「不安はね、たった1本の、丁寧な線で倒せるんだよ。」
不安を抱えながら生きている人は多いと思う。
例えば環境が変わるとき。
進級。卒業。進学。留学。引越。就職。転職。結婚。子育て。入院。還暦。
例えば何も変化がないとき。
結果が出ないとき。なかなかやりたいことができないとき。同じ場所にいたと思っていた友人がどんどん前に進み、自分との距離が空いてしまったとき。
例えば悩んでいるとき。
「絵を書くことが好き」というぼんやりした理由で美大に進学したものの、これといった成果は出ず、早くも将来への道筋を決めている友人と比較しては、どんな道に進めばいいかわからないとき。とりあえず何かに打ち込めば変わるかもしれないと信じて頑張っていても、誰からも評価はされず、自分はこれでいいのかわからなくなるとき。
海の深さと同じくらい途方も無い、漠然とした不安は人生によく顔を出す。
『モディリアーニにお願い』の主人公・千葉も不安に駆られる1人だ。
舞台は東日本大震災の2年後。
東北の、女子が圧倒的に多い、山奥の美術大学。
壁画を専攻している2回生の千葉は、洋画の藤本や日本画の本吉とともに、
作品の制作をしながら、コンクールに作品を出したり、知人の展覧会に訪れている。
ある日、美術大学の学生生活に勤しんでいる千葉はショッキングな事実に直面してしまう。
千葉を合わせて2人しかいない壁画ゼミの先輩、ミズノ先輩が卒業してしまう、ということだ。
ミズノ先輩の卒業で自らの卒業を意識し始めた千葉は、友人の藤本、本吉に「卒業後どうするか決めていない」という自身の不安を打ち明けるが、「大学院」「作家活動」と進路を決めている友人の回答にさらに不安を募らせる。
周りはいつの間に将来を決めたのか。頑張りたいことを頑張るだけではだめなのか。と。
そして、千葉はミズノ先輩の卒業制作展に訪れる。
そこで目の当たりしたのは、明らかに手間暇かけられたことがわかる、巨大なガラス作品だった。
材料のタイルとガラスを細かく砕いて、切って、接合しやすいようにつるつるにして。
丁寧に、少しずつ、小さいものを積み重ねて、組み合わせて。
時間をかけて作られた美しい作品だった。
先に行くから早く君もこちらにおいでよ、というメッセージが作品に添えられていた。
卒業式。
千葉はミズノ先輩に、卒業制作展で感じたことを伝える。
ミズノ先輩の作品、あれってメッセージだと思っていいっすよね? 少しずつ小さいものを積み重ねて、その先にしか何もないってことですよね? 不安でも何でもやるしかなくてその先なんですよね? ズルする人がいても俺は、俺のペースで正しく少しずつ、結局自分でやるしかないっていうか、 先輩も本当は不安で、みんなもそうだけど、頑張ってるんですか?
この4年間がムダじゃないって、
自分で証明するしかないんだもん。 「分かるよ」とか、「大丈夫だよ」だなんて私は言ってあげないんだからね、
そんなの全然違う。 誰かにがっかりされたくないんだよね。 私はね、そのために頑張っていたの。 その誰かにいつ出会うか分からないけど... 千葉くんにはいっぱいいるんだもんね。
不安はね、たった1本の、丁寧な線で倒せるんだよ。
人生につきまとう不安は、その人にしか消せないんだろう。
無責任に「わかる、大丈夫」と他人に言われたとしても、不安が晴れることはない。
結局は自分がどうにかするしかない。
でも「不安はね、たった1本の、丁寧な線で倒せるんだよ」のセリフは不安の消し方を教えてくれる。
自分で行動を起こして、やるだけなことには変わらないけれど、小さいことを積み上げていけば、その先にあるものを掴むことができ、いつか大きな不安は払いのけられる、とミズノ先輩は教えてくれる。
やることさえ決まってしまえば、この先何があるかわからなくても、なんとかなる気がする。
前から手を差し伸べられているような暖かい、
たった1つのセリフだけで、本当に大きな不安を倒せそうな気がしてくる。
だからこのセリフがあるだけで、道が開ける。目の前が明るくなる。救われる。希望になる。
不安の消し方を教えてくれるのはミズノ先輩だけではない。
作者の相澤いくえ氏が、『モディリアーニにお願い』を通して、読者に伝えている。
もとより、たった1本の丁寧な線で大きな不安を倒せる、ということを信じている相澤いくえ氏。
不安と真摯に向き合いながらも、1本の丁寧な線を積み重ねて全て手描きで描かれた
『モディリアーニにお願い』という作品がそれを体現している。
作者の信念が「これでもかっ!」というくらい込められている『モディリアーニにお願い』。
大きな不安と真摯に向かい合いながらも、たった1本の丁寧な線を積み重ねることで打ち倒せることを
証明した本作は、不安を抱えて生きる幾万人の希望となることだろう。