記者はこんな指摘をしている。
「エアコンへのアクセスを改善することが重要ではないとは言うつもりはない。それは非常に重要だ。 しかし実際には、エアコンを利用できない人々が地球上に何十億人もいる。エアコンがこの問題を解決する特効薬だとするのは非常に甘い考えで、猛暑を巡る問題の全体像の中で、ある種の大きな神話のような存在になっている」(I wouldn't say that, you know, improving access to air conditioning is not important. It is very important. But the fact is there are billions of people on this planet who do not have access to air conditioning. And the idea that air conditioning is some kind of magic bullet that's going to solve this problem is very naive and a kind of big myth in the whole story about heat.)
さらに、エアコンで快適に過ごすことのリスクについて、「もし大規模な停電が起きたら、密閉された建物は『対流式オーブン』のような状態になる」(if you we have a major blackout, these sealed buildings become convection ovens)と警告している。
日刊スポーツのコラムの議論で決定的に欠けているのは、このまま気温上昇が続いた場合、それは人類そのものの危機であり、野球に興じている場合ではないという視点ではないか。野球場に屋根を付け、冷房で快適な空間にすれば済むという発想は、あまりに安易だ。
実際、東京都環境局によると、東京は過去100年で気温が約3度上昇した。中小規模の都市の平均気温上昇が約1度なのに比べて上昇が大きいのは、「地球温暖化の影響もあるが、ヒートアイランド現象による影響も大きく現われている」と説明する。この現象の原因として、①緑地や水面の減少②アスファルトやコンクリートに覆われた地面 の増大③自動車や建物などから出される熱(排熱)の増大④ビルの密集による風通しの悪化─を挙げている。
これを踏まえれば、緑や水を活用し、ビル建設を抑制することが、暑さ対策の有力な手立てであることが分かる。環境重視を掲げる小池百合子・都知事だが、自ら指揮する都行政でこうした問題提起がなされながら、外苑一帯の樹木の多くを伐採したうえでビル街にする再開発を後押しするのは、自己矛盾だ。
著名な外苑のイチョウ並木に足を運ぶと、日差しの多くが遮られた風通しの良い空間で、いわば自然のクーラーのような快適さを味わうことができる。最近、生育不良も伝えられているが、手を施して本来の姿を守っていくことこそが、自然を生かした暑さ対策の大きなヒントになりうるのではないか。
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定通野球の決勝戦は台風の影響で順延になったことから、会場は当初予定の神宮球場ではなく、同じ東京の駒沢オリンピック公園硬式野球場になった。ここも豊かな樹々に囲まれる環境を誇る。星槎国際高校・東京・通信制が、終盤に粘る大智学園高校・通信制を振り切って、11対8で優勝を決めた一戦は、甲子園に劣らず手に汗握る迫力があった。くしくも、後援する日刊スポーツの代表が閉会式で「良い試合を見せてもらいました」と熱戦をたたえた。
(下記の画像をクリックすると、YouTube動画が始まります)
ところで、今回の甲子園では、往年の甲子園スターで、元プロ野球選手の清原和博さんの次男勝児さんが慶応高校の控え選手としてベンチ入りし、代打出場したことが話題になった。慶応高校が優勝を決めたのを受け、スタンドから見つめた清原さんが「立派に育ってくれた」などとコメントしたことが報じられた。
公私ともども波乱の人生を送ってきた清原さんのことを思うと、父親としての横顔は微笑ましい限りだ。もっとも、プロ選手を輩出する甲子園であろうと、中学野球の未経験者もいる定通野球であろうと、野球に寄せる純粋な思いに差はない。甲子園で敗退した選手が見せるのと同じ涙を、私は今回、神宮でも駒沢でも直に見た。それを遠巻きに見守る親御さんたちのまなざしは、父親としての清原さんのそれと同じだろう。
その甲子園が屋根なしのまま、改修で後世にその歴史を受け継いでいくのならば、神宮球場も同様に、せっかく育て上げられた森に囲まれた今の場所で、空も仰げるスタイルのまま維持されることを願う。暑さ対策の知恵を絞り、気候変動対策への関心を高めるための運動を喚起するレガシーとして、その存在感を発揮してほしい。それがもともと大衆のスポーツ振興を念頭に計画された外苑のあるべき将来像だろう。
飯竹恒一(いいたけ・こういち)
フリーランス通訳者・翻訳者
朝日新聞社でパリ勤務など国際報道に携わり、英字版の取材記者やデスクも務めた。東京に加え、岡山、秋田、長野、滋賀でも勤務。その経験を早期退職後、通訳や翻訳に生かしている。全国通訳案内士(英語・フランス語)。
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