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【時事通信コラム】ムッシュ・ヨシダがフランスに教えた日本野球🥎元朝日新聞記者 飯竹恒一【語学屋の暦】

【写真説明】吉田義男さん(右)とジャメル・ブータグラさん(左)(ブータグラさん提供)

この記事は下記の時事通信社Janet(一般非公開のニュースサイト)に2025年2月21日に掲載された記事を転載するものです。


「ウシワカマルのようなプレースタイルの方でした」(C'est comme le personnage d'Ushiwakamaru.)。はるかフランスからやってきた野性味あふれる男性が、師と仰ぐ日本人の異名をすらすらと口にしたのは、ちょっとした驚きだった。

吉田義男さん(右)とジャメル・ブータグラさん(左)(ブータグラさん提供)

発言の主は、野球界を牽引(けんいん)してきた元仏代表ジャメル・ブータグラさん(50)。2月3日に91歳で亡くなったプロ野球阪神タイガースの元選手・監督の吉田義男さんの葬儀(2月8日)に参列するため、フランス野球・ソフトボール連盟のディディエ・セミネ会長と一緒に急きょ来日した。

1995年までの7年間、仏代表監督を務めた吉田さんは阪神での現役時代、身長165センチと小柄ながら、遊撃手として華麗で軽快なプレーでファンを魅了し、「今牛若丸」と呼ばれた。さらに、吉田さんが2度の盗塁王に輝いたからだろう。「『走ること、それは金なり』(Running is money)と英語でよく言っていました」と、取材に応じてくれたブータグラさんは懐かしがった。

監督として、1985年、阪神を球団初の日本一に導いた後、人づてに誘われてフランス野球界に身を投じた吉田さん。その目に留まった若手のうちの1人が、当時まだ10代だった捕手のブータグラさんだった。

パリ近郊の町で、モロッコ移民の家庭に育った。野球が盛んなベネズエラ系の仲間が身近にいた影響で、フランスではマイナーな野球に6歳で出会った。サッカーやバスケットボールなど一通りのスポーツをやったが、「野球は他のスポーツと違っていて、新しかった。ボールを打って遠くに飛ばすのが快感だった。近所の家の窓ガラスをだいぶ割ってしまいましたが」(Le baseball, c’était différent et nouveau. On aimait bien frapper la balle loin. On a cassé pas mal de carreaux dans le quartier.)


南仏モンペリエの国立体育学校で野球に打ち込んで頭角を現したが、代表チームに加わった当初、吉田さんはなかなか試合で使ってくれなかった。恵まれた素質があるものの、未熟さがあったのだろう。米フロリダへの遠征メンバーから漏れた時は、「選ばれたいと思っていたので、悲しかった」(J’étais triste parce que j’ai envie d’ être pris.)。

しかし、ここで腐らずに踏ん張った。「その都度、自分に『練習をするのは、ポジションを取るためで、取ったらずっと守って見せる』と言い聞かせた(Je me suis dit à chaque fois : 'J’allais à l’entraînement, c’est pour récupérer une place, et je vais la garder pour toujours.)。そうして地道に努力できたのは、吉田さんが指し示す道筋に確信を持てたからだろう。

「野球はフランスに長い間存在していたが、まだ組織化されておらず、何を目指すべきなのかも分からなかった。深い経験を積んだ人が不在だったので、私たちがムッシュ・ヨシダの言うことを実行するのは簡単だった。なぜなら、彼が何かを言うとき、それは彼自身が知っていて、既にやったことだからだ。みんな問題なく、高いモチベーションを持って従った」(Le baseball était déjà là depuis longtemps en France, mais c’était pas structuré et surtout on savait pas où on allait. On n’avait pas d’expérience de quelqu’un qui avait une expérience extraordinaire, donc pour nous, c’était facile de faire ce qu’il dit, parce que quand il dit quelque chose, il sait ce qu’il dit et il l’a déjà fait. Tout le monde a suivi sans problème, avec beaucoup de motivation.)。

吉田さんの指揮の下、正捕手の座を獲得し、国際大会で幾度となく奮闘した。五輪出場はかなわなかったものの、当時開催されていた1994年のIBAFワールドカップへの初出場を果たした。吉田さんが日本に帰国した後、ブータグラさんは日本の社会人野球のトライアウトを受け、阪神のキャンプに参加するなど、日本球界の現場に足を踏み入れることができた。米国の独立リーグでプレーしたこともあった。今は指導者の立場となり、仏代表のコーチも歴任した。

仏オンラインサイト Let’s make it count より
仏オンラインサイト Let’s make it count より

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もっとも、吉田さんが持ち込もうとした日本野球は、個人主義が当たり前の異文化と激しくぶつかり合った。特に、自己犠牲の象徴である「バント」を徹底させることに苦労したのは良く知られている。

吉田さんは代表監督の傍ら、パリのクラブチーム「PUC」(Paris Université Club)も指導した。のちに留学生の立場でPUCに選手として参加した志村幸紀さん(45)=和歌山高専准教授(仏哲学)=は、目に見えて日本野球が定着しているとは言い切れないものの、「パワー野球に頼るだけでは勝てないと自覚し、吉田さん流のスモール・ベースボールを取り入れたいと思っているフランス人が多いのは分かった」と話す。

2008年6月、パリ郊外のパーシング球場で安打を放つ志村幸紀さん(撮影・飯竹恒一)

南仏ツールーズのチームと対戦した時のことだ。そのチームの捕手はブータグラさんで、打席に入った志村さんは「捕球が丁寧で、リードも安定している」と感じた。さらに、志村さんが流し打ちで安打を放った瞬間、「うまく打ったね(Bien frappé)」とマスク越しに言うのが聞こえた。「相手に尊敬の念を示す謙虚な姿勢は、まさに吉田イズムの一端がブータグラさんに伝授された証しだと思います」

実際、ブータグラさんは今回の取材で、そうした野球に対する「謙虚さ」の大切さを何度も強調した。それが米大リーグで活躍する大谷翔平選手と吉田さんの共通点ではないかと私が尋ねると、こんな答えが返ってきた
 「まさに、その通り。全面的に同感です。仕事への尊敬、そして謙虚さ。謙虚さというのは100%その通りです」(Ça, oui. Je suis entièrement d’accord. Le respect du travail, et surtout l’humilité. L’humilité, c’est 100 % essentiel.)

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野球が専門の仏スポーツライター、ガエタン・アリベールさん(46)によると、吉田さんがフランスに来た時点から10年前のフランスにおける野球の競技人口は約1000人だった。その数字はその後増えたものの、他のスポーツの数字と比較すれば小さかった。「それでも、何と世界の三大野球国である日本からビッグネームがやって来たのです。吉田義男さんの登場です」(Et pourtant, voilà que débarque un grand nom d’un des trois pays majeurs du baseball. Voilà que débarque Yoshio Yoshida.)。その効果で、競技人口は2024年時点で、約1万3000人に達したという。

オンラインでインタビューに応じるガエタン・アリベールさん(撮影:飯竹恒一)

アリベールさんは仏野球メディア「ザ・ストライク・アウト」(The Strike Out)に「サヨナラ、ムッシュ・ヨシダ」と題する記事を寄稿した。

 「牛若丸の指揮の下、フランスの選手たちは別世界へと移った。牛若丸はビッグショットだけを狙うフランスの選手たちに、チームの規律、さらに併殺やバントなど基本を練習することの重要性を教えた」(Sous le commandement de Ushiwakamaru, les Bleus passent dans un autre univers. Le japonais leurs apprend la discipline d’équipe et l’importance de travailler les bases, comme les double-jeux ou encore les amortis, face à des joueurs français qui cherchaient uniquement à faire de grosses frappes.)

「吉田義男はこの世を去ったが、ムッシュ・ヨシダはフランス野球界の記憶と現在の中で健在なのである」(Yoshio Yoshida nous a quitté mais Monsieur Yoshida est, lui, bien vivant dans la mémoire et le présent du baseball français.)

2014年9月、パリ近郊のセナールで開催された国際大会「吉田チャレンジ」に駆け付けた吉田義男さん(中央)(志村幸紀さん提供)

この締めくくりの一文に呼応するかのように、連盟のセミネ会長は、吉田さんの功績をたたえて2014年から開催した国際大会「吉田チャレンジ」を復活させる意向を示したという。


飯⽵恒⼀(いいたけ・こういち) フリーランス通訳者・翻訳者 朝⽇新聞社でパリ勤務など国際報道に携わり、英字版の取材記者やデスクも務めた。東京に加え、 岡⼭、秋⽥、⻑野、滋賀でも勤務。その経験を早期退職後、通訳や翻訳に⽣かしている。全国通訳案内⼠(英語・フランス語)。



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