「喋る」にも種類がある
好きな事が仕事ならば、きっと仕事とプライベートの境界線が曖昧でも良いのだと思う。
その「曖昧」というのも、わたしにとっては、自発的に動いても良いと思えることが前提になっている。
今の仕事は好きではない。
もちろん、やっていて好きなパートはある。
けれど、それが占めるパーセンテージがあまりにも低いのだ。
だから今は、仕事とプライベートはすぱっと分けている。
分けられる環境であるとも言える。
今月の頭、月に一度の上司との面談があった。
そこで、あまりにも弱っていたわたしは「精神的にしんどいですねー」と軽く口にしてしまった。
Google Meet越しに「声だけだとそうは聞こえないですけど、どんな感じですか?」と言われた。
仕事に支障をきたして迷惑をかける前に、種をまいてしまったわけなのだが、それが逆にこの「精神的にしんどい」状態に拍車をかけてしまった。
軽食をという話が持ち上がり、金曜日に上司ともう一人交えて食事をすることになってしまった。
悠々とプライベートラインを越え、それを奇しくも良しとしてしまった。
在宅で仕事をしていると、仕事で話す人間意外と喋る機会はほぼない。
昨年から痛感していることだが、わたしは喋ることが好きだ。
「喋る」と言っても種類があると思っている。
友人と喋る
恋人と喋る
親と喋る
仕事仲間と喋る
知らない人と喋る
これらは話す内容も、気持ちの在りかも、頭の使い方も異なってくる。
わたしの「喋ることが好き」というのはどちらかというと、長年従事してきたサービス業に起因する。
だから「知らない人と喋ること」がどちらかというと好きだ。
知らない人間または、知っている程度の人間と喋るのは疲れる。
けれど、わたしが知らない事を教えてくれることが往々にして多い。
その新たな気付きや発見がわたしは好きだった。
そしてこのとき、仕事とプライベートは曖昧になっている。
今度の食事会は、そういった心持で臨めるものではない。
いや、そうでないかもしれないけれど、今はそうとしか考えられない。
だから憂鬱に拍車がかかる。
喋りたいけど喋りたくない。
気持ちとは複雑だと、自分の気持ちを見つめてみると思う。
おしまい