近所に住むお兄ちゃん、ぐらいの距離感が、ちょうどいい。
基本的に精神はかなり安定。
外的要因で自分の精神が乱されないようになって久しい。
でも、やっぱりどうしようもなくしんどい時ってある。
大学受験だったり、就活だったり。
先が見えない、けれど失敗はできないって思い込んじゃうようなイベントのとかは特に。
人間関係ではほとんど悩まない。
いや、悩まないようにした。これはまた別の話。
わたしは極度のかっこつけ。汗なんてかいてませんよ〜という涼しい顔でゴリゴリに汗かきにいくタイプ。人に弱さを見せるなんてとんでもない、そう無意識に思っていたんだと思う。
でも、そんな私にも駆け込み寺の様な人がいる。
何かあると、その人に会いたくなる。
その人、彼女は何も聞かず、承諾してくれる。
顔を合わせても、負けず嫌いだから何も言わない。
彼女は何かあったんだな、とちゃんと分かってくれて、核心には触れないでくれる。
そして、美味しいご飯を食べようと滅多に聞けないような明るい声で言う。彼女がそう言う時は、最大の励ましなんだと最近やっと気づいた。
普段はどんなに私が甘えても、基本はノーリアクション。
なんなら構ってくれ、と言わんばかりに鳴き声をあげても基本はいないものと扱われている。
わたしも彼女も負けず嫌い。バチバチはしていないけれど、静かに負けたくないと思っている。
だから踏み込まないし、踏み込ませない。
でも辛い時期を越えたら、「何も心配してなかったよ、羽風はいつもそう。」とこちらをちらりと見もせずに言う。なんだかんだそんなクールな彼女の態度にいつも安心してほっこりとする。
そんな彼女との心地よい距離感を築いて7年。
思えば、直感的に好きだと感じて仲良くなった彼女との距離感はずっと一定。
クラスと席も近い、おまけに2人とも皆勤賞。
ずっと物理的に側にいた。
女子特有の当たり前に隣にいる、というほどの依存もない。
なんでか黙って隣にいたくなる。
思春期の高校生の時は、他の女の子たちみたいに誕生日はプレゼントを渡して、お休みの日は遊びに行って、
なんてことがないのを少し寂しくも思った。
でも大学生になって1年に1回しか会えなくなって、
この言われも得ぬ居心地の良さの正体に気付いた。
それが距離感。隣にいるのに、隣じゃない。近所の距離感。
多分、彼女もわたしのことが大好き。
でもお互いそんなこと冗談でも言ったことないし、
親友だよ!なんてこともとてもじゃないけど言えない。
なんたって2人とも負けず嫌い。
しかし肉親にも近い親しみと互いの理解は申し分ない。
でも必要以上に、というかパーソナリティにはほとんど踏み込まない。
でも互いの好きなもの、そして何より苦手なものはよく覚えている。
お互い誕生日もちゃんと把握している、1年ぶりに会っても特にリアクションもなく昨日からの続きの様に会話が始まる。
そんな、近所に住むお兄さんぐらいの距離感が心地よい。
わたしの友人との距離感の話。