カイ説 般若心経 12


梵:na duḥkha-samudaya-nirodha-mārgā
漢:無苦集滅道。
日:《苦集滅道》(の四つの真理)も無く、


 《苦集滅道》とは《四諦》と呼ばれる、仏教の基本的な真理の一つである。大雑把には以下の通り。
 《苦諦》=迷いの生存が苦であるという真理。(一切皆苦)
 《集諦》=苦には原因があるという真理。(縁起)
 《滅諦》=原因が消滅すれば苦しみも消滅するという真理。(縁滅)
 《道諦》=苦しみの消滅に至る道があるという真理。(八正道)
 詳しくは例によってWikipediaなどを参照してほしい。

 まあ、《四諦》については概ねWikipediaの説明で理解頂けると思うが、その昔、私は《集諦》に「集」の字が当てられているのがイマイチ理解できなかった。《集諦》について「物事は寄り集まって成り立っている」だから「集」なのだという説明を受けた気がするがイマイチそれを理解できなかった。
 《集諦》の梵語「samudaya」の意味は「連合」「合体」「衆合」なので「集」の字でも正しいと思うが、「合」の概念が抜けてしまっているように思う。集まるだけではなく集まった要素同士の間に何らかの「関係」がないと「samudaya」の概念は成立しない。
 つまり、要素同士の間に何らかの「合」=「関係」がないと《苦》は成立しない。
 そして、その「関係」=《縁》を切ってしまえば《苦》は成立しなくなり消滅するというのが《滅諦》である。そう、仏教でいう《縁》とはいわゆる「関係」のことである。因果関係に限らず、人間関係、相互関係等の「関係」こそが《縁》なのである。
 他の箇所では《縁》がなかったので、ここで示しておくw

 さて、話が大きく逸れたがそんな真理の概念も《空》の側から見れば「無」であるというのがこの節の主張である。《四諦》等の真理といえど《彼岸》に至ってしまえば不要となり、概念は「無」となる。

 この《空》の発見による真理の否定が原始仏教から大乗仏教への分岐点なのだろう。

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