カイ説 般若心経 13


梵:na jñānaṃ na prāptiḥ.
漢:無智亦無得。
日:「知る」ことも無く、「得る」ことも無い。


 最後の「無~」である。この箇所から次節に入るのであるが、前節との文章的なつながりが切れているように感じる。何かしらの省略か、暗黙の了解があるのかもしれない。

 さて、ここまで《五蘊》を消滅し、《六根》を消滅し、《十二支縁起》を消滅し、《四諦》を消滅した。次は《智慧》を消滅する。《智慧》を消滅するとそれによって得られるもの=「真理」が消滅する。ここでいう「真理」は何かしら「得る」ものであるところから、「実体」のある「真理」であると推察できる。

 さて、ここで消滅する《智慧》とは「prajñā」ではなく「jñā」である。両語ともに《智慧》と訳されることが多いが、両語は明確に区別されている。「jñā」とは「得る」ための知恵であり、「真理」や「実体」を明かす《智慧》である。そして、「prajñā」については経題の解説で示した通り「自分の主観的な反射思考を客観的に分析する智慧」である。「jñā」=《智慧》を分析するメタな《智慧》が「prajñā」=《般若》なのである。

いいなと思ったら応援しよう!