【クリスチャンdiary】第1回-決断の結果に正解は無い。つまり間違いも存在しない!
ハレルヤ!主の御名を崇め、全てに感謝します。
かなり久しぶりの投稿です。
以前はデボーションをまめに更新してましたが予想通り頓挫し、ピアノのジャーナルも挫折し、一体物事を続けるにはどうすればいいのかと考えてました。
例えば教会奉仕であれば、必然的に毎週日曜の活動があるので準備や練習も継続して取り組めますが(今年奏楽デビューしました!ピアノ練習自体はちゃんとやってる)、知人の目に触れないものを続けるのはたいへん。自分との約束事です。これも神様との約束だー!とがんばれるならいいけど、私はまだそこまで成熟したクリスチャンではないのです。。
なので、新しい取り組みの一環として、コラムふうの記事を投稿しようかと思います!
元々は聖書の御言葉を、生活や行動に落とし込みたくてデボーションも始めたのです。それを仮にでも読者がいると想定すれば、気合も入るし文章力・思考力も上がるのでは!?と思った次第。
日々、何か疑問を覚えた時に御言葉を探す、という習慣を作りたいと思います。
今日は簡単にひとつだけ。
みなさんは何か選択に迫られた時、どのようにして道を選びますか?大切な物事であるほど、頭でメリットとリスクを両天秤にかけ続けて、実際に行動を起こすに至らない…その間にチャンスを逃す…なんて経験があるのではないでしょうか。私はその連続です。決断力を養うのは、本当に難しいですね。
23主によって人の歩みは確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
24その人は転んでも倒れ伏すことはない。主がその人の腕を支えておられるからだ。
旧約聖書 新改訳2017|詩篇23-24
私はこの御言葉を見た時「正解は無いのだ」と感じました。どの道を選んだとしても、それは神様が備えてくださったものだし、多少の思い違いや苦労があったとしても、神様は決して私達を見放すことなく、力強い御手で支えてくださってるのだと。
正解が無い、ということは間違いもない、ということです。私はハイパー怖がりなので、間違いを犯すことを異様に恐れているのですが、それは物事を成否判断しようとするからだと気づきました。
大切なのは、嬉しいときも病める時も、神様のことを覚えて、神様とともに歩んでいる事を忘れない事なんだなと。そこさえ押さえればあとはどうにでもなるでしょ!くらいの軽やかさが、丁度いいのかもしれません。
そもそも人間たかが数十年生きてるくらい、自分の人生しか知らないのに、正解不正解を判断できるほど賢いはずもない。まあ明らかに危なっかしい道を突き進むのはオススメできないですけども。
選択を迷う時、足が竦みそうになる時は、とりあえず飛び込んでみて後は神様に委ねよう!でOKかもと思いました。
なんか人に向けて書くといいながら、まさに自分に対しての内容になりました。。転職活動で色々迷っているので。
「正解が無い=間違いも無い」という件は、何だか途中でピンときて自分でもなるほどーと思ってました。神様からのメッセージかも?ということは、この更新も続けた方がいいんだろうな〜。
まったりペースでがんばります!
感謝🌟
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